328.メガネ君、半日ぶりのご対面!
「……」
昨日の夜は遅かったはずだが、いつもの時間に目が覚めた。
衣服と、ついでに靴や道具類といった物も捨てて下着姿で粉雪亭に戻ってきた俺は、少しだけ開けておいた窓から部屋に戻り、普通に寝た。
気疲れはしたけど、体力的にはそんなに疲れていなかったせいか、いつもの時間に結構すっきりと起床することができた。
窓を見れば、まだ薄暗い。
ちらちらと白いものが過るので、昨夜から雪は降り続いているようだ。
大帝国では、本格的な冬になると結構積もるらしいけど。
俺はいつまでネルイッツにいることになるんだろう。
――ここで出会うとは考えもしなかった「召喚魔法」は、すでに手に入れている。
これで、これで!
夢の猫がいる生活が、俺のものに……!
気は急くものの、しかし惜しむらくは、使い方がわからないことだ。
いつか安易に試して自爆した「指花の雷光」で学んだ。
使い方のわからない「素養」は、試すのも恐ろしい。
その筆頭が、ドラゴンから登録したっきり手付かずのままの「素養・暴風竜」だ。
もはやないものと認識して忘れるべきなのか、それとも万が一の切り札と考えるべきか……それさえも判断ができていないくらいである。
詳細がわからない「素養」は怖くて使えない。
今回渇望した「召喚魔法」も、その類である。
まあ使い方云々以前に、魔法系は正しいやり方がわからないと発動しないと思うけど。
――そしてこの問題の解決法は、あらゆる魔法に精通しているというエヴァネスク教官に相談するのが、一番だと思っている。
ヨルゴ教官を見るに、もう教官たちには「俺のメガネ」は相当バレバレなので、全部自分から明かさないまでも神経質に隠す必要はないと思う。
暗殺者候補生でいられるのも、来年の春まで。
もう半年も残っていない。
今は遠慮なく教官たちに頼ろうと思う。
…………
で……そろそろワイズ・リーヴァントが来るって話だったはずだけど、どうなってるんだろう。
部屋を出て階下の食堂へ向かうと、そこにはヨルゴ教官が…………いるけど、お客さんもいるなぁ。
二人いて、一人は見覚えがあるなぁ。
暗がりではあったが、ほんの半日前くらいに会っているから、さすがに忘れないなぁ。
……そもそも「蜘蛛の性質を持つ体温のない女性」という謎の人物なので、俺の中でも非常に印象深い。さすがに忘れようもない。
「……」
あ、見つかった。
引き返した方がいいかも、と思ったのもつかの間、ヨルゴ教官に見つかって手招きされてしまった。
そんなヨルゴ教官の動きに反応し、教官と同じテーブルに座っている、軽装のじいさんと異国の趣が強い蜘蛛の女性が振り返る。
…………
あー……あれは二人とも強いなぁ。
いや、女性が強いのは知っているが、じいさんの方は……あれは、なんだろう、まずいな。まったく強そうに見えないのに、本能の危険信号が激しく点滅している。
やっぱり逃げるのが正解だったな。
でも、見つかった以上、もう逃げられないだろうし。
「あの、お邪魔そうなので」
失礼しますね、と。
一応歩み寄って、誰とも目を併せず続けようとしたのだが。
「いいから座れ。この二人の紹介はできないが、一緒に朝食を食べよう」
…………
あ、そう。紹介はしないと。つまり非公式のお客さんなわけだ。
じゃあ大丈夫だな。
厄介な人たちが厄介なことを押し付けに来た的なことではないんだね。
なら、ましてや昨夜の恨みを晴らしに来たということも――
「……はあ? 男? 彩様のお部屋に男の侵入者?」
…………
女性の顔が怖いんだけど。
そのガラス玉みたいな感情のない目と仮面みたいな笑顔やめろよ。すごく怖いよ。
「あの……もしや昨夜の報復に――」
「なわけねぇや。むしろ礼を言いに来たんだぜ。その姐さんは気にせず、まあ座んなよ」
気にならない方がおかしいとは思うが、まあ、気にしないのが一番なんだろう。
でも、そもそもだ。
怖いことを態度で見せてくれる女性より、穏やかそうに見えるこのじいさんの方がよっぽど怖いんですけどね……
怖いと言えば、暗殺者の村にいたあのおじいちゃんのことを思い出す。あの人のことは最後まで何もわからなかったし、話す機会もなかったんだよね。
この人は、あれと同種な気がする。
……あんまり考えすぎないようにしよう。気にしたら胃が痛くなりそうだ。
穏やかな四人での朝食が始まった。
表面上は。
少なくとも俺の内心は穏やかではない。
でも、穏やかだろうがそうじゃなかろうが俺の気持ちなんて関係なく、この高級宿の食事は、今日も皮肉なくらいおいしい。ハマグリの炊き込み飯うまいなぁ……!
「坊主、うちのもんが世話になってるよな? ありがとよ」
え?
ハマグリ飯に夢中だった時、いきなりじいさんにそんなことを言われたが、何がなんだかわからない。
「この人は大帝国側の自分たちのような者である。わかるだろう?」
あ、あの「隠れた護衛」方面の人か。……そりゃ強いはずだな。
「ついでに言うと、シュレンは彼ら側の人である」
あ、そうなんだ。あの訓練生の東洋人が。
「いわゆる交換留学的な感じで?」
「簡単に言えばな。割と恒例なのだ」
そうか、なるほど。
このじいさんの関係者だっていうなら、そりゃシュレンも強いはずだな。
……にしても、割と恒例なのか。交換留学。
ナスティアラの技術が他国に流れる的な心配をするのは、恒例のことであるなら、今更なんだろうね。
もしかしたら、俺の想像も及ばないような裏があるのかもしれないし。
「シュレンとはあんまり接点はないんですけどね……そうだ。このハシ、シュレンから貰いましたけど」
「ああ、一目見てわかった。――そりゃ俺たちにだけわかる身分証明みたいなもんでな、そいつを持ってるってことは俺たちの関係者って証なんだ。
ま、なんかあった時、ある程度は便宜を図ってやるくらいしかできねぇがね」
へえ。これが。……俺にはわからない目印みたいなものがあるんだろうか。
…………
このハシを渡す時にシュレンが言っていた「おまえと縁があった」という言葉、意外と当たっていたのかもしれない。
彼がここまでの一連のことを予想できたはずはないが、しかし俺が「隠れた護衛」と拘わる可能性は感じたのかも。
まあ、合縁というよりは奇縁っぽいけど。
「坊主ほどできる奴が傍にいるなら、あいつも気合いを入れて訓練に邁進できるだろうよ」
いやあ、どうですかね。
俺なんて訓練生の中では平均くらいなもんだし。
…………
それにしてもだ。
「……あの、何か?」
最初からずーっとじーっと見てくる蜘蛛の女性が、気になって気になってしょうがない。気にしないにも限度がある。すごい見てるし。見てくるし。
「いえいえ」
女性はにこやかに笑う。まったく笑っていない目で見ながら。
「ぬし様のすべてが気に入らないので仕方ないですえ」
…………
「せめて女人であればまだ留飲は下ろうというのに……ねえ?」
ねえと言われても……ん? ……女人?
「ああ、そうだ。小僧、貴様に女装をさせた理由は、嫁入り前のお嬢様の部屋に男が忍び込むのが好ましくなかったからだ。表向きの体裁というやつだな」
と、ヨルゴ教官が結構予想外な真相を告げた。
え……嘘だろ。
「なんとなくで用意したわけではなくて? あの衣装を選んだことに意味が?」
「まあな。ただ貴様が気付かなかったのも無理はないとも思うが」
いや、そりゃそうでしょ。
なんか事情があることくらいわかっていたから強いて言う気はなかったけど、この流れだ、言うぞ。
「俺は誰にも見つかる気なんてなかったですから」
俺は、誰かに見つかって自分に火を点けて派手に逃げ回って大帝国軍人たちに囲まれる予定なんて、本当になかったから。
誰にも見つからないのであれば、女装しようが俺のままだろうが、何も関係なかったし。
どこにも角を立てずに事を済ませたかった。
嘘じゃない。
昨日の脱出劇は、いろんなシミュレーションはしていたが、その中でも最悪の部類に入る選択の一つだった。
「――事前に教えなければ、この人が護衛に付いていたかもしれんがな」
…………
やっぱり事情があったか。
そうだね、このじいさんが護衛に付くのは反則だろ。
この人がいたんじゃ俺には歯が立たないと思う。
もしあの夜、じいさんと遭遇していたら、逃げることさえできたかどうか……
「まあまあ、いいじゃねえか。
代官屋敷に忍び込んだ犯人は女で、未だ見つかっちゃいねえ。もちろん折を見て、俺が用意した密偵だったって公式に発表する。
――昨夜の一件で確信したぜ。全員腑抜けてやがらぁ。しごき上げる口実には丁度いい事件だぜ」
…………
ごめんね、マヨイ。近い内に地獄の訓練が始まるかもしれない。
 




