285.馬車襲撃事件 17
「ここにいる連中は全員、俺が記憶をなくしたことを知っている」
パチゼットの言葉を逃すまいと耳を傾ける部下三人は、確実にもう信じかけている。
「何しろほとんど何も憶えてねえからな。おぼろげだが、でも確かに憶えているのは、コードとキーピックのことだけだ。それ以外はわからねえ」
無理すぎる言い訳が通ろうとしていた。
「じゃあ記憶を失った経緯も憶えてないんだな?」
リッチがそんな質問をしたから――記憶喪失を前提に話を進め出したから。
「ああ。どうもクロズハイトの近くの森に入って、かなり奥まで行っちまったみたいだ。そこで何かがあったんだろう」
符合する要素を当てはめるなら、「狩猟祭り以降の行動」となる。
狩猟祭りに参加したゼットは森に入り、そのまま消息を絶った。
その理由は、奥まで行って何かがあって記憶を失ったから。
――記憶云々はともかく、奇しくも本物のゼット本人が本当に辿った経緯でもあるが。
「そこの女たちはなんだ?」
「記憶を失って彷徨っていた俺を拾った、とある組織に属する奴らだ」
一瞬暗殺者方面のことまで話すんじゃないかと不安になったが――一瞬だけハイドラたちに向けた視線が「任せろ」と言っているようだった。やはりどこか不安である。
「アニキの女じゃないの?」
「違う。だいたい俺の好きなタイプは…………まあそれはいい」
「えっ、えっ? 何? 何?」
もったいぶってエサをあげる素振りを見せるパチゼット。やっぱり結婚とかの詐欺師みたいだ。
「それよりだ――おまえら、『悪夢収集家』って知ってるか?」
その名前に何人かが反応した。
特にハイドラとセリエは、まさかここでその名前を聞くとは思ってもいなかったので、内心かなり驚いていた。
――それブラインの塔の座学で聞いた盗賊だ、と。
「『悪夢収集家』……って、あのおとぎ話の?」
すっかり話に前のめりのトリメに、パチゼットは至極真面目に頷く。
「そうだ、そのおとぎ話のだ。――だが実在するらしい」
「ちょっと待てよ」
リッチが頭を捻る。
「『悪夢収集家』は百年以上前に名を馳せ、捕まることなく消えていった、実在するかしないかわからないっつー伝説の盗賊だ」
知っている。
塔の座学で聞いた。
一般人にはすっかり忘れられているが、悪党連中には今も大人気の盗賊だ。
「で、その伝説の盗賊の名前が、なんでここで出てくる? まさかおまえ、『悪夢収集家』に記憶を盗まれたとかバカなことは言わねえだろうな?」
話が妙な方向に進んできた。
いったいマリオンは、どこに着地しようとしているのか。
この話をどこにどう繋げるのか。
「そう、この話はそこなんだ。よく聞けよ」
――そんなことを考えている時点で、ハイドラとセリエも、コードも、少しばかり、マリオンの話術にのめりこんでいる。
全員がぐっとマリオンの話に入り込んでいた、その時。
ガシャン
「あ、ごめん」
同じく、面白そうな顔して話を聞いていたキーピックの手から、酒瓶がすべり落ちて割れた。
「うっせーてめえバーカ! 邪魔なんだよ! アニキの相棒とか! 百年早いんだよ!」
「あんだこらメスガキこらぁ!」
ここぞとばかりに放たれたトリメの噛みつきに、キーピックも噛みつき返す。無法の国の少女らしさがむき出しである。
「――どっちもうるせえ!! 今はゼットの話だろうが!!」
一番話にのめりこんでいるギランの一喝で収束した。――本気すぎて怖い、本気すぎて引くくらいである。
「――取り込み中ですか? 取り込み中なら外しますけど」
またしても少々場が白けたが、ここでようやく、心に引っかかっていた人物が合流した。
「取り込み中ですよね? 私は外で待っていた方がいいですよね?」
メイドのエルこと、エイルである。
ハイドラもセリエもマリオンも、シロカェロロが一緒だったのであまり心配はしていなかったが、ずっと気になっていた。
見たところ、怪我も汚れもないので、無事切り抜けてきたのだろう。
シロカェロロがいないことは気になるが、彼女の場合はむしろ一人の方が生存率は高いだろう。
「よく戻ってきた。おまえも聞いてくれ」
今は綱渡りのような話の最中。
言い換えるなら、パチゼットが観客を騙しきるための劇の最中である。
この場で発言できるのは、基本的にはパチゼットだけである。
「でも取り込み中でしょう? 邪魔になりそうだし遠慮した方がいいかなって」
エイルはどうあっても同席したくない、というか面倒事に関わりたくないようだが。
「大事な話だ。一緒に聞いてくれ」
「……はい」
裏事情はともかく、表舞台では主役のパチゼットに言われば、聞かないわけにもいかない。
かなり嫌そうなエイルも同席し、話は進む。




