321.メガネ君、ちょっとやる気になる
「――必要なものは手に入れてきた」
俺と一緒にヨルゴ教官の部屋に来たその人は、部屋に入るなり俺を追い抜いてヨルゴ教官が着くテーブルに向かい、折りたたんで持っていた紙を広げる。
ちなみにヨルゴ教官はやはり本を読んでいたようで――しかし俺たちが来るなり本を閉じた。
「段取りも済ませてある。ほかに要望は?」
「まず説明を頼む。不備があるかないかはそれからだ」
「了解――小僧、こちらへ来い」
さっき俺の背後を取った、なんとも表現しづらい、どこにでもいそうな中年男性が俺を振り返った。
恐らくこの人は、この街で俺に付いている監視の人だ。たぶんね。
特徴らしい特徴は、特にない。
本当にどこにでもいそうな、少し腹の出た、どこでも見られそうなおっさんである。
だからこそ監視向きなのだろう。
目立たない、という長所が活きる役割だから。
しかし、それらは見た目だけの話である。
気配は読めないわ動きに隙はないわ、こちらに視線が向いているはずなのにやや焦点をずらし視線を感じさせないわ、あらゆる要素が普通のおっさんではない。
きっと後方支援をする人でもあるのだろう。
なんかちょっとザントを思い出すな。ハイディーガの。あのおっさん元気かな?
ヨルゴ教官が何かしら頼みごとをしていて、おっさんはそれをこなしてきたようだ。
きっと俺のアレに直結する、重要な仕事を片付けてきたに違いない。
俺は何も言わず、テーブルに歩み寄った。
こういう役割の人は、俺と同じで、個人的なことを質問されるのも誰かに見られるのも嫌だろうから。
「まずはこれを見ろ」
おっさんはテーブルに広げた紙を指す。
――こ、これは……!
「代官屋敷の見取り図だ。正確には敷地内の図面だが」
そう、俺が欲しかった情報である。
屋敷の図面。
これさえあれば、実物を見なくても九割くらいはわかるってすばらしい代物である。
「記録上は増築も改築もしていないので、これで大きな違いはないだろう。
どこが標的の部屋かもわかるが、それについてはヨルゴより情報の解禁を許されていない」
なるほど。
見取り図は見せるが、召喚魔法を持つお姫様がどこの部屋を使っているかは自分で調べろ、と。
無言で頷く俺に、ヨルゴ教官が言った。
「お望みとあらば開示してもいいが。どうする?」
「いえ、これで充分です」
代官屋敷は広い。
部屋数も多いし、屋敷に負けないくらい広く取られた庭には池があったりもするようだが。
しかし、要人の部屋と考えれば、候補はそう多くない。
たとえば極端に小さな部屋は、物置か、住み込みの使用人が使っているだろう。
少なくとも、家主の家族の寝室になっているとは思えない。
逆に大きな部屋も、大きいだけでは使い勝手が悪い。
特に東西南北の四面に出入り口がある大部屋なんて、それだけで人の出入りが多い部屋であるを示唆している。
誰かの私室としては相応しくない。
むしろ客間とか応接間だろう。
となると、家主の家族に当てがわれる部屋は。
ほどほどに広く出入り口がそう多くない――それも必然的に日当たりが悪くなる奥の間ではなく、ちょっと戸を開ければ庭が見えるような、そんな部屋ではなかろうか。
私室と寝室が別だとしても、その場合は隣室同時だと思うし。
――うん、そう考えると候補は二つ三つだ。これなら俺一人の見張りで見つけられるだろう。
お姫様が一日中部屋にこもっているようなタイプでもなければ、一日に一回くらいは庭先に出てきてもおかしくない。
その姿を見て、行動を追えれば、自ずと部屋も割り出せそうだ。
「次に、屋敷の内外で警備している軍人たちのシフト表と、現在の見回りルートのリストがある」
おお、すごい。
さすがは本職の暗殺者、こういう調査は得意中の得意ってことか。
「だが、これはきっと使わないだろう」
そうだね。
思いっきり時間を掛けていいなら、軍人一人一人をしっかり調べ上げて、場合によっては接触したり揺さぶったりして、警備に穴を空けてみたいところだが――
俺に許された時間は、あと数日だけだ。
ワイズ・リーヴァントが来たら、俺の用事なんて完全に無視されるだろう。
彼が来るまでが俺の自由時間で、それ以降はきっと自由な時間なんてないと思う。
だから、調査と準備に使える時間は、あと二日か三日くらいだ。
「段取りも付いている。三日後の夜、決行するように」
あれ? 日時指定が付いた?
これは予想外だった。
まあ、きっと言われなくても、ギリギリまで調査と準備に時間を掛けるつもりではあったが。
でも、指定が入るとなると……
…………
言っていいのか?
いや、言うべきだろうな。
何せ、命を張るのは俺自身なんだから。
「なんのための日時指定? 裏があるとしか思えないんだけど」
はっきりそう言ってやったら、おっさんは特に気分を害した様子もなく、ヨルゴ教官を見た。
そして教官が言う。
「言っただろう。こちらで最低限の保証はする、と。まだネタを明かすつもりはないが、貴様にとってマイナスにはならん」
……ふうん。
「ちなみにネタについては考えるなよ。
貴様ならすぐに思い当たりそうだが、考えない方がきっと自然体で任務に当たれるはずだ。もし変に答えに思い至れば、却ってぎこちなくなるかもしれん」
…………
確かに、裏に何かあると考えすぎたら、俺の行動に支障が出そうではある。
……じゃあ、教官のいう通りにしようかな。
不意の日時指定。
絶対に何か意味があるはずだ。
が、教官が俺に不利になるようなことをするとは思えないし、これに関してはもう考えないでおこう。
おっさんは、用事は済んだとばかりに「必要な物があれば調達してやる。いつでも声を掛けろ」と言い残し、部屋を出ていった。
代官屋敷の見取り図は置いて行ったが、これはヨルゴ教官預かりとなっているので、俺はここで見るだけだ。
持ち出すことはできないし、メモもするなと言われた。
もし持ち出して軍人に見つかったら、かなり危険な代物だからだろう。
だからここで頭に入れろ、ってことだね。
……まあ、候補だけ絞れば、屋敷内の部屋の配置をすべて憶える必要はないだろう。
むしろ屋敷内ではなく外、庭先の様子が気になる。
無事敷地内に潜入できたとして、まず隠れるのは庭になるだろうから。
池があるんだよなぁ……
でも、この寒い時期に池に潜るなんて、自殺行為も甚だしいよなぁ……
「エイル」
見取り図を睨み考えを巡らせる俺に、ヨルゴ教官が声を掛けてきた。
「非常に楽しみであるな? 果たして貴様は大帝国軍人どもを出し抜くことができるのだろうか」
…………
「完全に楽しんでますね?」
「うむ。候補生の成長を実戦形式で見る機会が巡ってきたこと、素直に感謝したい」
…………
まあいいですけど。
俺は俺の目的のためにやるだけだから。
「監視の連中も浮足立っているぞ。まだ一人前でもない暗殺者候補生が、この難しい任務をやり遂げられるかどうか、とな。
事実だけ言うなら、単独でやるとなれば、現役でも難しいところだ。
自分もかなり苦労するだろう。
特に『殺さない』というのが、難易度を上げる要因である。片っ端から始末することができん以上、自分には無理かもしれん」
ああそうですか。さらっと危険なことも言って。
「賭けとかしないでくださいね。不謹慎だから」
「はっはっはっ」
うわ、ヨルゴ教官が笑った。珍しい。
「安心しろ。すでに賭けている」
……あ、そうですか。完全に物見遊山的な気分だと。高みの見物をするつもりでしかないと。ああそうですか。
「儲かったらなんかおいしいものおごってくださいね」
「いいだろう。褒美に高い牛鍋屋に連れていこう」
牛鍋……肉料理かな?
…………
肉か。
ネルイッツに来てから、あんまり食べてないんだよな。
肉の褒美か。
――少しやる気が出て来たかな。
 




