308.メガネ君、黒髪の少女と出会う
「――あんみつです」
ちょうどヨルゴ教官の言葉が切れた時、見計らったように給仕の女性が小鉢を運んできた。
というか実際邪魔しないよう見計らったのだろう。
小鉢の中には一口大にカットした色鮮やかな果物と、小麦粉を丸めて茹でたような白くて丸いのと、黒い何かが入っていた。
この黒いのはなんだ? ……豆かな? うっすら豆っぽい形が残ってるけど。
「デザートだな。食ったら街を見てこい」
うん、じゃあせっかくだしそうしようかな。
ヨルゴ教官の言う通り、確かに監視が付いていたとしても、実質一人だから羽を伸ばせるし。
弓の道場も気になるので、行ってみよう。
「――お出かけですか? カギをお預かりいたします」
あんみつという不思議な甘いものも完食し、食事を終えたその足で外へ出ようと玄関へ向かうと。
玄関前にある受付に立っていた、ピシッとしたスーツを着た老紳士が、俺に声を掛けてきた。
昨夜、俺とヨルゴ教官が来た時に対応してくれた宿の人だ。
支配人のなんとか……と名乗っていたけど、疲れていたせいかよく覚えていない。
いつでも入れる風呂があるとか、言ってくれれば食事を用意するとか、汚れものは出してくれればこちらで洗いますとか説明もしてくれたが、それもちょっとうろ覚えだな……
というか、色々と思い出してみれば、なんてサービスだ。
なんてサービス過多な宿なんだ。
本当に怖い宿だ……
俺はそんなサービス信じないし、利用もしないから! 俺は風呂以外は信じない!
「えっと……皆守流? の、武弓道場ってどこかな?」
なんて考えているなんておくびにも出さず、カギを返しつつ聞いてみた。確かミナカミ流って言ってたよな? 間違えてないよな?
「街の西側、外壁の近くと記憶しています。
この宿を出たら大通り沿いに右手へ行き、中央交差点を左へ折れてまっすぐ行くと西門があります。その辺で誰かに聞けば教えてくださるかと思いますよ」
宿を出て右へ行き、中央交差点を左に行き西門まで行く、と。
中央交差点ってのは、東西南北の街道に続いている大通りのことだろう。
まあとにかく西側へ行って街の内外を隔てる門まで行くといいよ、ということだな。
方向から言えば、宿を出てそのまままっすぐだ。……あえて大通りから外れて迷いながら行くのも楽しいかもしれない。
「ああ、リーヴァント様の関係者の方でしたな」
ありがとうと礼を言って行こうとした瞬間、呼び止めるように支配人が言った。
「すでに召喚獣は見ておりますね?」
「ああ、キツネなら……」
街に入る時に噛まれたしね。あの胸毛はすごかった。ふわふわだった。
「あの手の召喚獣が街中におりましてな。決して粗雑に扱わないことをお勧めします。すぐに大帝国軍人が飛んできますぞ。そして場合によっては……」
……ああ、はい。
「斬られるんだね?」
そう言う俺に、支配人はたぶんきっと、あえて明確な返事をしなかった。
「彼らは善人には温厚です。しかし本質的に斬るのが好きで、斬る理由があれば一切遠慮はしません。
――誠実な善人にはいい国ですが、リーヴァント家の関係者には少々息苦しいかと。お気を付けください」
…………
リーヴァントを語るってことは、この人も暗殺者の関係者っぽいな。
まあ、確かめる気なんてないけどね。
その方がきっといい。
「額に宝石が付いてる動物は召喚獣、ということでいいのかな?」
「ええ、その認識でよろしいかと」
「ちなみにどんな動物がいるの? キツネだけ?」
「キツネは門の前だけだと聞いております。……そういえば、西門のキツネは哀愁を感じさせる顔をしているそうですな」
は? 哀愁……?
「それは……具体的に言うとどんな顔?」
「――小耳に挟んだ噂をまとめたところ、疲れたおっさんみたいな顔、とのことです」
疲れたおっさん……
「可愛くないところが可愛いと評判ですな」
……うん。
俄然興味が湧いてきた。まず西門に行こう。
宿を出た瞬間、肌を刺さんばかりの寒風に撫でられ目を細める。
どうやら宿の中は、寒さを遮断する仕掛けをしてあるようだ。ブラインの塔と同じようなものだろう。
宿の中ではやや肌寒いくらいだったのに、外の寒さはかなり厳しい。
まあそりゃ寒くて当然か。
雪が降っているし、しかも少し積もっているくらいだから。
曇り空ではあるが、明るい空の下に見る大帝国領ネルイッツの街。
レンガ積みの建物と木造建築が不規則に並ぶ、やや統一性に欠ける街並みに見えるが……いや。
これはこれである意味統一され、調和が保たれているのかもしれない。
大通りには、俺が見慣れた服装の人たちも、宿の食堂で見た変わった服装の人たちもいるからだ。
なるほど、見慣れない格好の人はきっと東洋の文化に触れている人なのだろう。シュレンのような黒髪に黒目の見慣れない人種は、きっと東洋人なんだと思う。
寒さは厳しいもののの、荷馬車も通れば人力の荷車も通っている。よく見たら牛に引かせている荷車もある。パワー重視なのだろう。
特に目を引くのは、人を乗せて軽快に走る人力荷車である。そうか、荷物じゃなくて人を運ぶ荷車で商売か。儲けが出るのだろうか。
そんな異文化を横目に、ひとまず西門へ行くため、支配人に教えてもらった通りに歩く。
せっかくだから、珍しいものが多いこの街を気が向くまま迷ってもいいかな……いや、今はとにかく、噂の「疲れたおっさんみたいなキツネ」を見てみたい。
一週間あるので、目的のない自由行動みたいなのは後に回そう。
それは本当にいつでもできるから。
そう考えて歩いていて――しかし予定は大きく狂うことになる。
珍しい店も多いな、と通り沿いに並ぶ店を眺めながら歩いていると……
「……えっ!?」
今見たものが気になり、思わず声を上げてしまった。
周囲の人が何事かと見るのも構わず、今前を通った店を改めて見て――愕然とした。
「……ね、ね、猫屋敷……!?」
その店は木造建築の小さな佇まいに、古めかしい看板を掲げている。
東洋の文字なので読めないが、出入り口のドアには俺の読める地で確かに書いてある。
猫屋敷・アロファ、と。
何度読んでも書いてある。
猫屋敷、と。
なんだこれは。
これはなんだ。
猫がいるのか?
いるのか猫が?
トラゥウルルのようなしゃべる半端な猫ではなく、完璧な猫がいるというのか。ここに。溢れんばかりに。屋敷と言うに相応しいほどの猫が。ここに。ここに!
――ダメだ! 入らずにはいられない……!
吸い込まれるようにふらふらとドアへ近付き、手を伸ばし――
「あ……」
「あ……」
横から伸びてきた誰かの手に触れた。
どこまでも深い黒の瞳に、長く黒い髪。
翠色の服はあの見慣れた軍服で、影が落ちる帽子の下で驚いた表情を浮かべていた。まあ予想外の接触すぎて俺も似たような顔をしていると思うが。
――マヨイ・マイヅル。
彼女との出会いが、俺に一つの試練を与えることになる。




