336.メガネ君、大変なことに気づきつつ大帝国を後にする
――そう難しく考えなくてよかったのかもしれない。
百年進展がない竜人族の里の調査なんて大役を任されて、一気に胃が痛くなるほどのプレッシャーが重くのしかかってきたわけだが……
よくよく考えたら、これほど俺向きな調査はないのではないか。
そう思ったら、重く考えるのがバカバカしくなってしまった。
むしろ気を付けるべきは、調査を急いて失敗をしないこと。
なんなら「調査なんてしなくていい」くらい、とにかく大人しく収まっていることが肝要となりそうだ。
となると、慎重でミスが少なく、調査員ではなく竜人族とうまく交流できる人員が望ましいのではないか。
調査と区切るならば、断トツで推したいのは猫獣人トラゥウルルだ。
何せ彼女は「消える」し、気配の消し方一つ取っても、俺より優れていると思う。
あとはハイドラ辺りは得意なんじゃないかな。
なんかクロズハイトでこそこそ動いている的な噂は聞いているし。
――まあ、この辺のことは後回しにしよう。考える時間はちゃんとある。
朝の内に話が付き、次の俺の行動が決まった。
もちろん竜人族の里へ行くわけだが、ブラインの塔にある転送魔法陣で、獣人の国には行けるそうだ。
そこからは、いつも通りの走って移動となるそうだが――到着は十日から掛かって二週間くらいになるだろう、とのことだ。
その道中、ワイズは途中まで同行して七つの秘術について教えてくれる、と言っていた。
で、だ。
「――あ、エイルさん!」
午前中のほんの少しの時間を貰い、アロファの経営する猫屋敷にやってきた。
開拓村で金策をして以来である。
代官屋敷に忍び込む準備をしたり忍び込んだりで忙しく、ここには来ることができなかったのだ。
なので、これで二回目である。
店の前は何度か通ったけど、入ることはなかった。……何度誘い込まれそうになったかはわからないけど。
「どうぞ中へ中へ! ずずいっと! さあ!」
そうしたい。
ぜひそうしたい。
そうしたいのは山々だ。
だが、生憎ゆっくりできる時間はないのだ。
昼前にはネルイッツを発ち、クロズハイトまで戻る予定となっている。
まあ、もうすぐ昼時なので、ほとんど時間はないのだが。
というか、今現在が俺待ちみたいな状態になっている。
ワイズは「ついでの用事を済ませてあとで合流する」と言っていたが、ヨルゴ教官は俺と一緒に帰る予定である。
そして、教官は今、宿で俺を待っている。
俺が戻り次第出発という予定なので、ゆっくりはしてられない。
「今日はお別れを言いに来たんだ。他にお客さんもいるし、ここでいいよ」
「えっ」
「元々は旅人だって話したでしょ。次の街に行くんだ」
開拓村での狩りで、数日間も一緒にいたのだ。
差し支えない程度には、個人情報を話している。
まあ、当たらずとも遠からずなことしか言っていないけど。
「そうなんですか……まだお礼らしいお礼もまったくできていないのに」
いや、礼はいらない。
それを期待して狩りに参加したわけじゃない。
「それよりアロファ」
俺は、しっかりと言っておいた。
「いつになるかわからないけど、俺は必ずまた来るから。だから夢の猫屋敷を絶対に作ってほしい」
その夢はアロファだけのものだ。
でも、俺も、あの猫好きの軍人も、一緒に見た夢でもある。
ぜひとも実現してほしい。
猫がいる宿で、猫と一緒に過ごし、猫と一緒に寝たい。
俺は完成する瞬間を、夢が叶う瞬間を見届けることはできないけど。
しかし、完成した姿をいつか見に来るつもりだ。
「……わかりました。まだお店に出していない猫もたくさんいます。会いに来てください」
え、ほかにもいるの……?
俺が可愛がった四匹と、いずれ可愛がろうと思っていた一匹だけじゃなく……?
…………
見たい。触りたい。
それが叶わないなら、せめて情報だけでも。どんな猫がいるかだけでも知りたい。
……でもダメだ。本当に今は時間がない。
「必ず来るから」
「待ってます。必ず来てください」
アロファと固い握手と約束を交わし、大変名残惜しい猫屋敷を後にした。
いつか見るであろう夢の猫屋敷に想いを馳せながら……
「――よっ、エイル君」
あ。
猫屋敷から少し行き、予想以上に活躍したハシをくれたシュレンに土産でも……と考えて土産物屋を覗きながら歩いていると、知っている顔に会った。
キーロ・フルスバイト。
一緒に開拓村に行った、だらっとしたおっさん軍人だ。猫仲間であるマヨイの上司である。
「こんにちは。なんか久しぶりですね」
今日も軍人たちは慌ただしいようだが、あの事件の夜から二日目である。さすがに多少は落ち着いてきているかな。
「土産物屋を覗いていたようだけど、どこか行くのかい?」
「ええ。用事ができたので次の街に行きます」
マヨイによろしく伝えてください、と告げると――おっさんは煙草を咥えた。
「――俺の『素養』はね、魔力の可視化なんだ」
いきなりなんの話だ。
そう思う俺に構わず、キーロは言葉を続ける。
「魔力ってのは不思議なもんでね、一人一人違うんだ。まるで別物ってくらい違う場合もあるし、逆に同じじゃないかってくらいそっくりなのもある。
まるで人間そのものだね。
というわけで、一度見た魔力は見間違えない。――久しぶりっていうか、二日ぶりだろ? あの夜以来だね」
…………
ああ、そう。
あまりにも予想外の発言だったせいか、動揺さえしないな。
逃げる意識さえ生まれないのは――
「それで? 俺をどうします?」
キーロが俺を捕まえる気がないからだろう。
「――ははっ、やっぱり君は大したもんだな」
おっさんは一笑し、煙草に火を点けた。
「わかってるんだろ? 捕まえる気はないって」
そりゃ、すでに二日ほど放置されてますからね。
捕まえる気ならとっとと捕まえているだろう。
「捕まえてもいいかって進言したら、逆に言われたよ。あの事件は『影』と話が付いていたから放っておけってさ。
ま、こうして偶然会うこともなければ、言うこともなかったと思うけどねぇ」
そうか……会ったのも偶然だったのか。
「土産を探してるのかい? 君は蕎麦が好きだし、蕎麦の乾麺なんてどうだい?」
お、ソバの乾麺なんてあるのか。
「まあ暇ができたらまた大帝国に遊びに来なよ。舞鶴には伝えとくから。じゃあね」
と、キーロは俺を置いてとっとと行ってしまった。
……狩りの最中にも思っていたが、あの人は本当に掴みどころがないな。
…………
また会うこともあるんだろうか。
大帝国軍人は全員が普通に脅威だけど、あの人は特に、敵に回さない方がいい気がする。
……魔力の可視化、か。
「メガネの特性」でそれはできるけど、「素養」としては聞いたことがないな。なんていう「素養」なんだろう。
せっかくなので、ブラインの塔にいる全員分のソバの乾麺を購入した。
食べない人がいても俺が食えばいいし、残ったところで無駄にはならないだろう。日持ちもするし。
――そして俺は、ヨルゴ教官とともにクロズハイトへと向かうのだった。




