276.馬車襲撃事件 8
「――茶番は終わりだぁ! とっとと荷物を奪っちまえ!」
戦闘終了と見て、パチゼットが改めて号令を出した。
実力も知れない、見覚えもない、いきなりボスが連れてきた正体不明の女。
それが今、実力を示した。
弱肉強食の色が強い無法の国に住まう者だけあって、彼らは実力さえあれば敬意は払う。
とりあえず、これで当面は誰も文句は言わないだろう。
早くも敵意や害意以外の視線が向けられる中、エイルはまず魔術師と重戦士を解放した。
この期に及んで反抗する気もないだろう。
何せこの人数に囲まれながら、たった一人に負けたのだ。
ここまで実力の差を示されてなお抵抗するなら、それはただの愚か者である。
「――端の方で大人しくしていてもらえますか?」
エイルの注文に頷き、重戦士は転がっている仲間たちを担いだり引きずったりびたんびたんしている女戦士に「自力で来い」と言ったりして、一塊になる。
「もういいでしょう。これ以上やれば本当に血が流れることになります」
これから紐をほどくけどもう抵抗するなよ、という意味である。
「……わかった。俺たちの負けだ。一人も殺さなかったことに感謝する」
リーダー格が了承するのを見て、エイルは紐をほどいた――ふりをして「紐型メガネ」を消して回収した。
突然消えるような仕様になってしまうので、これもやはりフェイク交じりに回収せねばならないのだ。
「言っておきますが、ゼットは私より数倍は強いですからね」
「ああ……あんたみたいな強い女を部下に置けるくらいだ。さぞ強いんだろうな」
そう答えたリーダー格からは覇気を感じない。
反抗する気が、完全に失せたのだろう。
ならばもう大丈夫か。
さすがにもう、ここで剣を抜こうとは思うまい。
「その紐、なんの獣の革なんすか?」
まさかレイピアの男に、無邪気に問われるとは思わなかったが、エイルは「ただの牛の革ですよ」としれっと嘘を吐いておいた。
「……」
かなり不満そうな、そして散々地面をのたくったおかげで身体中埃まみれに薄汚れた女戦士の「紐型メガネ」も回収して。
これでようやくエイルの出番は終わりである。
「――0点君、結構やるじゃん」
「――素が出てるよ」
せっかく降りてきたし、エイルは早く撤収するために荷運びでも手伝おうかと思ったが、パチゼットに呼ばれた。
そういえばゼットの女という不本意極まりない設定だったな、と嫌々納得して、このままここにいることにする。
「一時はどうなるかと思ったぜぇ」
「私もです」
近くにはシロカェロロ以外いないが、一応それらしく振舞っておく。
簡単そうに思えたかもしれないが、実際はやはりシビアだった。
たとえば、もし女戦士が独走せず、リーダー格とレイピアの男と三人がかりの連携を見せていれば、また結果は違うものになっていたかもしれない。
あるいは、全員が全力で魔術師を守っていたら。
真っ先に魔術師を押さえられなかったらどうなっていたかも、なかなか想像がつかない。
全ての行動が正解だったかどうかはわからないが、限りなく正解に近い行動は取れていたかもしれない。
先の戦闘を振り返り、エイルはそんなことを考えていた。
あの七人の中の半分は、単純な身体能力だけなら、エイルにも負けていないのだから。
「なんとか無事に終わりそうですね」
「そうだなぁ」
着々と進む荷の略奪を、不審な動きがないか――裏切り者の探索をしつつ見守る。
騒ぎを起こしたコードはすでに仕事に戻り、荷運びや選定の指揮を執っている。
ちょこまかしているキーピックも、恐らくは「素養・隣の貴方」を使い、馬車の中や密閉された荷箱の中を探りまくっている最中だろう。
決してうろちょろして邪魔しているわけではあるまい。
なるほど戦闘はゼットに任せ、あの二人は略奪方面の仕事を担っているわけか。
そういう分担のチームでやってきたのだろう。
――商人たちの聞き分けの良さと抵抗のなさを見るに、コードの略奪方針やかじ取りは、間違ってはいないのかもしれない。
ここまでスムーズだと、もう商人は略奪されることをわかっていて、あえてこの道を選んだように思える。
だとすると、これは一種のビジネスの形と考えられるのかもしれない。
(……なんて言いすぎか)
やはりエイルからすれば、真面目に働けって感じである。
粗方の荷が運び出され、一ヵ所に集められる。
パチゼット、シロカェロロとともに荷の様子を見に行くと、……まあパッと見はそんなに高価な代物はないようだ。
毛皮が目立つし、タルなんかの中身は酒が詰まっているのだろう。
あるとすれば、赤、青、緑に透明と、宝石の原石が入った蓋のない小さな箱くらいか。
略奪している立場でなんだが――高そうだけど奪ってしまって大丈夫なのだろうか、とエイルは思う。
宝石が高価なことくらい、田舎者だって知っているのだ。
「ふーん」
パチゼットは原石を見て、ちょっと嬉しそうだ。
女性だからなのかマリオンだからなのかはわからないが、とにかく光物は好きらしい。
まあ、彼女の物にはならないと思うが。
積みあがった木箱にタルという物資だが、ここからどうするかと言えば――
部下たちがバラして持ってきていた荷車を組み立て、それで引いて行くようだ。
まさか一人一つずつ木箱を抱えて、なんてエイルも思ってはいなかったが。
運ぶ道具を全員で少しずつ持ち込んでいた、とも思っていなかった。
素早く組み立てられた荷車が三台並び、どんどん荷を乗せていく。
「へっへっへっ、順調だねぇ」
なんか高そうな酒瓶を持ってすでに飲んでいるキーピックが、へらへら笑いながらパチゼットたちの傍にやってきた。――全然関係ないが、エイルはその瓶にちょっと見覚えがあった。
来た流れでシロカェロロを撫でようとしたが、素早く振り向いた狼の青い目で見られ、手を引っ込めた。
あたりまえのことだが、噛み千切られたくはないのだろう。
「てめぇ何飲んでやがる」
ゼットらしくもあるが、誰からしても言いたくなるセリフである。仕事中に飲むな、と。
「黒蝶。奥の方に隠してあったから一箱だけ貰ってきた」
見覚えがあるはずだ、とエイルは思った。
身の危険を感じた騎士が好んで飲んでいた、高い酒である。
「――帰ったらこいつで祝杯あげよ。あんた酒好きだろ?」
キーピックが小声で囁いたそれは、ゼットに宛てたものではなく、身代わりに対しての言葉である。
「じゃあ先に飲むなよ」
そんなもっともな返答に、キーピックは「はっはっはっ」と朗らかに笑いながら行ってしまった――去り際にシロカェロロを撫でようとしたがやはり諦めて。
そんな矢先のことだった。
「……」
ふとシロカェロロが振り返り、それを追うようにエイルも振り返った。
何事かと思っての反射的な行動だが、シロカェロロが振り返った理由はすぐにわかった。
「――非常事態よ」
崖の上から、ハイドラとセリエも降りてきて合流したからだ。
「エル君、魔法陣が」
それでわかった。
セリエの「落とし穴の魔法陣」で段差を作った後。
もしもの時のことを考えて、もう一つ仕掛けたものが作動したようだ。
場所は、馬車の進行方向。
この渓谷の先の方で、やや急カーブ気味になっていた、ここからでは見通せない場所に。
「――コード!」
相変わらず指揮を執っていたコードを呼びつけ、エイルは手短に告げた。
「何か来た」
本来はエイルが仕掛けようと思っていたが、セリエが手伝ってくれたので、助力を受けて「重量を調べる魔法陣」を敷いてもらったのだ。
効果としては、魔法陣の上に置いた物質の重さを測るものだが。
少し設定を変えて、「ある程度の重量の物が乗ったら発動する」ようにしてもらった。
つまり、魔法陣に何かが乗った――通過したということだ。
セリエは魔法陣が発動したことを察知したのだ。
ここは一本道。
そして今こちら側では略奪行為の最中で、こちら側から何かが行ったわけではない。
――ならば、向こうから「何かが来ている」ということだ。
「――敵が来る! 急いで撤収だ!」
言葉少なながら、それが意味するものをコードは瞬時に悟り、声を上げた。
すでにだいたいの仕事が終わっていただけに、コードの言葉を受けてからの撤収は早かった。
ガタガタと荷を揺らしながら、数人がかりで荷車を引いたり押したりして、走るような速度で逃げていく。
元々戦闘要員が少ないだけに、部下たちは引き際というものをよく理解しているようだ。