370.朱蜻蛉突破録 作戦採用
グロックがメンバーに待機を命じた二日後、再びサジータがやってきた。
あの時と同じく夜、同じ場所である大衆酒場で、しかも席まで同じだった。
違うのは二点。
隣のテーブルにメンバーがいないことと、
「同席しても?」
「黒鳥」では古参になるオールドブルーが、ぜひにと同席を求めたことだ。
若い連中とは違い、物静かで冷静で思慮深い。
額の角と、相当な大柄であることから荒っぽい印象があるが、オールドブルーはそんな穏やかなタイプである。
「ええ、僕は構いませんよ」
グロックには事前に確認を済ませているので、今度はサジータに許可を貰い、空いた椅子に座った。
――グロックは知らないが、オールドブルーはサジータ側の人間……暗殺者組織の関係者である。
つまりこの布陣は、オールドブルーがサジータの味方として入っている状態なのだが、彼はそのことを知らないし気づいてもいないし、疑ってさえいない。
まあ、もっとも。
「策を練って来ました。聞いていただけますか?」
朱蜻蛉に対処する策が万全か否かが、一番のポイントであることは変わらないが。
たとえオールドブルーがどんなにサジータの味方をしようと、作戦そのものがいい加減では、絶対にグロックは認めないだろう。
オールドブルーができるのは、それらしい援護射撃程度である。
――さてどうなることやら――大柄な男はサジータの言葉に耳を傾ける。
「……という感じで考えていますが、いかがですか?」
語り終えたサジータの言葉に、グロックの返答は――
「…………」
なかった。
グロックは腕を組み、非常に難しい顔をしている。
「少し質問をしても?」
「ええ、もちろん」
考え込んでしまったグロックに代わり、オールドブルーが口を開いた。
――オールドブルーとサジータは裏で手を組んでいる者同士ではあるが、作戦自体は初めて聞いたのだ。質問が湧かないわけがなかった。
「朱蜻蛉が、ドラゴンの森の傍から離れない理由は、毒にあると?」
「その説の可能性は濃厚です。ハルハの街にもあの森の研究をしている学者がいて、興味深い話を聞くことができました。その結果――」
――ドラゴンの森に点在する毒の沼地こそ、多くのドラゴンを惹きつける理由である。
そんな説を唱える学者がいたのだ。
「時折はぐれる朱蜻蛉もいるそうですが、それはあくまでも少数のみです。
大部分の朱蜻蛉が森から……森にある毒の沼地から離れようとしない。理由まではわかりませんが。
そしてそれは、ほかのドラゴンにも当てはまる。
――ドラゴンは、あるいは魔物は森の毒を好む。我々はこの説を信じて、調査を進めました」
ドラゴンは毒を好む。
確かにドラゴンの住む森には、数えきれないほどのドラゴンが生息している。
なぜこの森にこんなに溜まるんだ、と言いたくなるほど住んでいる。
その理由は、森の中に発生している毒沼のせいだ、とサジータは言う。
――確かにグロックから見ても、ドラゴンの森自体は、特別なことはなさそうな森だと思っている。
そう、強いて違う点を上げるなら、森には毒の沼地がいたることろに存在することだ。
「確かとは言い難いのでは?」
「そうですね。確証はない。しかし――確証があるものもあるじゃないですか」
「だからこそこんな策、ですか」
「ええ。――安全である、という点においては自信がありますし、試すだけ試す価値はあるのでは?」
――サジータの言う通りなのである。
安全なのだ。至極安全だ。
だからこそ、最初から頷くつもりのなかったグロックさえ悩ませている。
「しかし――んんっ」
思ったよりかすれた声が出て、咳払いを一つ。
「しかし、おたくらは竜人族の森に行くんでしょう? もしその作戦を決行するなら、森の中は大変なことになっているはずだが」
「ああ、その点はご心配なく。竜人族の迎えが来る手筈となっていますので。森を突っ切って行くわけではないんですよ」
「なるほど。だったら問題なさそうだ」
ドラゴンを狩りに来たグロックたちには面倒なことに、この策を決行すればかなり狩場が荒れそうではあるが……
幸い、グロックたちには時間がある。
それこそ、狩場どころか朱蜻蛉大量発生が落ち着くまで、待っていられるほどだ。
事はドラゴン狩りだ。
じっくり腰を据えて臨まないと、怪我だけでは済まない事態になってしまう。
しかし、サジータたちは違うのだろう。
事情はわからないが、急いでいるのは間違いなさそうだ。
そしてさっき言った通り、竜人族から迎えが来る程度には、向こうも彼らを待っていると思われる。
それに。
「もし断ったら、自分たちだけでやりますかい?」
「そう、ですね。安全面を最優先に考えたので、試すだけなら我々だけでもできそうですから」
となれば、悩む理由はない。
「――わかりました。その策、やってみましょう」
策が上手く行くかどうかはわからないが。
もし上手く行けば、ここで護衛を外される「黒鳥」の汚名となってしまう。もちろん報酬だって満額は入らないだろう。
上手く行けばそれでいいし、失敗したら逃げ帰ってくればいいだけの話。
聞く限りでは、確かに安全面を第一に考えて練られたことが伺える。
ならば、試すだけなら問題ない。
――こうして、朱蜻蛉突破作戦の決行が決まったのだった。
――これが予想外極まりない結果を生むことになるのだが、もう少しだけ先の話である。




