301.メガネ君、再び出発の準備をする
「――お、ちょうどいいところに」
シロカェロロと一緒に一階まで降りてきたところで、今まさに階下から上がってきたらしきベルジュに捕まった。
どうも用事があるらしく、彼の視線はシロカェロロに……あ、いや、俺にも向いたな。
「悪いがシカを仕留めてきてくれないか?」
ん? シカ?
……ああ、そうか。
昨日食料がどうこうって言ってたもんな。きっとそのことだろう。
「冬に向けての備蓄だね?」
聞けば彼は頷く。
「今食糧庫を見てきたんだが、やはりあと一頭分あった方がいいと思う。
ここは肉好きが多いおかげで消費が早いんだ。
このままだと、あと一月で肉はなくなるだろう」
そうか。
それは肉好きである俺にとっても大問題である。
「最近よく食う奴が一人増えたしな」
あ、うん。シロカェロロだね。
「恐らく、今年狩りに出られるのは、ここらが最後のタイミングだと思うが。本職の意見はどうだ?」
「そうだね。それで合ってると思うよ」
本格的に冬になると、冬眠する動物は多い。
動物の食べ物が少なくなるから、エサを探すのに労力を費やすより、体力を温存することを優先するのだ。
必然的に獲物は減るし、狩る側だって環境の変化で行動すること自体が大変になる。
……まあ、今は「メガネ」のおかげで、冬でも安定して狩りができそうな気もするが。
でも、狩りを、狩場を、自然を軽視することはできない。
狩りを舐めたら命に関わる。
やはり冬に狩りをするのは、できるだけ避けた方がいいだろう。
思わぬ事故を招きかねない。
――と考えると、確かに今日明日くらいが、今冬では最後のタイミングだと思っていいだろう。
というか、それでもちょっと遅れ気味って感じもするけど。
「おまえら二人なら、朝飯の前に仕留めて帰ってこれるだろ。行ってきてくれ」
まあ今は「メガネ」があるし、シロカェロロも同行するなら、難しくはないと思うが。
「俺はいいけど、シロカェロロは――あれ?」
どうする、という視線を向けると……彼女はすでに俺の隣にはおらず、出入り口付近にいてこちらを振り返って見ていた。
『――早く行きましょう』
どうやら彼女も、肉が切れるのは耐えられないらしい。
「あ、じゃあ弓を取って」
朝の訓練ではいつも使わないので、部屋に置いてきている。
取ってくるね、と言いかけたのだが。
『私が仕留めるので必要ありません。早く行きましょう』
シロカェロロの魔法による念話は俺にだけ聞こえているようで、部屋に弓矢を取りに行こうとした俺が不自然に止まったのを、ベルジュが怪訝な顔で見ている。
「どうした?」
「……いや、シロカェロロがいれば、弓はいらないかなって思って」
シロカェロロは基本的に俺より強いし、俺より速いのだ。
彼女が必要ないと言うなら、必要ないだろう。
というか、俺が付いていく必要があるのかというくらいで――いや、まあ、それはあるか。
「よくわからんが、とにかく任せた。俺は他に仕入れたい食料リストを作る」
ここだけのやり取りで、俺とシロカェロロに関して色々と不自然な点、気になる点があったと思うんだけど、そんなことはどうでもいいとばかりにベルジュは丸投げした。
本当に、料理以外には興味が向かない男である。
まあ、面倒がなくていいけど。
「じゃあ行ってくるね」
今日の朝の訓練は狩りとなり、俺とシロカェロロは森の奥へと向かった。
『――便利ですね』
「――まあね」
すでに彼女にはバレているので、今更「違う素養」を使ったところで何の問題もない。
ブラインの塔周辺にいるシカは、馬のように巨大である。
そういう理由から、単独では仕留めることはできても、すべて持って帰る術がない。
なので現地で解体して必要な分を持ち帰る、というのが通例だが――
フロランタンの「怪鬼」をセットすることで、俺もシカを丸ごと回収できるのだ。
普通に担いで普通に走れるのだから、やはりこの「素養」は恐ろしい。
そして、さすがにこの状態での単純な力比べなら、シロカェロロにも負けないと思う。
あとは塔の近くまで運んで、フロランタンを呼べばいい。
塔の近くにいたシカを仕留めたことにして、運んでもらおう。これで俺が運んできたことは誤魔化せる。
――ちなみに、仕留めたのは宣言通りシロカェロロである。
彼女はシカを見付けると、首の辺りを狙って高速の体当たりをし、シカの首の骨をへし折った。
目で追えないほどの高速の体当たり――その速度はサッシュの「素養」を彷彿とさせるものがあったが。
しかしシロカェロロの場合、「素養」ではなく自前の運動能力である。
そう考えたら、恐ろしい狼もいたものだ。
……というか、付いていくので精いっぱいだったよ。足が速いのなんのって。おまけに鼻も効くから俺が獲物を探す必要もないし。
つまり今回は、俺はただの荷物持ちってことだ。楽させてもらったね。……狩人としてはちょっと不本意でもあるけど。
塔付近まで担いできて、あとは予定通りフロランタンに運んでもらった。
ベルジュと一緒にシカの解体をして、朝食を食べ、座学を受ける。
ここまでは普段の塔の生活と一緒だが、数日後の予定が入っている俺は、準備をしておかねばならない。
昨日戻ってきたばかりなんだけどね……なんだか忙しいものだ。
午後の訓練を早めに切り上げ、少し早い時間に風呂で汗を流し、クロズハイトで冬の支度をする。
大帝国は寒いって言ってたな……恐らく雪も降るだろう。
色々と考えた末、耳たれのついた帽子とマフラー、あとは中に着込む薄手のインナーを購入した。
あまり厚着すると動きを阻害してしまうので、ひとまずこれで様子見だ。
これで防寒対策が不十分なら、大帝国で追加すればいい。別に人里離れて山ごもりするわけじゃないんだから。
それに――今なら「あの素養」の使い道が判明したから。
実は、ずっと使い道に困り、お蔵入りにするしかないかも、と思っていた「素養・逆撫でる灼熱」の使い方がわかったのだ。
この「素養」、字面だけはいかにも強そうに思えるが、実際は「体温を高くする」だけである。
いや、俺が使うとその程度、と言った方が正確か。
オリジナルの場合は、誰かに触れたら火傷する、くらいには高温になるそうだから。
「俺のメガネ」の場合は、ちょっと体温が上がる程度である。
本当に使い道が思い浮かばなかったのだが――最近になってようやくわかった。
これは防寒に使えるのだ。
例の馬車襲撃事件の道中、寒かったので色々試していた時に発見した。
これを使っている間は寒くない、と。
恐らく、「体温を高める」ではなく「体温を保つ」という作用をしているのだと思う。
おまけに外気も緩和してくれるので、寒さ自体は感じるものの身体に沁みてくることがなくなる。
ただ俺の場合、一枠しかない「素養」に「これ」をセットすると、ほかのことができなくなる。
狩りの最中は、たぶん使わないだろう。ほかのをセットしてるだろうから。
でも、移動中とか夜寝る時なんかは、有効だと思う。
特にこの時期に野宿とかするなら、かなり有効な「素養」になってくれるだろう。
……とまあ、こういう裏技的なものもあるので、防寒具は軽めにしておいた。
クロズハイトで買い物をして、夕方頃に塔に戻ってくると。
「何この手触りすごい」
「ええのう、この胸毛……」
「ほう……」
朝も早くから愛憎物語を繰り広げていたあの三人が、唯一の被害者であるシロカェロロを撫でまわしていた。
どうやら俺の知らないところでなんだかんだ打ち解けたらしい。
トラゥウルルは、昨日の夜の荒れ具合はなんだったんだってくらいに、「ほう……」と熱い溜息を洩らしながら、フロランタンと一緒に彼女の胸毛を触っている。おい。二人で触るのはヘンタイとか言ってなかったか。特殊な性癖だったんじゃないのか。
…………
うん。
死ぬほど羨ましい。
俺も胸毛を撫でたい。
欲望のまま撫でまわしたい。
でも、俺はまあ我慢するとして、異性なので我慢せざるを得ないとしても、だ。
せめて、遠くから興味津々で見ているカロフェロンは仲間に入れてあげてくれ。
すごい触りたそうに手がわきわきしてるから。




