323.代官屋敷侵入作戦開始 1
代官屋敷を覗ける高所というのが近場になかったため、かなり遠目からになったものの。
エイルは遠所を見るための「素養・遠鷹の目」と「メガネ」特有の技能を駆使し、かなり詳細に観察することができていた。
時間があれば昼夜問わず観察していた結果、いろんなことが判明した。
まず、深夜帯から翌朝までの警備シフト。
あえて教官に教えてもらわずに自分で割り出した結果、だいたい四勤交代ほどになっているようだ。
寒さのせいか、それとも一人当たりの負担を減らすことで勤務中の集中力を高めるのが狙いか、その辺の事情はわからないが。
とにかく四回交代するのは確認した。
今は、ちょうど二回目の交代が終わり、しばらく経った頃である。
交代当初はやる気も集中力も高い。
だから、しばし時間が過ぎ、次の交代まで時間があるというちょうど中間のような時間を狙い、作戦決行時刻と定めた。
つまり――
「ふぁぁあ……」
目の前の人物が欠伸を漏らす。
そう、寒さに身が縮こまり、集中力が薄れてきて、早く交代時間にならないかと思い始める時間だ。
交代したばかりだから頑張ろう、でも。
もうすぐ交代だからもうひと頑張り、でもなく。
まだ半分ほどだ、面倒臭い早く終わらないか、と思い始めそうな、始まりにも終わりにも偏りのない頃だ。
「――ぐっ、うっ」
その証拠に、退屈そうに欠伸を漏らす「隠れた護衛」の背後にエイルは忍びよった。
季節外れに残っていた蜘蛛の巣を強引に突き破り、右手で口を塞ぐと同時に、背中に当てた左手に「電の力」を走らせる。
ビクンと大きく震えると、「隠れていた護衛」は失神した。
ハイディーガのロダに教わった「指花の雷光」の使い方の一つである。
そこそこの強さの「雷」を押し付ければ、油断している人くらいなら簡単に気絶させられる、と。
ブラインの塔で過ごしていた頃、時間を作ってクロズハイトの酔っぱらいや絡んでくるチンピラ相手に、何度か試し撃ちはしている。
ちなみにチンピラはともかく、酔っぱらいには小銭を握らせて了解を得た上で試した。何せ酔っぱらいなので正気だったかどうかは謎だが。
意識を失い、力が抜けて倒れそうになる「隠れた護衛」をゆっくり地面に横たえつつ、エイルは「やっぱりこの『素養』は対人戦に特化してるな」と思った。
これほど簡単に、しかも比較的静かに人の意識を刈り取れる「素養」なんて、やはり暗殺者向きだと思う。
――まあ、それはともかく。
エイルが外壁を越えて忍び込んだ先は、代官屋敷を正面に臨み、屋敷の右前方付近の角である。
ここは池があり、植物が植わり、比較的隠れる場所がある絶好の侵入ポイントだ。だから選んだ。
――そして、だからこそ、「隠れた護衛」が常に滞在している場所でもあった。
軍人たちは定期的に詰め所から出てきて、屋敷の周囲を見回りする。
対してこの「隠れた護衛」たちは、一ヵ所に留まり常に見張りをしている者である。
黒い服を着て、黒い頭巾を被り、目元だけ空けているというはっきり怪しい黒ずくめの格好からして、もしかしたら大帝国でいうところの暗殺者に近い者なのかもしれない。
彼らは、遠目に見ていてもかなり動きが良かった。
エイルの方こそ、集中して見ていなければ、交代する時にしか出てこない彼らを見逃していたかもしれない。それほどの存在だった。
だが、どれだけ腕が良かろうと、集中力を欠き油断している相手なら、この通りである。
エイルが外壁を越えて降りた先は池の近く――うねりまくった木や背の低い植え込みと、隠れる場所が多い中、すぐに闇に潜む「隠れた護衛」を発見できた。
しゃがみ込んで植え込みの陰に隠れ、屋敷の方を向いて見張っていたようだ。
だから、エイルの侵入と接近に、まったく気付かなかった。
とりあえず失神させた護衛を、植え込みの奥の方に押し込んで隠しておく。ささやかだが植物で寒波を和らげるためでもある。少なくとも降雪は当たらないだろう。
(――侵入はできた。次は――)
エイルは「体熱視」で、周囲を見た。
(――……いるなぁ)
代官屋敷のことも調べた。
典型的な東洋の武家屋敷、というものらしい。
特にここは寒い土地で、よく雪も降る。
だから湿気などが伝わらないよう、地面と床が少し離れた造りとなっている――いわゆる高床式の住居に近いそうだ。
天井も、屋根裏を大きく取ることで、寒暖を緩める効果があるとかないとか。
――つまり床下と天井には人が入れるほどのスペースがある、ということだ。
そしてそこはすでに先客がいる、というのが、はっきり判明した。
床下の隙間から見える赤い光は、熱を放つものがいる証拠……人が潜んでいる証拠である。
この分だと上にいないわけもないだろう。
さっき気絶させた「隠れた護衛」が隠れるなら、やはり要人に近い床下や屋根裏だろうとは思っていたが、大当たりだった。
さてどうするか、先に邪魔になりそうな床下の連中を倒しておくか――
思案するエイルの目の前を、灯りを持った見回りの軍人二人が通り過ぎていった。
元々、時間を掛けるつもりはない。
今すぐにだって気絶させた者が目を覚ますこともありえるし、エイル自身のように「体温が視える」なんて「素養」を持つ者がいるかもしれない。
あるいは、なんらかの「素養」で他者と意識が繋がっているとか、予想だにしない行進技術で連絡を取り合っていたりもするかもしれない。
単独の護衛なんて怖くもなんともないが、連携の取れた護衛は非常に厄介だ。
そして、大帝国軍人のような強力な個を育てる力があるこの国が、簡単な連携さえ取れないわけがないだろうと思う。
予想もしない要素から発覚するかもしれない。
のんびりしていたら、どんどん首が絞まっていく。
それが潜入というものだ。
弓の師匠と一緒に魔物の巣に忍び込み、卵などを失敬してきた時も、これくらい緊張したものだ。
あの時も今も、見つかれば命が危ないのは変わらない。
ただ、相手が魔物か人かの違いがあるだけだ。
いや、いざという時は話が通じそうな分だけ、こっちの方がまだ簡単かもしれない。
――素早く。
見回りが通りすぎ、屋敷の側面に折れた瞬間、エイルは植え込みから飛び出し走り出した。
「素養・砂上歩行」をセットして足音を殺して走り、素早く縁側に駆け寄り、一気に登る。
下手に立ち止まったら床下の護衛たちに見つかってしまう。
エイルは思い切って縁側へ昇り、外気に晒される屋敷の壁に背を付けた。
壁に張り付き、軽く広げた右手は、すでに引き戸へ掛けられている。
縁側に昇るなり、身を刺すような寒波が緩んだ。
やはり外気が入らないようにし、屋敷に染み込む寒暖を操作しているらしい。ちなみに粉雪亭などもそういう造りになっている。
まあ、そうじゃないと、こんなもろい紙の壁でこの寒さを防げるわけがない。
障子というらしい木組みの格子に厚手の紙を貼っただけという防御力を疑う壁は、東洋独特の扉である。
――観察していた限りでは、この障子の先の部屋が、お姫様の部屋のはずだ。




