297.メガネ君、大いなる災いの誕生を見たかもしれない
「一応筋は通る」
一応、ね。
「でも疑いは晴れないと」
「残念ながら」
暗殺者のトップが呼んでいる。
なぜ呼んでいるかはわからない。
この時点で、俺に深い疑惑が発生しているわけだ。
今から振り返ると――さっき教官たちに言った「話は夜からにしてくれ」と頼んだことも、怪しかったんだろうなぁ。
「ワイズから呼び出しがあった」に対する俺の答えが、「今はちょっと時間をくれ」だからね。
思えば、塔に帰ってきてすぐにヨルゴ教官がやってきたのも、もしかしたら……いや、十中八九、俺の見張りに来たのだろう。
絶対に逃がすまい、という布石だな。
それに、手紙の件は説明したけど、俺の話が本当かどうかはわからない。
何せソリチカ教官は、手紙を見ることはできなかった、と言っているから。
だから「一応」がつく形でしか筋が通らないわけだ。
手紙は燃えたから、確認の仕様もないしね。
でも、疑われるのも仕方ないのだろう。
組織のトップが何かしら俺をマークしたわけだから、そりゃ探りもするし見張りもするだろう。
教官たちの立場からすればさ。
「エイル。一度しか聞かないけど、聞いていい?」
「答えがわかりきってるのに?」
「うん。君の口から聞きたい」
ああ、そうですか。
「――本当に心当たりはないの? たとえば、処理されるようなことはしてない?」
「してないですね。一切」
いつも通りの調子のソリチカ教官に、俺もいつも通りに応えた。
あえて具体的な内容を伏せられた「処理」の言葉には、平然としていられないものはあるけど。
でもやましいことはないからね。
「今なら間に合う。私たちが事前に調べようと思ったのも、呼び出しの内容がわかっていれば、庇うことも減刑を願うこともできるから。
今ならまだ間に合う。
よほどのことじゃなければ、後始末は私がする。
どう? 本当にないんだね?」
……俺を庇うためにそこまで言葉を重ねてくれるのは、ありがたいんだけどね。
「本当にないんですよ」
どんな聞かれ方をしても、答えは変わらない。
「むしろもう一つの可能性の方が高いと、俺は思ってますけど」
「……ああ、『エイルの素養』で何かをさせたいというパターンね」
うん。そっちの方が可能性は高いと思う。
だって王都で一回会っただけのワイズ・リーヴァントが、俺に用事がある理由がわからない。
教官たちからすれば、その辺の疑惑が気になるんだろうけど、俺は俺が潔白なことを知っているからね。
やましいことはありません。
…………
酒飲んで服脱いで記憶を失ったことが二回あるけど、それは関係ないよね……?
「今話せるのはこれくらいだと思うんですけど」
正直、かなりまぶたが重い。
手紙の紛失とか、ソリチカ教官の待ち伏せとか。
心の準備もできてないのにさらっとアディーロばあさんの「素養」を知ってしまったり。
そんな目が覚めるような出来事はあったけど。
もう、ちょっと、限界だ。
風呂に入った時点で、すでに身体も頭も休息に入る体勢になってしまっている。
これ以上は本当に無理だ。
頭も働かないし、腹も満たされているし、もう眠くてたまらない。
「眠いの?」
「かなり。夜まで寝るつもりでした」
「そういえば、旅から戻ってすぐだったね」
ソリチカ教官は少し考え込むように首を傾げ――焦点の定まらない目で俺を見た。
「『見張り』を付けていい?」
ん?
「君を疑うためじゃなくて、君の潔白を証明するために。『精霊の見張り』を付けていい?」
精霊の。
ソリチカ教官の「素養」は「精霊憑き」だ。
詳細はわからないが、精霊の力を借りたり身体に取り込んだりできるみたいだ。
……うん、まあね。
「いいですよ。教官たちがずっと見張っているのも大変でしょうし、ほかの候補生たちに勘繰られるのも面倒ですし」
本当にやましいことはないから、別にいい。
どうせ寝るだけだし。
「じゃあ付けるね」
…………
あれ?
ソリチカ教官がポケットから出したのって、なんか見覚えのある邪悪な木彫りの……
「――本当に素晴らしい」
何あの顔……こわい……
珍しく、いや、初めてかもしれない。
ソリチカ教官は熱に浮かされたような恍惚の表情を浮かべ、木彫りのそれを両手で掲げる。
「どこででも手に入る素材で、これほど『器』に適した加工を施せる者がいるなんてね……」
「あの、それは……?」
「精霊は一時的に物質に宿ることはあっても、宿りたい物質、宿りたくなる物質というのは極めて少ない。
あったところで、純度の高い宝石や意匠の凝った銀細工、はるか昔から生きてきて大地の力を蓄えた老木とか、入手が困難な物も多い。しかもすぐ飽きる。
彼女の木彫りを一目見た時から、ずっと精霊が騒いでいる。
我をこれに入れろ、我が宿るに相応しい『器』なり、うつけども黙れ我以外の誰がこの神像に相応しいか、なんだおまえやるのか死ね、おまえが死ね、おまえも死ね、等しく全て滅びよ、と。
もう騒ぎっぱなし。興奮しっぱなし」
リアルな精霊ってそんなんなんだ……
…………
素朴な疑問として、それらは本当に精霊なのかが気になるところだが。
俺の想像していた精霊とは全然違うんだけど。
そんな直接的で乱暴なことを言うイメージが、まったくなかったんだけど。
「これに精霊を宿す」
「待って。ソリチカ教官が直接見張っててくれてもいいと俺は思うんです」
リアル精霊と、邪悪なそれが出会った時。
この世に大きな災いが生まれてしまうのではなかろうか。
取り返しのつかない厄災が誕生してしまうのではなかろうか。
「私は日向ぼっこしたり昼寝したり毛皮の毛の本数を数えたりしないといけないから、色々忙しい。付きっきりはちょっと難しい」
なんてことだ……なんてことだ……!
全然忙しくないだろもういいから一緒に寝よう今すぐ寝よう、とでも言ってやりたくなったが。
「――あ、入った」
口が開いてくれなかった。
いや、口はパクパク動いている。
ただ、あまりの衝撃に、声が出なかっただけだ。
「やはりこの『器』は素晴らしい……」
……う、う、嘘だろ……
動いてる……!!
邪神像 (真)が、動いている……!!
「なんと神々しい……見て。目が光ってる。精霊が喜んでる」
邪悪なそいつの首が回り、ビカッと輝く赤い目と、目が合った瞬間。
――俺の意識はなくなった。
――悪い夢だと思って、もう寝た。




