350.それぞれの思惑 3
「おい嬢ちゃん、大丈夫か?」
「ああ、だいじょうぶだいじょうぶ。二回目だから」
「二回目?」
「うん。昨日の夜中に一度治ったんだけど、また食ってこの様だから。心配しなくていいよ」
「……あー……そいつバカなのか?」
「そう。バカなの」
船旅は五日目に入った。
予定通りに行けば、今日には到着する予定である。
初冬の空気は冷たく尖っているものの、陽射しは強く、ちょっとだけ温かい。
船乗りに現在地と到着時間の確認をし、それから風と波の様子を見た駆け出しの魔術師ライラは、大部屋で借りている船室に戻った。
「――アインさん。お姉さまの様子はどうですか?」
「んー?」
のんびり矢のチェックをしていた女――アインリーセは、ライラの質問に肩をすくめた。
「見ての通りだね」
二人が向けた視線の先には、二段ベッドの下で背中を丸め、「うーん。うーん」と唸り続けている女がいる。
「さっき船医のおっさんも心配して見に来てくれたけど、呆れて帰ったよ」
「そ、そうですか……」
「そりゃ呆れるでしょ。二回目だもん」
「う、うーん……」
ライラとしては心情的に同意しかねるが、同意せざるを得ない状況でしかない。
――獄花河豚のから揚げである。
海の魚である獄花河豚は強力な毒を持つが、非常においしい魚と知られている。
主な食べ方は、から揚げだ。
衣をつけて高温の油で揚げるのである。
昨日、たまたま見つけた魚群に網を放ったところ、いろんな魚が獲れた。
その中に獄花河豚がいたのだ。
この獄花河豚は、毒を持っているが、食べる方法も知られている。
毒に効く薬を酒の中に入れ、飲んで毒を中和しながら少しずつ食べる、という安全な食べ方が確立されているのだ。
毒という普段は絶対に口にしない刺激を味わうのと、それを中和する薬酒と。
なかなか不思議な食べ合わせで、結構おいしかった。
酒好きなら一度は味わいたいものである。
船に乗る前に、グロックに教えられて興味津々だったアインリーセも、昨夜はぐいぐい飲んだし、食べた。
安全な食べ方があり、用法容量を守れば問題はないのである。
だが――
「うーん、うーん」
腹を抱えて苦しんでいるこのバカは、酒の量よりから揚げの量が多かった。
おかげで昨日の夕食から夜中まで苦しんで――明け方には一度治って、トイレに行って、腹が減ったから台所を漁りに行って、残っていた何かの魚のから揚げを食べて帰ってきた。
そして朝からこの調子である。
一度目でもバカなのに、二度やっているのだ。
正直、もうバカとしか言いようがない。
いつも見張ってろ、監視しろとは言われているアインリーセだが、さすがに夜中のトイレにまで同行するのは憚られたし、嫌だった。酒も飲んだし寝たかった。
その結果がこれである。
なぜ一度で懲りないのか。せめて腹痛の原因だったから揚げは避けようとは思わないのか。
もうそこそこ長い付き合いになっているはずだが、本当に行動が読めない手のかかるバカである。
「――それで? いつ到着するって?」
「あ、はい」
バカの行為を振り返って呆然としてしまったが、ライラはアインリーセに頼まれて、船旅の状況を聞いてきたのだ。
「このままなら昼には着くだろう、って言ってました」
「そっか。退屈な船旅も今日までか。早く降りたいもんだねー」
確かに、船に乗り慣れないライラには、そろそろ揺れない地面が恋しい頃だ。初日に少し酔ったし。
「ブルの船酔いはどうなってるかな」
「あ、さっき甲板で見ましたよ。顔が真っ青でした」
「こっちのバカは同情できないけど、ブルはさすがに可哀そうだね。初日からずっとでしょ」
まったくですね、とライラが頷くと――ノックの音とともに二人の男が顔を見せた。
「――おう。バカの様子はどうだ」
グロックとレクストンである。
「見ての通り。――それよりなんかあった?」
うんうん唸るバカを一瞥し、それに関しては何も言わず、グロックは本題に入った。
「向こうに着いてからの予定を話しとこうと思ってな」
ライラやアインリーセら――ナスティアラ王国を拠点に活動している冒険者チーム「夜明けの黒鳥」のメンバーは、大型船に乗って隣の大陸に向かっている最中である。
今回のメンバーは、修行中の身である駆け出し魔術師ライラと、最近急激に伸びてきている一ツ星の新人レクストンを加え。
残りはグロックとアインリーセ、バカ、そしてオールドブルーというベテラン勢の計六人である。
「今回の目的は、レクストンとライラの実戦訓練だ。まあ試験でもあるが」
レクストンとライラ。
素材の良さを見込んで加入を決めたレクストンは、「黒鳥」のベテランたちによる訓練の成果もあり、かなり腕を上げてきている。
あとは強敵との戦闘訓練を何回かこなせば、「黒鳥」の仕事をやらせてもいいだろう、という判断が下った。
そして魔術師ライラも、ほぼ同じ理由である。
貴重な魔術師だけに、早めの実戦投入が望まれているのだ。まだ早いという副リーダーの意見もあったが、ライラ本人の強い希望で同行が決定した。
「いよいよ『黒鳥』名物ドラゴン狙いか。ついに来たって感じだねー」
――「黒鳥」のベテラン勢は、全員がこれを……「ドラゴン狩り」を経験している。
というのも、「黒鳥」で一人前と認められるのは、ドラゴン狩りを経験してからになるからだ。
いわゆる、一人前になる試験である。
しかし色々な事情があり、今回は例外が二人いる。
――アインリーセとバカである。
本来なら、これを経験してから「黒鳥」の仕事に混ざるのだが、人手不足と当人たちの腕の良さもあり、例外的に投入してしまっていた。
というか、バカが暴走して勝手に仕事を請け負ってしまうので、もはや放置はできないと判断して、実戦に投入されるようになったのだ。監視も兼ねて。
――それで実力を発揮し、ベテラン勢と肩を並べているのだから、恐ろしい才覚である。
「まあおまえらは全然心配いらねえだろ。ライラとレクストンのフォローは頼むな」
「了解」
すでに「黒鳥」の第一線に出ているアインリーセとバカは、問題なくドラゴンくらい狩れるだろう。
ドラゴン狩りに行く新人がいなければ、この二人が行く予定もなかったはずだ。
やらなくても、すでに実力は知れているから。
――で、だ。
「しばらくは街で待機して、とある依頼を受けて移動することになる」
そんなグロックの言葉に、アインリーセと新人二人が怪訝な顔をする。
「とある依頼?」
「大したもんじゃねえよ。竜人族の里に行くっつー要人の護衛をしてほしいってさ」
というか、実はそれがメインだったりする。
新人のドラゴン狩りも、リーダー・リックスタインを始め多くのベテランが、春になってからでいいだろうと見越していた。
だが、かなり緊急の依頼が入った。
それが今回の要人の護衛である。
竜人族の里は、ドラゴンが棲む森の中――つまり「黒鳥」がやっているドラゴン狩りの場所だったりする。
じゃあ行くついでにやっておくか、という判断で、色々と用件がまとまったのである。
・メインは、竜人族の里への護衛の依頼。
・試験を受けないまま一人前扱いされていたアインリーセとバカの、今更感はある試験。
・新人レクストンとライラという、真っ当に受ける試験。
そんな三つの事情が重なり、このメンバーが選出された。
「うーん、うー……――あ、慣れた」
バカが起きた。
バカな理由で治ったことを告げて、起きた。
さっきまで腹を抱えて唸っていたのが嘘だったかのように、けろっとした顔で立ち上がった。
「あー腹減った。アインー、肉食いにいこうよー」
なんだか無性に一発殴りたくなるような呑気な顔をして、バカは相棒の肩をゆする。相棒が剣呑な目で見ていることも気にせず。否、気付かず。
「ああ、その、なんだ。大まかにはもう話したからよ。――一緒に行け。もうフグ食わねえようにそいつ見張ってろ」
「りょーかい。おら行くぞバカ」
「いててっ、なんだよーやめろよー」
アインリーセに頭とか脇腹とか尻とかつつかれ、嫌がりながらバカ――ホルンが船室から出ていった。
グロックは大きく息を吐き、新人二人に言っておいた。
「おまえらもホルンを見とけよ。いらんことしそうだったら絶対止めろ、いいな」
――そして「黒鳥」は、獣人の国に到着する。
 




