295.メガネ君、早くも次の事件の臭いを嗅いでしまう
興味津々ではあるが、教官に言われたら仕方ない。
全員諦めたように息を吐き、教室を出ていった。……ああ、こっちが移動するんじゃなくて全員が外すパターンか。
まあ、ソリチカ教官からすれば、二人で話せればどこでもいいんだろうけど。
「――あ、シロがいる!」
「――ほならセリエたちも戻っとるな! 下行くど! ……いやその前にその立派な胸毛を……」
「――にゃー! あたしという者がありながら! フロランタンってそういう人なんだ!」
「――ち、違う! 一時の気の迷いじゃ!」
「――あいつとは遊びなんだよな?」
「――そうあいつは遊びで本命は……違うわ! チンピラは黙っとれ! 気にすな、あの立派な胸毛の色気にちいと誘われただけじゃけぇ!」
教室を出ていった連中の、一部の騒がしい奴らの声が遠ざかっていく。
…………
シロカェロロの胸毛か……
あれに触りたくなる気持ちはよくわかる。
孤児院の子供たちも一直線だったし、誰しも誘惑されるものだと思う。
真っ白な美しい毛並みに、長い毛足。
もう、見るからに手触りも素晴らしいものである。触りたくならないわけがない。
あれは触りたい。
俺も触りたい。
ゼットの部下たちも、何人かあの胸毛を狙っていたからなぁ。シロカェロロはさりげなく逃げ回っていたけど。
噛み千切らなければ俺だって狙っていただろう。
――まあ、それはさておきだ。
「馬車の件の報告ですか? ハイドラに聞いてくれませんか?」
例の馬車襲撃作戦の期間中、気が休まる間はなかった。
休憩自体は充分取れたけど、油断はできなかった。
特に俺はずっと女装をしていし。
さっきまで女装していて、数日ぶりに元の姿に戻ったわけだし。
あと風呂とか全然入れなかったから、今すぐでも入りたいし。
これからの予定としては、風呂に入って午後はゆっくり休んで、明日からの生活に備えるのがいいだろう。
座学は、出ないともったいないから出たけど、今日の午後の訓練は休むつもりだ。
「報告?」
しかしソリチカは、俺の言葉に不思議そうな顔をして、その辺の椅子に座った。
「別に聞かなくていいけど」
え?
「あのメンツがいて馬車一つ襲えないとか、失敗するとか、考えられないから。どうせ成功したんでしょう? できることをやっただけなんだし、いちいち聞く気はないよ」
…………
「いや、不測の事態とか想定外の出来事とか、あったりしたかもしれないじゃないですか」
実際あったし。大帝国の兵士が来たし。しかも強いのが来たし。俺は死にかけたし。
「イリーガルなことには、トラブルは付き物だから。それを含めても失敗しないメンツだと私は思っていたし、実際失敗しなかったんでしょ?
だったら別に、あえて聞かなくてもいいかな。姿を見れば無事だったこともわかったし」
……あ、そうですか。
……なんだかなぁ。
結構大変な目に遭った気がする俺としては、さらっと流されるのは少々癪な気がするけど。
でも、「メガネ」が絡むから逐一聞かれても答えたくはないからなぁ……相反する感情でもやもやするなぁ。
じゃあなんの話だろうと、話を振ろうとしたその時。
「お待たせ」
さっきまで隣の教室で教壇に立っていたのだろうエヴァネスク教官と、塔の前で会ったヨルゴ教官までやってきた。
「もう話したの?」
「いいえ。どうせなら三人一緒に聞いた方が手間が省けると思って」
…………
え? 何? なんだ?
教官三人が、俺に何の用があるんだ。
一対一ならまだしも、俺一人に三人集まって話をするなんてケース、今までなかったのに。
これは……なかなかの脅威である。
絶対に越えられない壁が、目の前に三人も並んでいる。
「俺、何かしましたか?」
なんだ?
叱られるのか?
俺は叱られるようなことをしたのか? しでかしたのか? やらかしたのか?
場合によっては……こ、殺す気か……?
この布陣は、逃走も無理だぞ……?
「――恐らくしたのだろうな」
と、ヨルゴ教官は答えた。
恐らくって。
大体の調べは付いてるから、あとは自分から言えってことか。
自供しろってことか。
心当たりはないのに。
……とりあえず謝っとくか?
「そんなに警戒しなくて大丈夫よ」
警戒している俺を見て、エヴァネスク教官が苦笑する。
「というか、怯えすぎじゃない? そこまで怖い?」
怖いだろ。
エヴァネスク教官は、狼煙球の対抗戦の時、殺気まで放ってものすごく怒っていたのは、ちゃんと記憶に残っているし。
ヨルゴ教官も、訓練中に披露してくれる動きを見れば、嫌でも悟る。
逆立ちしたって勝てない相手だ、と。
ソリチカ教官は、あまり実力を見たことはないが――だからこそ一番恐ろしいかもしれない。
普段の感じからしても、彼女は何をするかわからないところがある。
フロランタンの可愛い邪神像 (仮)を愛でる辺りも含めて。
……ああ恐ろしい。
一人でも恐ろしい相手が三人もいるなんて。
なんなんだ。なんの用なんだ。
警戒が解けない俺を見て、三人は呆れているようにも見えるが……さすがに仕方ないと思ってほしい。
この三人は、一人一人があの大帝国の兵士より強いのだから。
「エイルも疲れているだろうし、手短に済ませるよ」
ソリチカ教官は、俺の態度はどうにもならないと解釈したらしく、このまま話を進める方向で決めたようだ。
ぜひそうしてください。
「実は、ワイズから手紙が来たの」
ん?
…………
ん? ワイズ?
「ナスティアラ王都にいる、暗殺者の代表ですか?」
久しぶりに聞いた名前だったので、すぐに出てこなかったが。
俺を暗殺者育成学校に誘ったあの人だよな。
血の繋がりはないけど、セリエの父親の。
「そうそう。その人から手紙が来てね、エイルの時間の都合を付けてほしいって」
……ん?
俺の、時間の、都合?
「というと……俺が時間を作ればいいって話ですか?」
「簡単に言うと、指定された日時に君を連れてこいって指令だね。私たちに、とある場所にエイルを連れてくるよう命が下った、って形になる」
…………
「なぜ?」
純粋に、理由がわからない。
要するに、ワイズが俺に用事があるから連れてこいって言ってるって話だよな?
ワイズ……ワイズ・リーヴァントとは、王都で会ったっきりである。
もし一回会っただけのあの時に何かあったのなら、今更話がやってくるのもおかしいだろう。
……あ、そうか。
だからヨルゴ教官、さっき「恐らくしたのだろう」と、不明瞭なことを言ったのか。
そう、たぶん、俺は何かしたんだろう。
そうじゃなければ、わざわざ呼び出しなんてしないだろうから。
「その様子だと心当たりはないようだな?」
「はい。まったく」
そしてヨルゴ教官は、俺に言えば何かしらの心当たりがあるかもしれない、と思っていたのだろう。
だが生憎、俺には本当に、思い当たる節がない。
真後ろにいるメイドのおばあさんが怖かったことを鮮明に憶えているくらいしか、心当たりはない。
でもそれにしたって俺が怖がっただけの話だし。
何かないかと目を伏せて考える俺を見て、エヴァネスク教官は小さく息を吐いた。
「私たちが集まったのも、ワイズがなんの用でエイルを呼び出すのか気になったからよ。こんなケースは今までなかったから」
そうなんですか。
…………
……せめて休んでから聞きたかったな、この話。
絶対なんかの事件が起こる前兆だろ。
馬車襲撃作戦から戻って、ほぼ間を置かず次の事件がやってくるとか、予定が過密すぎる。
少しくらいは休ませてくれよ……




