340.メガネ君、召喚獣ゲット!
「――灰塵猫ね」
狩場である森の前で立ち止まり、さて魔物を探そうと気配を探り出す、と。
それと同時に、横にいるソリチカ教官が、いつものぼんやりした瞳でゆっくり左から右へ森を眺め回す。
「――あっちだね」
もう見つけたか。さすがは教官だ。
「精霊ですか?」
「うん。教えてもらった」
そうか。すごいな精霊。
「――エイルも身近で仲がいい精霊に色々お願いしてみればいいんじゃない?」
…………
とにかく真っ先に赤い目のあいつが思い浮かんで拒否反応が先に立つが、ぐっと抑え込んで考える。
「そもそも精霊ってなんなんですか? ソリチカ教官と精霊の関係って?」
ソリチカ教官が見つけてくれた灰塵猫に向けて移動しつつ、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
この話の延長線上にあるであろう、なぜ俺が邪神像 (真)に懐かれているのか。
その辺のことも知りたい。
「簡単に言うと、『風』とか『光』とか『闇』とか、そういう自然が持つ力の塊だよ。
意志がある者もいれば、そうじゃないのもいる。
見聞きした物事で自我が生まれたりするんだけど、基本的に生き物には無関心な子が多い。
私が交信しているのは、私の呼びかけに応える精霊だけ。その中で特に相性がいい……仲が良い子にお願いして、色々なことをしているわけ」
彼女の「素養」は「精霊憑き」というものだ。
俺は「精霊と交流できる」なんて、はっきりしない認識をしていたが……
この感じだと、もしかしたらソリチカ教官本人も、「自分の素養」をちゃんと理解してはいないのかもしれない。
「なんか色々曖昧なんですね」
「――覚えておくといいよ」
暗い森の中、俺の前を歩くソリチカ教官は、印象的なことを囁いた。
「あえて物事、現象、力、感情に名前を付けないこと。
定義することでそれの『形』を造ってしまうことがあるから。
その結果、人に敵意を持つ『形』ができることがある――曖昧なままの方が却って安全なこともあるんだよ」
…………
「ちょっとよくわかんないです」
「それでいいと思う。わからないからこそ、世界のバランスが取れていることもあるって話だから」
わからないからこそ、か。
彼女が「自分の素養」を理解していないのは、あえてそうしている部分もあるのかもな。
「ちなみに俺はなんで一部の精霊に懐かれてるんですかね?」
まあ一部っていうか、一つというか。腰にいる奴だけど。
「どうだろうね。はっきりはわからない。
ただ、可能性がある理屈から言えば、エイルの行動や思考を見聞きして、少し強い自我が生まれたから、かな」
見聞きというと、監視のために付けられた時だろうか。
「その精霊がエイルの本質を気に入ったのは確かだと思うけど。
まあ、精霊が気に入った理由は、私もわかる気はする」
ん?
「精霊が、俺を気に入った理由?」
「エイルの思考って弱肉強食に近いでしょう?」
弱肉強食。
強い者が弱い者を食らう、って意味でいいのかな?
「狩場に出たら、常に自分が狩られることを念頭に置いている。
邪魔だと思えば生き物を殺すことを躊躇わない。必要なら自分から殺しにも行く。害になるかも、と思っても殺す。
でもそれ以外なら無為に殺すことはしない。無駄にいたぶることもしない。必要な分を必要な分だけ仕留める。
言葉にすれば残酷かもしれないけど。
でもそれってすごく『自然寄り』な思考なんだよね。
自然の中では常にそれが行われている。
生き物は生きるために生き物を殺し続けている。普通にね。
――自然の中にいる個という存在として、エイルは『人間にしては自然な存在』なんだよ。しかもその辺の殺生を、善悪の感情を入れずに割り切ってるし。
そういうところが気に入ったんじゃないかな。
だって精霊って、自然そのものみたいな存在だから。基本的に弱肉強食なんだよ」
……そうなのか。
狩人としては当然って感じもするんだけど……
俺たちは自然に生き、また自然に生かされる。だから敬意を持って必要な獲物だけ仕留めろ、と。そう教わった。
ああ、でも、最近は狩人自体が減っているって話だもんな。
俺や師匠みたいな存在は珍しいのかもしれない。
「はあ……」
ソリチカ教官が重い溜息をついた。
「……しゃべりすぎて喉が渇いた……」
そういえば珍しく長々としゃべってましたね。
「で?」
「はい?」
「君は『私の素養』は使えないの? 使えたらその子ともっと交流できると思うよ」
それに関しては沈黙で答えた。
精霊。
ちょっと気になる存在ではあるけど、俺は常に交流できるわけじゃない。「素養の付け替え」なんてもので一時的に使えるようになるだけだからね。
この状態で精霊と――力そのもの、なんて存在と拘わるのは、危険な気がする。
ただでさえ、精霊どころか召喚魔法に関しても、ちょっと不安な要素もあるのだから。
――少なくとも、今は必要じゃないと思う。だからいいかな。
「――オァァアアアアアアア! オアアアアアアアア!!」
うわっこわっ。
気配を絶って近づいたにも拘わらず、灰塵猫は俺の存在に気づき、奇襲を掛けてきた。さすがは猫型の魔物である。
だが、それはわかっていた。
俺も灰塵猫の気配を察知していたから。
木の上から不意打ちを仕掛けてきたのを、「紐型メガネ」で返り討ちにして拘束した。
絡まる「紐型メガネ」で右前足と胴体を縛り。
不自由を強いられたせいで着地に失敗して地面を転がる灰塵猫を追い、追加の二本でしっかり全身を縛った。
あとは、高い身体能力でびたんびたん跳ねまわるのを抑えるため、普通のロープで木に縛り付けて固定する、と。
ふう。
なんとかうまくいったな。
「オァァアア! オァァアアアアアアアア!」
すごく怖い顔で牙を剥き、森中に響く声で威嚇してるけど。
敵意と殺意しかない目でこっちを見ているけど。
捕獲には成功した。
――うん、バッサバサで埃をかぶっている堅く薄汚い灰色の長毛に、顔は猫そのもの。まあ普通の怒っている猫を大きくして八倍くらい怖くしたような鬼気迫る顔ではあるが。
ただ、誰がどう見ても、巨大な猫ではある。
暗殺者の村にいた砂漠豹のアサンより、一回り大きいが……たぶん毛の長さでそう見えるだけだろう。本体は同じくらいだと思う。
白狼のシロカェロロと同じくらいだろうか。彼女も結構大きかったし。
まあ、その辺のことはいい。大きさは重要じゃないから。
あとは召喚魔法の魔法陣を近づければ、意志が伝わるとかなんとか言っていたな。
さっさとやってしまおう。
……できないと困るぞ。頼むぞ。
――ソリチカ教官には、周りの警戒を頼んでいるので、近くにはいない。
「紐型メガネ」を見られるのも嫌だったけど、それよりはじめて召喚魔法用の魔法陣を使用することが問題だった。
――そもそも「紐型」は、俺の腰にいる奴のせいで、伝わるかもしれないし。教官相手にはもう色々諦めている。
それよりはじめての召喚魔法だ。
交渉にどれだけ時間が掛かるかわからない。
しかも、交渉の間、俺がどんな状態になるかもわからない。
周りを警戒できない状態になったらかなり危険なので、教官には護衛に回ってもらったのだ。
ソリチカ教官が一緒に来てくれて助かった。
「オァァアアアアアァァアァアァアァアァアァ!」
激しく荒ぶる灰塵猫に近づき、「メガネ」に「召喚魔法」をセットして、エヴァネスク教官に教わった魔法陣を地面に展開する。
これで意志が伝わるはず――あっ。すごい。わかる。
それは言語ではなく剥き出しの感情である。
言葉じゃないせいか、かなりストレートに伝わってくる。
わかりやすいように言葉にすると――
――『ぶっ殺すぞこの野郎ぶっ殺すぞこの野郎! 絶対殺す殺す! 殺して食う! 食う! 腹減った食う! 内臓から食う! 喉を噛み千切って殺して食ってから殺して食う! とにかく殺す腹減った! あっ子供産みたい男欲しい! 殺す食う! 食う! 小さい人間肉とか少なくてがっかりでも食う! 殺す!』
……と、こんなところだろうか。溢れる殺意と食欲が止まらない。
これ大丈夫か?
交渉とかできる状態なのか?
興奮しきってない?
まあ……まあ、とりあえず呼びかけてみようかな。
――『こんにちは。召喚獣になってくれませんか?』
――『えっ!?』
あ、殺意を乗せた調べ(唸り声)が途切れた。黙った。すごい、意志が通じたのか?
――『私のことを愛してる? 私のことが欲しい?』
違う!
いやっ、違わない部分もある!
――『給与体制は? 休みは週八貰える? 私より弱い人間とか願い下げなんですけどぉー?』
と、あえて言葉にすれば、このようなことを言っていると思う。
というか週八の休みって。
日数より多めの休みってどう取るんだよ。
まあ、とにかく、働きたくないけど給料……食べ物をよこせ的な意志は、すごく強く伝わってきている。肉がいい的な意志も感じる。いいよね肉。
魔物って普段こんなこと考えてるのか……いやいや、思考自体はもっとシンプルでストレートみたいだけど。
いや、でも、人間からしても欲望を突き詰めればこんなもんかもな。
楽してお金を得て寝て過ごしたい。
ダメ人間の思考だが、誰もが共感できる欲望だろう。
で、交渉なわけか。
とりあえず「週八の休みが欲しい」なんてふざけた要望を、エヴァネスク教官曰く「ボッコボコ」にして、譲歩させると。
力による上下関係を示すことで、こちらが上だと教えればいいのか。
というか、この状況でよく強気な条件を出せるものだ。
身動きが取れない灰塵猫の前で、その辺に落ちていた棒を拾って見せる。
――『ちょっと殴るけどいい?』
――『話し合おう』
よかった。
自分の状況が理解できるくらいには、頭は良さそうだ。……俺だって生き物をいたぶる趣味なんてないからね。できればしたくはなかったよ。
その後の交渉は非常にスムーズに進み。
なんとか召喚獣として「灰塵猫」と契約することに成功した。




