366.メガネ君、指示を出す
朱蜻蛉。
簡単に言えば、ドラゴンの特徴を持つ巨大なトンボである。
そこそこ屈強な大人の腕ほどもある胴体の太さに、そこそこ屈強な大人の背丈ほどもある、一目見て尋常じゃないことがわかるトンボである。
形状は虫のトンボと同じだが、とにかく大きくて、魔物特有の獰猛さを持ち合わせている。
もちろん腹が減っていれば人を襲うし、人以外も結構襲う。動くものはだいたい襲う。
そんな朱蜻蛉が、ドラゴンの住む森周辺に大量発生しているそうだ。
そう、大量発生だ。
「ざっと二百匹や三百匹くらいはいそうだって話だよ」
現状の詳細を語るサジータから、なかなか絶望的な数字が出た。――これは確かにベテラン暗殺者であろう彼も「面倒だ」と口走りもするだろう。
二百匹や三百匹の虫、か。
「イナゴの大量発生みたいなものと考えていいんですかね」
俺の故郷は、小さな田舎の村である。
俺が生きてきた十五年の間では、そこまで派手な害虫被害はなかったはずだが。
しかし、村の財政に打撃を与える程度の被害は、何度か出ていた。
「そうだね。それでいいと思う」
虫は……というか、数ってのは厄介なんだよな。
数が多ければ多いほど、こちらの手が足りなければどうしても対処しきれなくなる。
ましてやトンボである。
奴らは空を飛ぶのだから、どれほど厄介なことになるか想像もしたくない。
「今、真冬ですよね? いくら温かい獣人の国とは言え、この時期にトンボが飛ぶんですね」
虫がいるのは秋までだろうに。季節感のない。
「何年かに一度は、こういうこともあるらしいとは聞いたことがあるよ。元はドラゴンの森に生息している魔物だから、森から出てきたって形になるのかな?
まあ、なぜだか大勢のドラゴンが住んでいるような森だから。
常識で考えない方がいいだろう。――そもそも虫じゃなくて魔物だしね」
まあ、そうか。
魔物の話だし、一般的な虫の話なんてしたって仕方ないか。
「ただ、朱蜻蛉はドラゴンの森からあまり離れたがらないんだ。もちろんはぐれる者も出るし、小さな群れがこの国のどこぞへと流れることもある。
先に話した馬獣人たちは、これを恐れて場所を移動したんだと思う」
森から離れたがらない、か……
となると、アレか。
「この街の冒険者たちは動かない、ということですね」
「その通りだ」
どこぞへと散り散りになる、どこぞへと移動するならまだしも。
森付近から離れないのであれば、下手に手を出すべきではないだろう。
「ちなみに、そのトンボをエサにしている魔物っています?」
「――鋭いね、君は」
まあ鋭いというか、この辺の考え方は狩人の領分だからね。
「そうなんだ。実はこの朱蜻蛉、森のドラゴンがエサにしているんだ。だから逆に殺りすぎるのもよくない」
ああ、それはよくない。
「エサがなくなったら、ドラゴンが人里まで来る可能性が上がりますからね」
となると……ああ、そうか。
「結構厄介ですね」
朱蜻蛉の群れは、ドラゴンの住む森と外界の狭間辺りを飛び回っており、このままでは絶対に森に入ることは不可能なんだとか。
行けば絶対に襲われる、と。
まず、数が絶望的だ。
俺たちと「黒鳥」を併せて総勢十三人では、二百三百なんて数はどうにもならないだろう。
そもそもトンボ一匹の個体の強さがわからないのも怖いのに、わからないものが数百匹だ。数の暴力が半端じゃない。
数か。
数と言えば、ゾンビ兵団を思い出す。
ブラインの塔で、課題でこなしたゾンビ兵団討伐は、何百というゾンビたちを相手にすることになった。
魔術師リオダインによる大量浄化という術で、かなり楽ができたけど。
でも今回は、狩り過ぎないという条件が付く。
たとえば、リオダインが広範囲攻撃魔法的な魔術が使えれば、もしかしたら朱蜻蛉をどうにかできるかもしれないが。
しかしそうすると、朱蜻蛉をエサにしているドラゴンの食べるものがなくなり、結果そのドラゴンは人里までやってきて人を襲う可能性が上がる。
あくまでも可能性だ。
絶対とは言えない。
ただし、この可能性は取り返しのつかないものである。
たとえドラゴンが人里に来る可能性は低くとも、触れていい問題ではないだろう。
俺たちはここの住人じゃなくて、通過するだけの旅人だ。
そんな奴らが、無責任に生活環境をいじっていいわけがない。
となると――
「手段は限られるね」
「だな」
サジータと話をしている間に、リッセ、ベルジュ、リオダインが起きてきて、同じテーブルに着いた。
セリエとカロフェロンはまだ起きて来ない。
セリエはともかく、カロフェロンは昨夜から猫が一緒なので、きっと俺のようになかなか起きれず猫と戯れているに違いない。
――こうなると彼女待ちなんだけどな。
「眠らせるか一時行動不能にして、その間に通るとか。取れる方法なんてそれくらいじゃないかな」
リオダインの言う通りだと、俺も思う。
だとすると、薬品のスペシャリストであるカロフェロンの意見を聞きたいところだが……きっと猫と戯れていて、起きることが困難なのだろう。いつ起きてくるやら。
「『黒鳥』の意見はどうですかね?」
と、ベルジュがサジータに問う。ちなみに「黒鳥」の連中は別の宿に泊まっている。
「護衛から見れば、近づかないことを勧めてくるだろうね。彼らの仕事は魔物を殺ることじゃなくて、僕らの護衛だから。
目に見えた脅威に突っ込むことを認めるとは思えない」
うん。
グロックは適当そうに見えて、仕事には非常に真面目だ。不可抗力のボインで俺もしっかり怒られたし。
彼の仕事への姿勢を考えれば、絶対に朱蜻蛉に手を出そうとは思わないだろう。
――ただ、それは彼らの事情である。
俺たちは竜人族の里に行かないといけないのだ。
竜人族の動きが鈍っている冬の間に入り込み、春までの間に、里や森、彼らの駆るドラゴンのことを調査する。
それが今回の俺たちの目的である。
魔物の群れがいついなくなるか、なんて悠長に待っていられない。
「どうする?」
……ん? どうする?
サジータに問われ、リッセたちも俺を見ている。
…………
あ、そうか。
今回の調査隊のリーダー、俺だったか。
表向きはサジータとしているが、実際は俺の主導で動いている。ここまではなんの問題もなかったから、特に指示がなくとも予定通り進んできただけである。
だが、今問題となっている、通せんぼしている朱蜻蛉は、予定にない出来事だ。
――そうか。
だからサジータは、今朝会うなり、いきなり朱蜻蛉の話を……現状起こっている問題を報告したのか。
俺の指示を仰ぐために。
じゃあ、指示を出しとくか。
「サジータさんは『森に行きたい』という意志を伝えに、護衛の人たちと話して来てください。彼らの意見を聞いて報告をお願いします」
「わかった」
「リッセ、ベルジュ、リオダインは、朱蜻蛉についてなんでもいいから情報を集めてきてください」
異論はないようで、三人は頷く。
そして俺は。
「私はセリエ、カロフェロンに現状を伝え、薬を使った打開策を狙えないか相談してみます。昼にはまたここに集まりましょう。
では――解散」
こうして俺たちは、朱蜻蛉対策に動き出すのだった。




