305.メガネ君、おしゃべりしながらネルイッツに到着する
四日から五日という日程で組まれていた移動時間を、出発した初日を含めて二日で辿り着くという、今回の大帝国行。
正直、半端じゃなくきつい旅路になるだろう。
「――体力を回復する『素養』くらい持っているだろう? 惜しみなく使うがいい」
やはり教官には「俺のメガネ」の特性がバレているらしく、猛スピードで走りながら、平然と俺にそんなことを言ってきた。
休憩は、基本的になし。
正確には、走るから歩くに切り替えて、歩きながら回復しろと。そういうことらしい。
――これまでに幾度も重ねた試行で、「素養」で体力をいじるのはよくないと結論を出している。
有事の際に、セットできる「素養」が限られる以上、「体力に作用する素養を付けているのがあたりまえ」になると、いざという時に困るだろう。
もちろん体力だけでなく、身体能力を向上させるもの全般が該当する。
体力の限界の時に、なにやら有事があった場合を考えると、「常に使って恩恵を得る」というのは、意識的にまずいだろう。
――「メガネ」で視力を矯正している、というのと同じだ。
俺はたぶん、「メガネ」なしの生活は、もう無理だと思う。
たとえ「違う素養」が使えなくても、「メガネ」を手放すことはできない――だって見えないから。こんな便利なものを手放すことなんて考えられないから。
だが、これは欠点である。
きっと「メガネ」がない時の方が、ある意味欠点はなかったと思う。
だって欠点があるのがあたりまえの状態だったのだから。
不便なのがあたりまえだったのだから。
この先「素養」に甘えていたら、絶対にそれは俺の欠点となって表面化してくる。
こんな致命的な欠点、ほかに持つべきではない。
だからこそ、「素養」や「メガネ」に頼り切った狩りは、できるだけやらないようにしてきたのだ。――頼りすぎだと思うことは多かったけど。
……という個人的な悩みもあるのだが、そんなことを言ってられないほど、この旅程は厳しかった。
「――ふう。久しぶりにいい運動である」
「体力系の素養」をセットしても目がチカチカするほどぜーぜー息切れしている俺の横で、さも「いい汗かいた」と言わんばかりに額に汗を浮かべ平然としているおっさん。
やはりヨルゴ教官は……いや、きっとほかの教官たちも。
もうほんと、化け物だと思う。
この人たちの身体能力の高さってなんなんだろう。
不本意ながら「素養・体力吸収」をセットする。
これで体力の消耗はゆるやかになり持久力を保てるし、歩いている間でもすぐに疲労が軽くなる。
そんな小細工をしつつ、とにかく持久力を強化してヨルゴ教官を必死に追う道中。
不意に訪れる……いや、俺の体力などを察して歩く時間――休憩時間に入ると、せっかくだから色々と話をしてみた。
この人と長々話す機会なんて、今までなかったから。
「――エヴァネスク女史がぼやいていたぞ。貴様がいると課題が楽になり過ぎると」
「え? それは俺のせいですか?」
違うと思うんだけど。
俺はやれって言われたことを全力でやってきただけだし。
それに文句を言われても。
「貴様がいない間に、一つ二つは課題をやらせるだろうな」
え、待って。
それこそ大問題だ。
「俺も課題を受けたいんですけど」
俺の都合じゃないからね、この大帝国行。
なんの用があるかはしらないけど、暗殺者側の用事で動いてるんだからね。
それで俺が経験できること、貴重な体験を得る機会が減るなら、それは純然たるただの損でしかない。
「諦めろ。どうしてもと言うなら、自分が大帝国で何かやらせてやる」
……この強引極まりない旅程を思うと、不安しかない。
ヨルゴ教官、俺の身の丈に合わないような、すっごい難しいことやれって言い出しそうな気がする。
「――ソリチカ教官に言った方がいいんじゃないですか?」
「ん? 何をだ?」
「付き合う精霊を考えなさい、って。あれは絶対に悪い精霊と付き合いがありますよ。あの人そのうちグレますよ」
「彼女も大人だ。個人的なことに口を出す気はない」
「グレてもいいんですか?」
「……もうすでに普通ではなかろう。つまり手遅れだと判断している」
……そうか。
手遅れ、か。
まあ俺も薄々「もう修正は利かないんだろうな」とは思っていたけど。
あの人色々と……なんて言っていいのかわからないけど、とにかく色々アレだから。
「ちなみにあの木像についての見解は?」
「…………」
「すごく邪悪だと思うんですけど。光るし」
「…………」
「悪い精霊と邪悪な木像が出会う時、世界はどうにかなってしまうのではないかと不安を覚えるのは、俺の考えすぎですか?」
「…………」
「黙秘は肯定と受け取りますけど、いいんですね?」
「…………」
…………
…………
……無視か。
自分でやる分にはなんともないのに、人にされると少し腹が立つな。
「――惜しい。だが睨んだ通り、なかなか器用であるな。この分なら習得できるだろう」
うーん……っと。
相手の視線の向きと、角度と、意識の向け方を観察し…………こう、か?
「うまい。今のは警戒していない者なら騙せる」
あ、今の感じでいいのか。
「これである程度のカード勝負なら勝てるだろう。――ただし露見したら何をおいてもすぐに逃げろ。イカサマで捕まったら面倒しか起こらない」
「そりゃインチキしたらそうでしょうね」
でもこのカードのテクニックは覚えておこう。
俺、これで嫌いな冒険者から、たっぷり巻き上げてやるんだ。
…………
いや、やらないな。
人間、真面目が一番だ。
堅物なヨルゴ教官が教えてくれるっていうから覚えたけど、使うことはなさそうだ。
「次の技は、こうだ。そして――」
…………
色々教えてくれるけど、やらないからね?
結構面白いから覚えてはみるけど。
夜遅くまで走り、途中の小さな村で一泊し。
翌日も朝からとにかく走った。
「あ……」
今日中に着く予定だと豪語するヨルゴ教官の背を、全力で追い駆けていると――視界に白いものが舞い落ちてきた。
雪だ。
雲の厚い冬空の下、動いて燃えている身体でも寒いと感じていたが、いよいよ降り出してしまった。
「積もる前に到着を目指すぞ」
はいはい、がんばって走りますよ。
――体力の消耗も著しかった強引なる行進の末、予定通りに大帝国への国境を越え。
大帝国、最南端の街ネルイッツが見えてきたのは、空がすっかり暗くなった頃だった。
雪はしんしんと降り続けている。




