345.メガネ君、ハイドラより個人的な話を聞く
マリオン、セリエと一緒に一階へ降りてきた。
さっきまでは塔にいる全員が集まっていたのに、もう誰もいない。
いや、一人いた。
俺たちを呼んだハイドラだ。そういえば冬になっても相変わらずシスター姿だな。俺のようにインナーで防寒でもしてるのかな。
「忙しい中、呼び出してごめんなさい」
それはお互い様だ。
ハイドラだって、今は秘術の訓練に時間を割きたいはずだ。食糧庫の管理も任されたみたいだし、暇なんてないだろう。
「もう興味がないかもしれないけれど、一応伝えておこうと思って」
ということは、やはりゼット関連の続報だろうか。
俺たちはハイドラが座るテーブルに着き、話を聞く体制に入った。
お互い時間が惜しいので、ハイドラは前置きもなくストレートに告げた。
「――本物のゼットが見つかったらしいわ」
やはりその話題か。
まあこのメンツを集めるだけあって、予想できる内容である。
ちなみにシロカェロロが呼ばれていないのは、あくまでも手伝いとして参加したからだろう。彼女はきっと、詳しい事情を知らないはずだから。
「今どこにいるの?」
マリオンの質問に、ハイドラが首を横に振る。
「そこまでは教えてもらえなかった。というより聞かなかった。ゼットが見つかったのなら私たちの仕事はもう終わりだもの」
なるほど。
ゼットの仲間であるコードやキーピック辺りに、「ゼットが見つかったからもういいよ」みたいな話をされたのだろう。
またゼット不在が続き貧民街が荒れそうになるなら、マリオン扮するパチゼットを仕立てて一仕事、なんて展開もあったかもしれないが。
本物が見つかったのなら、もう偽者を立てる理由はない。
「裏切り者がいるとかなんとか、あったでしょう? その辺のあぶり出しをするつもりらしいわ」
ああ、あったな。
結局誰が裏切り者だったのか、わからなかったやつだ。
――馬車を襲う計画を洩らし、大帝国軍人を呼んだ「裏切り者」は確実に存在する。
まあ、でも、あれだ。
「私たちにはもう関係ないですかね」
セリエの言う通り、俺たちの出る幕はないだろう。
ハイドラも頷きはしたが、しかしこう続けた。
「私は一応、最後まで見届けようと思っているの。追加依頼という形でまた話が回ってくるかもしれないし。
彼らとの交渉の窓口になってしまったから、私には見届ける義務があると思うの」
そうか。
「それが、竜人族の里に行くのを辞退した理由?」
「――重要度で言えば間違いなくそっちが上だけれど、小さくとも仕事は仕事でしょう? 私は受けた依頼は完璧にやり遂げたいの。それと他にも理由はあるけどね」
へえ、完璧主義か。
ハイドラらしいとは思うが、――それより仕事へのスタンスが好きだな。俺もやると決めたらちゃんとやりたいタイプだから。
「話は以上よ。手短にまとめてみたわ」
大助かりである。
「――あ、それとエイルは残ってくれる? 個人的な話があるから」
ん? 個人的な話?
「おっ? おお? まさか?」
マリオンがにちゃっとしたいやらしい笑みを浮かべるが、ハイドラは首を横に振る。
「少なくとも恋愛関係の話じゃないわね」
「なんだつまんないの。――結構いい線いってると思うけどなぁ、〇点君。ねえセリエ?」
「そうですね。顔は可愛いですし。でももう、私はもはやなんというか……共同生活の内容が濃すぎたせいか、もう距離が近すぎてそういう風に見れないんですよね」
わかる。
すごく感覚的な理由だけど、俺もセリエと同じ意見だ。
「俺はセリエを、異性じゃなくて戦友として見てるけど」
「あ、そう! それです! 戦友! 私もです!」
果たして戦友というものが、恋人より近い存在であるかどうかはわからない。
だが、これまでセリエに背中を預けるようなシーンも、何回かあった。
状況によっては恋人よりも頼もしく、恋人よりも傍にいてほしい存在であることは確かである。
――そんな存在が男女問わず、このブラインの塔には何人もいる。何人もできた。
――だから俺はここに来てよかったと心底思い、ワイズ・リーヴァントに言葉に尽くせない感謝と恩を感じているのだ。
「ああ、ごめんなさい。色恋の話は折を見て私抜きでしてくれないかしら?」
おっと。
思わず俺まで話に入ってしまったが、そうだった。
今は誰もが時間がないんだった。
マリオンとセリエを見送り、ハイドラと差し向かいになる。
「個人的な話って?」
ハイドラに限って、色恋の話だなんて最初から微塵も思わなかったが。
というか、そもそもなんの話をするのか、まったく予想ができない相手である。
また悪だくみかな、くらいのものである。
でも、このタイミングでは、さすがにないと思うし。
「竜人族の里。本当に行くのよね?」
「うん」
「あの辺には数えきれないほどのドラゴンが棲んでいて、相当危険だと言われているわ。
近づくだけでも危ないし、――本来ならエイルは絶対に避けるような場所よ。あまりにもリスクが高すぎるから。
でも、それでも行くのよね?」
まあ、ね。
「察しの通り行きたくはないけど、色々と事情があってね」
と、俺は手短に、「竜人族に客として呼ばれていて、調査をするには絶好のタイミングが来ている」という、ワイズとヨルゴ教官に聞いた話をした。
「そう」
ハイドラはじっと俺を見る。
冷たささえ感じるような澄んだ青い瞳が、俺の奥底にある何かを見透かすように見つめる。
――真正面から見られるのはやっぱり苦手だな。目が合うのもあんまり好きじゃないし。
「私、将来は…………いえ、まだこれは話すべきではない」
ん?
「あなたには死んでほしくないの。絶対に生きて帰ってきてほしい。できることなら調査よりも、自分や仲間の身を優先してほしいくらい」
…………
「あなたと私、仕事への取り組み方が似ている気がするの。
どんなに渋っても、嫌だといっていても、それでも了承したら全力で事に当たろうとする。完璧にこなそうとする。
ならば――命を懸けるか逃げるか選ばないといけないシーンで、迷わず命を懸けて仕事をこなそうとする。
私はそうなの。エイルはどう?」
……うん、まあ、アレだ。
「なんの話? 俺の話がしたいなら、もう行っていいかな?」
俺の内面なんてペラペラで、語るほどの厚みなんてないよ。大した話はできない。それに俺を探るような話は好きじゃない。
難色を示した俺に――ハイドラは小さく頷いた。
「わかった。この期に及んでまだ迷い躊躇うなんて、私らしくない。
――もう決めたことだから、そうすることにするわ」
なんだかよくわからないが、ハイドラが何かを決意し、本気になったことだけはわかった。
「よく見ていてね――」
と、彼女は右手をテーブルの上に出し――ん? え?
その手を横にずらすと、そこにはカップが置かれていた。
ハイドラは何も持っていなかった。
なのに、手を差し出し、ずらしたら、そこにカップが置かれていた。
「……手品?」
感覚的に「違う」と。
種も仕掛けもある手品とは「違う」と、わかっている。
だが、そうじゃないのであれば、この現象の正体がわからない。
「――これが私の『素養・圧潰膨裂』。物質の『圧縮』と」
今度は、カップの上を撫でるように逆に手をずらす、と。
「――『膨張』」
カップが……さっきの倍くらいに大きくなっていた。
不可思議な変化を見せるカップから、ハイドラに視線を向けると――「視え」た。
「圧潰膨裂」。
効果は……今彼女が口にし、見せたこと。
「エイルは『他人の素養』が使えるのよね? 恐らくは『素養の名前』と『ある程度の素養の情報』があれば。
なら、これで私の『圧潰膨裂』を使えるようになったはず」
…………
「効果は、物質の『膨張』と『縮小』。膨張率にも縮小率にも限界があって、限界を越えたら物質は破壊される。主な使い方は道具を隠し持つ、暗器を仕込む、大量の荷物を運ぶ」
黙ったまま反応しない俺を見て、ハイドラは肩をすくめて笑った。
「なんのために見せたか真意がわからないし、相手がしゃべったからって自分のことを話す義理はない。そう思っている? でもそれでいいのよ。
さっき言った通り、あなたには死んでほしくないの。『私の素養』が役に立つかどうかはわからないけれど、手札は一枚でも多い方がいいわ。
これでほんの少しでもリスクが減らせるなら、それでいい。持って行って」
ハイドラは立ち上がる。
「さっき、セリエを戦友と呼んだわね? ――私もいずれあなたの戦友になりたいと思っているわ」




