325.代官屋敷侵入作戦開始 3
今回、エイルはほぼ初めて、「狩りとは違う」という意識を念頭に置いて準備をしてきた。
自分がするのは、ただの狩りでも、魔物狩りでもなく、暗殺者がやるようなことだ、と。
しかも単独で、誰にも責任を問うたりなすりつけたりできない、誰に対しても言い訳のできない悪いことをするのだ、と。
そう考えた時、エイルが真っ先に考えたのは――道具類の処分である。
自分では完全に逃げ切れた、誰にも発覚されずにやり遂げた。
そう考えるのが一番の落とし穴だ、と。
安全圏に帰るまでが狩りである。
しかし暗殺者の仕事は、安全圏に帰ってからのことも注意しなければならない。
もし誰かにつけられていたら?
もし誰かに追って来られたら?
予想もできないような「素養」で、逃げ込んだ安全圏まで追跡される可能性は多いにある。
特に今回は、召喚獣が絡んでいる。
獣――動物には鼻の利くものがいる。
逃げ切れたと思った先で、しかし追ってくるかもしれない。
そして追われた先で、動かぬ証拠が出たら、終わりである。
この場合の動かぬ証拠とは、仕事で使った道具類――
特に、衣装である。
ただの目撃情報、目印になるような破損をした、追跡するための何かを付けられた、等々。
服には証拠が残りやすい。
そう考えたエイルは、今回の代官屋敷侵入作戦が発覚しようがしまいが、衣装は処分することを決めていた。
どこでどんな足がつくかわからないのだ。
証拠品なんて、いつまでも手許に持っていていいわけがない。
(――こんなケースは予想外だったけど)
しかし、予想外にも役に立ちそうだ。
しっかり準備した賜物だとでも思えばいいのだろう。
「――一つだけ、いいですか?」
沈黙を守っていたエイルは、覚悟を決めてアヤに声を掛けた。
「はい、なんでしょう」
そう答えるアヤは――少し首を傾げた。
チリチリ
聞こえ出した、何かがくすぶるような聞き覚えのある音に、違和感を感じたからだ。
なんの音だろう。
不意にちらちらと明かりが漏れ出すと、すぐに正体に気づいた。
「――火事になったらごめんなさい」
エイルがそう言った瞬間、エイルの身体から火の手が上がった。
処分する予定だった衣装には、臭わない程度にだが、油を染み込ませてある。
代官屋敷から帰る途中で、焼き捨てるつもりだったのだ。
着火は「指花の雷光」である。
「雷の力」で火花を起こし、衣装に火を点けた。
そして急いで「素養・逆撫でる灼熱」に切り替える。
この「素養」は、単に自分の体温を調整するというものだ。
今回の侵入作戦に当たり、「池に入って潜伏する」という一手を考えた時、「冷水の中でも有効かどうか」を試した時に、逆の発想で見つけた特性だ。
体温を調整する「逆撫でる灼熱」は、冷気に強く、また火にも強かった。
体温を調整するために外気を遮断する効果もあるのだろう。
熱い寒いは当然感じるが、少しの間なら火傷や凍傷を負うことはない。
つまり、服に火を点けても、数十秒くらいなら身体は耐えられるということだ。
油を吸った服が燃え出すと、幾重もの層になってガチガチに固まっていた糸が、チリチリとほつれるようにして焼け切れていく。
あっという間に拘束が解け、火にまみれたエイルは畳に降り立ち――戦線離脱のため、即座に入ってきた襖に背中から突っ込んだ。
(――見えた!)
突然の賊の発火に驚くアヤとヤト。
そのヤトから、離脱しつつ目を離さなかったエイルは、確かに見た。
ヤトの背後に、左右二本ずつ、異形の黒く長い腕が伸びたことを。
(――そうか! 蜘蛛か!)
ヤトの本当の正体はわからない。
だが、両手両足を含めて八本の手足があるその姿を見て、彼女が「蜘蛛の何か」であることははっきりわかった。
さっきの見えなかった一撃は、長い腕を使った視覚外からの攻撃だったのだろう。
そして点が繋がる。
屋敷の敷地内に潜入した時、季節外れの蜘蛛の巣を払った。
きっとあの時察知されたのだ。
あれは虫の置き忘れではなく、いわば鳴子だったのだろう。
自分の不覚をようやく悟りつつ、背中から襖をバタンと押し倒し隣室へ。
追い駆けるように迫ってきたヤトの腕を転がりながら回避し、更に障子戸を破って庭先に飛び出した。
屋敷から飛び出した勢いそのまま、薄く積もる雪の上をゴロゴロ転がり、衣装の火を消す。
まだ侵入中である。服を失うわけにはいかない。
ガタンバタンと襖を倒し障子戸を壊し、騒がしく乱暴な逃走を計ってしまった以上、すぐに軍人が――
「――何者だ貴様ぁ!!」
すぐどころの話じゃなかった。
軍人たちの動きは、思った以上に速かった。
転がりつつ移動し、止まることなく外壁を越えて逃走しようと思っていたのに。
転がっている間に、見張りの連中が駆けつけてしまった。
彼らはどこで気づいたのだろう。
襖を倒して逃げた時だろうか。
(――うわ危な速っまだ熱い!!)
しかもエイルに立ち上がる間さえ与えず、誰何した軍人は、状況把握より先に斬りかかってきた。
瞬時に「逆撫でる灼熱」から、回避に優れる「風柳」に切り替え避ける。服に残った余熱が熱い。
やたら鋭い剣撃をかわしながら、まだ油をなめている衣装の火を消していると。
ピィィィーーーーー!
夜の静寂をやぶり、屋敷中が覚醒する、甲高い笛の音が響いた。
すばしっこく転げるエイルを追って剣を振るう軍人と一組になって動いていた、もう一人の軍人が笛を鳴らしたのだ。
一刀の下に斬り捨てられるならともかく、剣線をしっかり回避するエイルの動きに、逃走の可能性を見たせいだ。
変に意地を張って仲間を呼ばずにまさかの失態を演じるより、素直に応援を呼んで確実に殺す。
笛を咥えた軍人は、クールにそう考えたのだ。
(――まずいまずいまずい! 逃げるタイミングがない!)
そしてエイルは焦っていた。
笛を鳴らされた。
すぐに応援がやってくる。
なのに逃げられない。
エイルを追い回しているのは、軍人一人である。
いきなり斬りかかるほど血の気が多いくせに、いつしか「斬るため」ではなく「逃走させないため」に剣を振るうようになっていた。
ほんの一歩、いや半歩でも外壁に寄ろうとすれば、あと半歩進めば斬られる場所を牽制して狙ってくる。
血の気はやはり多いのだろう。
しかし、それに踏み込み過ぎない冷徹さをも持っているということだ。
笛を鳴らした軍人と同じように、勝負にのめり込み過ぎず、どこか冷静に状況を見ている。
熱くなる相手ならどうとでもなるが、これはさすがにきつい。
やはり個が強い。
それも異常に強い。
――警笛を聞き、詰め所や屋敷の周囲にいる軍人たちが駆け寄ってくる。
――屋敷の住人も起き始め、起き抜けに取る物もとりあえずといった体で、刀だけしっかり持ってくる。
――そして、アヤとヤトも出てくる。
気が付けば、エイルは囲まれていた。
そして、そんなエイルを上から見ている闇と「影」たちは、候補生の派手な失敗に、結構ニヤニヤしていた。
明日5月15日、「俺のメガネはたぶん世界征服できると思う。」3巻が発売になります!
ニヤニヤしながら買ってくださいね!!




