311.メガネ君、猫屋敷の夢を見る
うん、なるほど。
「要するに地上げだね?」
「いやいや違う違う。違いますから」
猫屋敷の店長アロファは、内容をまとめた俺の言葉に異を唱えた。
「でも立ち退きを迫られてるんでしょ?」
マヨイが口にした「猫屋敷存続の話」の詳細を聞けば、要するに地上げの話が来ているって内容だった。
この猫屋敷の隣に建っている、薬草や調合を扱う老舗が、そろそろ店の補強改修の手を入れたい。
そのついでに、少し店を広くしたいと考えた。
つまり、薬屋の隣にあるこの猫屋敷の土地を買いたいと、そういう話が来ているそうだ。
確かにこの店の存続に関わる内容である。
やはりどう考えても地上げの話だと思うんだけど、アロファは違うと言う。
「地上げじゃなくて真っ当な取引です。強引なことはされてないですし、提示されている土地代も立退料も相場よりかなり多い。決して悪い話じゃないんです」
なるほど、取引か。
まあ、でも、そうか。
まだよくわからないが、「強引に立ち退かせようとする」のは悪党のやり方だ。
「大帝国軍人が動く案件ではないんだね?」
もし立ち退きの話が、詐欺まがいな割に合わない交渉内容であるなら、この店に入り浸る大帝国軍人が黙ってはいないだろう。
「うむ。どちらかというといい話だと私も判断した」
マヨイもアロファに同意するので、この認識で間違ってはいないようだ。……地上げだと思ってしまってごめんね、老舗の薬屋さん。
「じゃあ何が問題なの? その話を受けたくないって話、じゃないよね?」
いい話だと思うならさっさと飲めばいい。
どうしても受け入れられない事情があるなら、すでに断っているだろうし。
なら、どちらも選べない事情があるんだと思うが。
「いえ、それが――」
アロファが語ったのは、ある種必然であり、また一つの野望であった。
まず当然のことながら、ここを立ち退くのであれば、また別に店を構えないといけないということ。
アロファは店をやめる気はないそうなので、いわゆる移転という形になる。
そこでアロファは、常連であるマヨイにも相談しつつ、このネルイッツの街で土地や物件を探し回ったそうだ。
新たな猫屋敷を開店するために。
そして、マヨイの紹介で一つの物件に辿り着いた。
「とある華族が所持しているお屋敷を、マヨイさんが紹介してくれたんです」
――華族というのは、ほかの国で言うところの貴族に当たるそうだ。まったく別物ってくらい差異はあるらしいが、今は厳密な意味はいいだろう。
何よりも、誰よりも優先すべきは、猫の話だ。華族も貴族も今はどうでもいい。
今はとにかく猫だ。
可愛い猫の話だ。
むしろ猫の話しかしたくない。
「お店を大きくしたい、という思いは元からありました。
ごらんの通りここは狭いですし、大通り沿いという人通りの多い一等地ではありますが、それゆえに外の雑音も大きいです。
時々表で大きな音がして猫ちゃんが驚いたりするので、客足はいいけど猫ちゃんにはあまり良い環境ではないと思っています」
場所としては非常に良いけど、猫に負担が掛かっている、という話か。まあ猫に負担が掛かるなら当然移転すべきである。
「店を大きくして、可愛い従業員を雇って猫耳を付けてもらったりしたいです」
ふうん……猫耳ねぇ。トラゥウルル的なことになるのかな。
「もちろん広くなるなら猫ちゃんだって増やしたいし」
ほう! 猫を増やすと!? 砂漠豹とか可愛いけど増やしてみれば!?
「部屋や場所があるなら、宿みたいな商売もいいと思っています。猫ちゃんと一緒に寝られる宿とか、どうでしょうか?」
猫ちゃんと一緒に寝られる!? まさかそんな夢のような宿を造ろうと!?
「お料理なんかも、もう少し本格的なものが出したいですし」
あ、はい。いいんじゃないですかね。
「でもやっぱり猫ちゃんは増やしたいなぁ」
いいと思う! それはいいと思う!
「あなたたちすごくわかりやすいですね」
――わかってる。
俺とマヨイは、アロファの言葉に興味を抱いたり抱かなかったりが、露骨に態度に出ていたから。
前のめりになったりならなかったりしていたから。
そりゃ言われても仕方ないだろう。
でもそれも止むを得ないことだ。
だって猫の話なのだから。
「結論を言うと、この際立退料をがっぽり貰って本物の猫屋敷を造りたいんです」
本物の猫屋敷かぁ……
確かに、猫がいっぱいいて、猫と一緒に寝られて、いっぱい猫がいて、屋敷と呼ぶに相応しい建物があり、数多の猫が住んでいるというなら、それは猫屋敷と言っていいものなのだろう。猫いっぱいか。夢しかないな。
――つまりだ。
「お金が足りないんだね?」
元々場所的な理由で不満があった。
狭い店にも不満があった。
猫を増やしたいとも思っていた。
個人的な事情を考えれば、立ち退きには前向きに検討することだろう。
だが正式な返事はまだできていない。
ここまで語られて解決できない問題点を上げるとするなら、もはやお金のことだけだろう。
「そうなんですよ……サロメ商会から、あ、隣の薬屋さんですけど、もう半年もお話を保留にしてしまっていて。向こうにかなり迷惑を掛けています。受けるにしろ断るにしろ、そろそろはっきりさせないとまずいです……」
アロファは腕を組み、非常に渋い顔をする。お、暴れていた黒い猫と三毛猫がいつの間にか俺に密着して寝てる。可愛いなぁ。今の内に撫でておこう。……やめろマヨイ。俺が先だ。こっちの猫に触るな。
「あ?」「お?」と睨み合う俺とマヨイのことなど目に入らないようで、アロファは語り続ける。
「でも、お金の問題がクリアできていません。
今のままではギリギリで屋敷と土地を買えるくらいです。
見付けたお屋敷も古いので手を入れないといけないし、猫ちゃんが快適に暮らせるように改修工事もしないと……とにかくお金が足りないんです」
お金か。
マヨイは俺を冒険者的な立場の者と見なして、協力を求めてきた。
「つまり、俺を入れて何かしらの荒事でさっさと稼ごうって話だね?」
「その通りだ」
黒い猫と三毛猫への接触を妨げられたマヨイは、俺の膝の上にいる猫を撫でながら、しっかり頷いた。
「聞けば、数日ほどしっかり魔物を狩り、効率よく金策を行えば、目標額に届きそうなのだ。
私と、アロファと、私の上司が参加する予定なのだが、あと一人欲しい。それも中距離辺りをカバーできる者が。
ずっと探していた――つまりそなただ、エイル」
……なるほど。
「俺が中距離を得意としていると判断した理由は?」
「筋肉の付き方。気配の配り方。動作。――斥候のような技術があって、武弓を得意としているだろう?」
そこまで見抜かれていたのか。
猫狂いのおかしな人ではあるが、やはりそれでも大帝国軍人か。
「この街の冒険者じゃダメだったの?」
「この街……というか、大帝国領内で活動する冒険者は、確かな腕利きとなればほぼ固定のチームで動いているのだ。雇うとなればチームごととなる。となれば高い。
無論、個人で活動する者もいるが、個人の指名依頼だとやはり依頼料は高くなる」
あ、そうか。
金策するのに出費が嵩んだら元も子もないって話か。
「話をまとめると、儲けはないけど危険な狩りを手伝えって話だね?」
「うむ。エイルほど腕が立つなら、そう危険もないと思うがな」
…………
「出会ったばかりで信用のない俺を誘うの? 俺のこと信用できるの? 俺は正直マヨイたちを信用できてないんだけど」
「何、気にするな」
と、マヨイは闘志が満ちた目で笑った。
「信用できるできないなど、今はいらん心配だ。
結果として、そなたが裏切れば誰かが死ぬだけ。私かもしれんし、返り討ちかもしれんぞ? まあその時は私がそなたを斬ってやるがな」
誰かが死ぬだけ、ってところが、無視できないくらい大事なことだと思うんだけど。
……やっぱり大帝国軍人の意識の差がすごいってことかなぁ。
「断りたくなるだけのことを言わないでほしいんだけど」
「そうか? そもそもそなたに断る選択肢があるのか?」
……うん。
「ないね」
本物の猫屋敷。
新たな猫との出会い。
猫と一緒に寝られる宿。
――最初から断ることなど、一切考えていない。
というか、むしろやる気が湧いてきている。
大きな猫屋敷……
アロファの語った夢を、俺も見たくなった。
実現したくなった。
もしその実現に俺の力が必要だと言うなら、協力を惜しむ気はまったくない。
「正式な返事は今すぐできない。たぶん大丈夫だとは思うけど」
さすがに街を出るような用事となると、ヨルゴ教官に聞いてみないとまずいだろう。
まあ、それでもたぶん大丈夫だとは思うけど。
「今日中に決められるか? できれば今すぐにでも狩りに出たいくらい切羽詰まっている」
ああ、半年待たせてる案件だそうだからね。確かにあまり猶予はなさそうだね。
「わかった。今日中に返事するから」
とにかくヨルゴ教官に相談してみよう。




