288.馬車襲撃事件 20
怪しいと踏んでいた三人の部下の内、ようやく一番怪しい者が割り出された。
「そうか、トリメか……」
コードは腕を組む。
「……彼女はないんじゃないかな」
ぽつりと漏れた一言に、キーピックも「だねぇ」と同意した。
「ギランとか、見ての通りじゃん? ヘンタイなんじゃないかってくらいゼットのこと好きじゃん?」
まあ、誰も強いて言おうとは思わなかったが。
誰もが薄々は「こいつゼット好きすぎるだろ」くらいは、ちょっとは思っていた。
「でも、トリメはその上を行くほどゼットに惚れ込んでるんだよね。
あいつのことは小さい頃から知ってるし、正直くたばればいいと思うくらい嫌いだけど、ゼットへの想いだけは疑う余地はないと思うよ」
チラッと見ただけで犬猿の仲だとわかるキーピックでさえ、トリメの擁護をする。
「ゼットは裏切りを嫌うから。わたしやコードのことならともかく、ゼットが嫌がることはしないだろうね。
それもカルシュオクを呼ぶなんて、下手したらゼットが死ぬような方法だし。
仮にあいつが裏切るとしても、あの方法は選ばないよ。むしろあれがあったから絶対違うとわたしは思うね」
――なるほど、人となりか。
ハイドラたちはあくまでも助っ人で、誰がどういう人なのか知らない、先入観のない視線でしか見られなかった。
しかし内情を知っているコードとキーピックが言うなら、そうである可能性は高いのだろう。
「まあ、そうね。元々一番怪しいのがあの三人ってことで、現段階では二人怪しくないってことになっただけ。
全てにおいて確証がないものね。可能性だけで疑うのも限度があるわ」
そう、あくまでもあの三人が候補だっただけ。
ほかの部下が容疑者から外れているかと言えば、そんなことはない。
疑い出せば、全員が裏切り者の容疑者である。
「でも、裏切り者がいるのは間違いないと思うわ」
「それは同意見だ。絶対にいる」
ならば、裏切り者はあの三人の部下ではない、と。
そういうことになるのだろうか。
それぞれが何かしら思案し、ふとした沈黙が訪れていたその時。
「――あのー」
疑惑と擁護が衝突した、問題のトリメがまたやってきた。
今度は一人である。
「おう、どうした」
トリメが裏切り者なんじゃないか。
さっきまで裏切り者云々という話をしていたなんて思えないほどに、パチゼットはゼットにしては穏やかな、誰だこいつと言いたくなるようなただの青年の顔で応える。
「疑問があったら聞いてもいいって、アニキ言ってたから。確かめにきたんだけど」
「ああ、言ったな。記憶がなくても答えられることならなんでも聞けよ」
「やった!」
トリメは素早くゼットに駆け寄ると、抱き着き、あまつさえ座っている膝に乗り上げ、頬にキスをした。
「……何してんだおまえ」
あまりの早業に誰も止める間もなく、パチゼットも拒否、拒絶する間もなかった。
「だって、さっき、本物かどうか、触って確かめても、いいって。言ったから」
言葉が止まる時はチュッチュやっている。
正直なんというか……まあ、何も言わない方がよさそうだ。
人の恋路に口出しすると、ロクなことはないから。
「あ、口はちょっと」
パチゼットが、いや、今のはマリオンの発言だろう。さすがにそこは拒否した。
「えー? なんでー? 偽者だからー? そこにキスしたら偽者だってバレちゃうからぁ?
――おっごぉ!?」
強引なまでに膝に乗り上げチュッチュやっていたトリメが、「これが女の勘か」と唸りたくなるような割と確信を突くようなことをほざいた瞬間、思いっきりぶっ飛ばされた。
「――あ、ごめーん。足が滑っちゃったぁ」
キーピックの靴の裏が、本当にモロに、トリメの横っ面に入ったからだ。
「……んだよっめぇよぉおおお! いつもいつもいつもいつも邪魔しやがってぇぇぇぇえええ!!」
さすがのトリメもキレた。
立ち上がるなりキーピックに殴りかかる――が、その前に、キーピックが彼女の胸倉を掴んでいた。
「いつでもやってやんよぉおおおお!!」
あれよあれよという間に、取っ組み合いで殴り合いのケンカが始まった。
「――一時撤退を提案する」
すぐにけたたましい怒号が入り乱れ出した中、ぼそっと告げたコードの一言にはいささかの反対もなく、全員が迷いなく洞穴を脱出した。
人の恋路に蹴りを入れたら、まあ、ああなるというものだ。
無事、洞穴から脱出できた。
中からは物が倒れる音やガラスが割れる音が派手に続いているので、荷物は無事ではないかもしれないが。
「あれが始まったら、しばらく放っておくしかないね」
だそうだ。
まあ、よくあることなのだろう。
「それに、たぶん流れでトリメが裏切ったかどうかキーが確かめてくれると思うから。続報を待ってから考えることにしよう」
それがコードたちの取る方針なら、助っ人はもう何も言えない。
「私たちはクロズハイトに戻り次第抜けることになる。だからそれ以降の裏切り者探しは手伝えないわ」
「わかった。こっちで対処するよ。もし手が足りないと思ったら、また頼むかもしれないけど」
「――利害が一致している間は善処するわ」
ハイドラたちは、孤児院に火種が持ち込まれるのだけは避けたい。
その辺の事情が絡むなら、また仕事を受ける機会もあるだろう。
帰りの道中。
あの話の直後から、変化があったことと言えば。
ゼットに対し無遠慮なトリメと、それを阻止するキーピックが何度もケンカしていた。
ギランが妙に馴れ馴れしくなり、「こいつやっぱりゼット好きすぎるだろ」と周囲に呆れられていた。
リッチは特に変わらずハイドラを口説き続けて、最終的に怒ったハイドラがベーコンで雇ったシロカェロロをけしかけ、追いかけ回されていた。
少々謎が残る結果となったものの、ハイドラが請け負った仕事は、これで終了である。
裏切り者が誰なのか。
目的はなんなのか。
それはいずれ知る機会があるのか、それとも知らないままで流れていくのか。
――心残りのようなものは多少あるが、とにかく。
遠目にクロズハイトが見えてきた。
ようやく帰ってきたのだ。
知らず安堵の息が漏れると同時に、やはりエイルは思うのだった。
――やっぱり悪いことはするものじゃない、真面目に働くのが一番だな、と。




