284.馬車襲撃事件 16
言い訳はパチゼットに任せる。
無謀というか、冒険すぎるという気がしないでもないが、よくよく考えるとそれしか逃れられそうな道がない。
まず致命的なのが、あの三人とゼットが作った思い出を、共有できてないことだ。
パチゼット――マリオンの「素養・形態模写」では、記憶までは「模写」できない。
記憶の齟齬。
この辺を突かれれば一発でバレる。
ただでさえ疑われている以上、これ以上失敗はできない。
綿密な打ち合わせをする時間もないし、変に言い訳してもボロが出るだけ。
逆ギレを演出して追い出す、という力技も、この段階となれば不可能だろう。
完全に疑われている現状でそんなことをしたら、リッチ辺りが普通に殴りかかってくることも考えられる。
そうなれば、パチゼットが弱いことがバレてしまう。
弱いゼットなんて、偽物以外にありえない。
ここまでの窮地となれば、もはや手遅れとしか思えないが……
「――任せろ」
しかしパチゼットは、しっかりと頷いた。
自分でもしくじった感の自覚があったのか、ここまで言葉少なだったパチゼットは、真剣な面持ちでしっかりと頷いて見せた。
「元々こういう役目も想定されていることだ。他人の『模写』には限界があるからな。
だが、その縛りがなければなんとでもなる」
そう語るパチゼットは、いつでもケンカを売っているような態度のゼットらしさなど欠片もなかったが。
しかし、いつになく自信に漲っていた。
ブラインの塔で一緒に生活しているハイドラとセリエでさえ、見たことがないほどに。
――そんなパチゼットことマリオンを見て、ハイドラとセリエは少しだけ不安になったのだが、それはわざわざ言わなくていいことである。
こうなってしまったら、もう見守ることしかできないのだから。
「――アニキ! 色々聞きたいことがあるんだけど!」
荷物の分配中に近くにやってくるのは、約束に違反している。
だが、それを押してでも確かめるべきと判断した、ゼットに近しい部下が三人やってきた。
ゼットを慕うトリメ。
密かに舎弟と自負するギラン。
なんだかんだでケンカ友達みたいになっているリッチ。
ゼットは部下を信用していないが、それでも、付き合いが深い三人と言えるだろう。
「席を空けてくれ」
怒りにも似た表情でやってきたトリメ、いつもの何を考えているかわからない表情のギラン、安酒の瓶をぶら下げてきたリッチ。
その三人を見ながら、パチゼットはコードとキーピック、そしてハイドラたちに言った。
――なるほど、おまえらにだけは秘密を明かすパターンか、とハイドラは思った。
改まった雰囲気を出し、さも特別にこいつらにだけは話をするという演出をし、味方に取り込むというよくあるやつだ。
よくあるだけに、効果があるのだ。
人間とは雰囲気にも左右されるものだから。
特に、普段なら絶対にこんな扱いはしないだろうという人物がやると、効果も高い。
「座れ。バレちまったようだから、おまえらには話しておく」
コードたち、ハイドラたちが立って見守る中、三人の部下が椅子に座り、パチゼットと対峙する。
「任せる」と言ったコードは、眉一つ動かさず状況を見守っている。
なかなかの胆力である。
そもそもの依頼の理由は、ゼット不在を誤魔化すためだ。
ゼットが不在と知られたら、ゼットの後釜を狙う者や、貧民街を手中に収めたい連中に狙われるようになるから、である。
そしてハイドラたちは、貧民街にある孤児院を守るために、依頼を受けた。
――しかもこの三人には、裏切り者の疑いがある。
一番バレたらいけない三人に、パチゼットは話そうとしている。
そしてバレたら――ゼットの後ろ盾がないとわかれば、コードたちの命も狙われかねないのだ。
この状況で表情一つ変えないとは、なかなかに肝が据わっている。……隣のキーピックは、この状況がわかっているのかいないのか、木箱から高い酒を勝手に出してチビチビ飲んでいる。彼女もある意味大物である。
「――いいか。聞かれる前に答えるぜ」
パチゼットはそう前置きし。
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これ見よがしな溜めを作り、緊張感を吊り上げていく。
ずんと重くなる空気と、張り詰めていく緊張感。
確かに有効なんだろうとは思うが。
(鬱陶しいわね……)
舞台裏を知っているだけに、ハイドラからすれば鬱陶しいもったいぶり方である。
ふと横を見ると、セリエがものすごく冷めた目でパチゼットを見ていた。
セリエからしても、人からしても、なかなか見れないレベルの冷徹な顔である。
彼女も「鬱陶しいなぁ」と思っているのだろう。
そんな鬱陶しい沈黙を経て、パチゼットは言った。
「――俺は記憶を奪われた」
なんだと。
言うに事欠いて、記憶喪失だと。
「まあ待て! 待て待て! 聞け! なんか言いたくなる気持ちはわかるが、先に俺の話を聞け!」
椅子を蹴倒さんばかりに勢いよく立ち上がるトリメ、不快さを隠そうともしないギラン、思わず吹き出して笑うリッチ。
三者三様の反応――ついでにコードは一瞬呆気に取られた顔をし、キーピックは「はいはい冗談冗談」と言いたげに肩をすくめて二本目に手を伸ばし、ハイドラとセリエは「連れがすいません」という気分になった。
そんな、ここまでに作り上げた鬱陶しい演出が台無しになるような台無し極まりない鬱陶しい嘘を吐いてくれたパチゼットだが――
「確かに信じられないだろう。言うに事欠いてそれか、って感じだよな。どんだけ使い古した陳腐な恋愛物語だよって言いたくもなるよな」
そう、それだ。
この大陸にいくつかある有名な恋愛物語には、確実に付加する「記憶喪失」というエッセンス。
記憶喪失の男を王子たらしめたり、記憶喪失の女をお姫様たらしめたり。
身分違いの恋愛を成立させるために、よく使われる仕掛けである。
子供の作り方も知らないような少女が、よくハマったりはするのだが。
さすがに、クロズハイト育ちには通用しないものである。
「でも、事実なんだ」
かなり白けた空気になっているが、パチゼットは無理めな言い訳を強行する。
「――コード、俺のタトゥー消してくれ」
突然の要求だが、コードは言われた通りに「色彩多彩」で「再現」していた、ゼットのタトゥーを消した。
「どうだ。よく見ろ」
パチゼットはテーブルに乗り出し、じっと一人一人を見詰めていく。
「俺がゼット以外の誰かに見えるか?」
――あ。
誰かが呟いた気もするし、誰も何も言わなかった気もする。
「変装だとでも思うか? 触ってみろよ、何一つ嘘偽りない姿だ。
おまえらが一番俺のことを近くで見てきたはずだ。この顔を見りゃ別人かどうかくらいわかるだろ」
無理すぎる言い訳を強行し、じっくり自分を見せたパチゼットの動きに。
確かに今、信憑性が生まれた。
そうだ。
見た目だけは間違いなくゼットなのだ。
ないのはゼットの記憶のみ。
雄弁に語る「容姿」がある。
ならば、変に言い繕う必要はない。
更に言うなら。
「――トリメ。記憶にはないが、おまえのことはかすかに覚えている気がする。……いつもつれない態度ですまねぇな。俺は本心を話すのが苦手みたいだからよ」
「――えっ」
「――ギラン。おまえのことも憶えている気がするぜ。いつも俺の背中を守ってくれてありがとな」
「――っ」
普段なら絶対にないゼットの言葉で、懐柔に……いや、落としに掛かっている。
ひどい言い訳などどうでもいい、と思わせるように、それぞれが幸せになれる言葉を振りまいている。
なんか詐欺師っぽいな、とハイドラは思った。
それも結婚詐欺とかそういうやつだ。
「……俺は?」
「おまえは笑っただろうが。おまえに言うことはねぇよ」
全員同じ対応はしない。
リッチだけ若干冷たくする、この特別感の強調と差別化の作り方も、なかなかに詐欺っぽい。