312.メガネ君、肉への信頼が揺らぐ
「好きにしろ」
注文したお茶やみたらし団子や猫を軽く堪能した後、急いで粉雪亭に戻り、ヨルゴ教官に話したところ、とても簡素な返事が返ってきた。
好きにしろ、と。
ちなみにヨルゴ教官は、食堂とは違うテーブルのある部屋……それこそさっきまで俺がいた茶店のような場所に居て、本を読みながら湯気のぼる黒い飲み物を飲んでいた。
外は雪が降る昼下がり、温かい部屋でお気に入りの本と飲み物で贅沢な一時を。
そんな感じである。
それにしても、食堂以外でも飲食できる部屋があるとか、どういうことだ。意図がわからない。
本当に恐ろしい宿だ。一泊いくらするんだ。
「いいんですか? 街の外に出ても」
「監視はいいのか、逃げてもいいのか。そんなつまらんことを言ってくれるなよ?」
改めて本に視線を落とし、ヨルゴ教官はぺらりとページを捲る。
「それができると判断する愚か者なら、貴様はここにはいない。それができないとわかっているからここにいるのだろう? 自覚がないとは言わせんぞ」
……まあ、俺が察知できない監視が付いている時点で、その辺の自覚は嫌でもしてしまうけど。
「それと、自分の予想に反して計画通りに進んだので、ここで言っておく」
計画通り?
「自分の計画では、貴様はこの街で大帝国軍人となんらかの形で関わると思っていた。それだけの腕があれば向こうが放っておかんからな。
それを含めて、好きにしていいぞ」
そこで言葉を切り、俺にチラリと向けられた目。
いつも冷めた顔をしているヨルゴ教官には珍しく、どこか楽しんでいるかのような不敵な笑みが浮かんでいた。
「奴らは敵に回すと面白いぞ? 血眼になってどこまでも追いかけてくる」
あ、それはいいです。全然面白くないです。
…………
ああ、そうか。
なんらかの形で関わるってのは、敵対することも含めてってことか。
俺は敵に回す気なんてさらさらないけど、相手の意向はわからないからね。一方的に敵視されることもあるだろうし。
「――ああ、それと。話は変わるが、今晩の予定はどうなっている?」
え? 話が変わるの?
「今晩は……たぶん空いてますね」
「好きに過ごせ」と言われたのがついさっきで、なんだかんだですぐ戻ってきた形である。
そして今「好きにしろ」と言われたわけで。
猫屋敷関係以外の予定が入り込む余地なんてなかった。
そして猫屋敷関係は、アロファはともかく、マヨイは今すぐ狩場へ行くことは無理だろう。彼女は職務があるから。それに上司が同行するとか言っていたし。
どんなに早くても、出発は明日の朝となるだろう。
「では夕食を予約しておこう。一緒に天ぷらを食おうではないか」
はあ、てんぷら……知らないなぁ。東洋の料理かな?
「どうだった?」
「好きにしろってさ」
粉雪亭の前まで一緒に来て待っていたマヨイに、猫屋敷の資金稼ぎに参加できる旨を伝える。
「それは重畳だな。ではこちらも準備せねば」
準備か。
俺も狩りの準備をしとかないとな。
「どれくらいの期間を予定してるの?」
「移動時間を含めても二日か三日だな。どんなに時間が掛かろうと四日ほどだろう」
つまり最長四日か。
俺の自由はだいたい一週間という話だから、日程は問題ないな。
「大帝国での魔物狩りには何が必要になるの? 俺も準備しておきたいんだけど」
日程は数日。
慣れない土地だし冬場だから、食料の現地調達は期待しない。だから食料は必要。あと火を起こす燃料と、テントなんかも持っていくべきか。
テントは……冬用となると高くつくだろうなぁ。
寒さを乗り切るための毛布なんかも必需品となってしまう。
一人なら「素養」を駆使してどうとでも過ごせそうだけど、四人行動になるみたいだしなぁ。
「必要ない。
最西端の開拓村を拠点にするので、寝る場所も食料も調達できる。無論、矢なども補充できるだろう。
向かうのは大帝国西部に広がる未開拓地直前の最前線だからな。戦うための準備なら現地で不備はないぞ」
あ、そうなんだ。
「じゃあ夜はその開拓村で休んで、日中で狩りをするってことだね?」
「いや、日中とは限らない。夜行性の魔物もいるからな」
なるほど。夜が狙い目の魔物もいる、と。
「現地で状況を見ないと、何を狙うべきかはわからない。すまんな、はっきりしないで」
狩場の状況は刻一刻と変わるものだ。
それこそ、状況がよくわかっていないことをはっきり言われても逆に困る。
「だが、やはり狙うなら――」
マヨイと話をしつつ、大帝国南部の国境街ネルイッツを軽く案内してもらった。
実は、俺が起床した時間は昼過ぎで、ヨルゴ教官と食べたのは朝飯ではなく昼飯だった。それも遅めの。
つまり半日くらいぐっすり眠りに着いていたわけだ。
道理でしっかり寝たと思ったわけだ。
「――明日から数日、仕事を代わってくれる同志を探さねばならん」
マヨイは夕方から夜勤――新人の仕事である外門の警備に当たるらしく、夕方までは空いているというので、その間の時間潰しに俺の案内をしてくれると言い出した。
「――いつもはこの辺にいるんだが……」
特に頼む気はなかったが、大帝国に関しては知らないことだらけである。
明日からの狩りも含めて、聞きたいことは山ほどある。
なので彼女の厚意を受け取り、案内してもらうことにした。
「――あ、いたいた。見ろエイル、いるぞ。ここは絶好の猫ちゃんスポットだ」
お、ほんとだ。いるいる。寒いから床下で十匹くらい固まってる。……野良だからすごい警戒してこっち見てるな。
「――夜はまた違う場所に固まっているのだ。食事は……すでに誰かがやっているな。よし、次に行こう。猫ちゃんスポットはまだまだあるぞ」
うん。行こう。
まったく。
大帝国はいい国だな。猫がいるってすばらしい。
雪の降る中、ネルイッツにいくつかある猫スポットを巡り、暗くなる前にマヨイと別れた。
そしてヨルゴ教官との夕食である。
「――これが天ぷら……」
いかにも高そうな店に入り、カウンター席に座り、渋みの深い初老の料理人が目の前で食材を油で揚げている。
真っ白な薄い衣をまとった野菜や魚。
油にどっぷり漬かっているにも拘わらず、サクッと軽い歯ごたえに、まったくしつこくさらっとした口当たりの良質の油。
味付けは塩を振ったり、専用のたれを掛けたりだが、正直味付けしなくてもおいしい。
きっと素材も相当良いものなのだろう。
これが天ぷらというものらしい。
特に――
「――うまいか? それは魔禍海老という生き物だ」
そう、剥き身にされているので元の姿がよくわからないが、この海老という海の生物が、とてもおいしい。
貝もうまいけど、これもまたうまい。
肉に並ぶほどうまいもの、もしかして結構あるのか? 肉こそ至上の美味ではないのか? 肉の脂に現を抜かしている場合じゃないのではないか?
表には出ないものの、俺の肉への信頼が揺らいでいるこの一大事に、ヨルゴ教官は隣で静かに語る。
「――我らの仕事は、知っておくだけで好機が増える」
たぶん「知っておけば暗殺するチャンスが増えるよ」的なことだろう。
「――どんどん新しいことを経験しろ、エイル。齧ったくらいでも構わん。何も知らないよりはマシだからな」
言っていることはもっともなんだろうね。
でも今は、正直、どんな言葉も受け入れがたい。
海老がおいしすぎてそれどころじゃない。
……とりあえず、追加で海老を注文しよう。
そんな大帝国一日目が過ぎていった。




