270.馬車襲撃事件 2
「――結構負担が大きいね」
それが、依頼人であるコードから説明された話への、飾らない感想だった。
ゼットがこれまでに行ってきた馬車襲撃や、ほかの悪事のやり口を聞き、今はそのゼットに扮しているマリオンはそう呟く。
まあまあ素が出ているが、周囲には関係者しかいないのでセーフだ。
――エイルとセリエが、馬車を止めるための罠を仕掛けたのを確認し、襲撃ポイントから大きく離れた場所に移動してきた。
広範囲に広がる林の中の、岩の裏である。
そこかしこに部下たちが潜んでいるが、今パチゼットの傍には、コードとキーピック、ハイドラとシロカェロロがいるだけだ。
さすがに仕掛ける直前にははっきり邪魔なので、トリメとギラン、リッチは離れている。
というか追っ払った。
本物のゼットは、コードとキーピックしか信じていないので、仕事中に同行できるのはこの二人だけだ。
――なので、今回はかなりイレギュラーな扱いを受ける者が同行している、という感じになっている。
ここにいる者たちは知らないが、まだ崖の下にいるエイルらに一言告げるべく現場に残っているギランは、それがかなり気に入らないのだ。
「仕事をしている時、味方が裏切ることもあったからね。ゼットはできることは一人でやりたがるから」
ゼットは一人で襲う。
今回のように馬車を襲撃するなら、部下たちに囲むよう指示を出して逃がさないようにして、一人で略奪交渉に当たる。
もちろん、場合によっては実力行使だ。
状況によってはコードとキーピックも手伝うが、この二人は弱い。
戦力としては期待できないし、してはいけない。
だが、奪った荷を運ぶには、どうしても人手が必要なのだ。
金銭は好きだが、クロズハイトで使うには足が付く。
何より、あまり派手に外貨を失うようなら、どこぞの国だって本気で怒り出すだろう。
クロズハイトを潰すような計画が持ち上がれば、大変なことになる。
それよりは荷物を奪った方が、まだ使い勝手がいい。
貧民街にばら撒くなら、物資の方が話が早かったりする。
――ゼットたちは義賊だ、なんて口が裂けても言えないが、彼らの根城となっている貧民街に大きな貢献をしているのは確かである。
だからどちらかと言えば、金銭よりは荷物に用があるのだ。
しかしゼット一人、コードとキーピックが付いたところで、三人で運べる荷の量など知れている。
それらを運ぶ人員が必要なのだ。
弱くてもゼットの部下が務まる理由は、この辺にある。
ただ荷物を運ぶだけでいい金になる。
危ないところはゼットがやってくれるのだから、自分たちでやる仕事より安全。
そういった理由で、ゼットに付いている者が大半である。
――という事情があったりなかったりするのだが、今回に限りはアレである。
「荒事は苦手なんだ」
今回ここにいるゼットは、マリオンという別人である。
それなりに戦う力は身に付けているが、腕っぷしに自信があるとはとても言えない。
これまでのゼットのやり方を踏襲するなら、マリオンが一人で馬車を襲わなければならなくなる。
悪名高いゼットだけに、本人の姿と言動があれば、向こうは無抵抗で荷を差し出してくる可能性は、なくはない。
だが、もしそうじゃなかったら?
もしそうじゃなかったら、向こうの護衛たち全員が殺す気で襲い掛かってくるだろう。
「だいじょーぶだいじょーぶ。気楽にやんなよ」
「いや死ぬから。気楽にできるか」
無責任に肩をポンポンするキーピックの手を払うマリオン。
彼女の心配は当然と言えるものである。
「なんとかなると思うわ」
その辺のことは、ハイドラに考えがある。
「まずゼットにはいつも通りやってもらう。その辺の指導は受けた?」
「大体は。たぶん大丈夫」
道中、数少ない隙を見ては、こそこそとコードとキーピックに「ゼットらしさ」を叩き込まれてきた。
最初こそ、トリメに質問されて、ハイドラたちを「助っ人」と答えていいのかどうか本気で迷ってしまったが、今なら大丈夫だ。
「結構。教えられた通りに動けばいいわ。それで、もし相手に抵抗や対抗の意志が見えたら――」
これからの段取りを説明している最中にエイルとセリエが戻り、二人も入れて最後の打ち合わせが行われた。
いろんな意味でいい顔をしなかったエイルとセリエに、ハイドラだって内心いい顔はしていないが、はっきり言い切った。
「――誰が選ばれても恨みっこなしよ。これでいいでしょ?」
三人がとあるリスクを負う結果となったが、これは仕方がないのだろうと、三人とも……いや、二人だけ思っていた。
――エイルだけが、「それはきっと俺がやるべきなんだろうな」と、一人覚悟を決めていた。
馬車が近づいてきた、という報が入り、林に潜む者たちは静まり返った。
元々静かなものだったが、より自然と同化したかのように気配を絶ち、林の至るところに隠れている。
幽呟の谷は、これまで何度も襲撃に使われた場所である。
国と国を渡り行く商人ならば、間違いなく、盗賊多発地帯として耳に入っていることだろう。
だからこそ警戒し、
「――妙な感じはしないでもないけどなぁ」
「――確かに鳥の鳴き声とかしねえな……でも誰もいないぜ」
向こうの崖と、こちらの崖に男が二人ずつ。
左右の崖を昇ってきたのは、馬車に付いている護衛であり、斥候役である。
潜んでいる賊がいないかどうか、先行して調査しにきたのだ。
「――なんか引っかかるが……でも何もないな。引き上げるぞ」
「――おう」
付いている護衛は、なかなか優秀らしい。
すっかり隠れ切っているゼットたちのことを、勘に近いレベルではあるが、看破しようとした。
だが、見つからないのも無理はない。
賊は、彼らの会話が聞こえないほど、遠くに潜んでいるから。
つまりお互い肉眼で確認できない場所にいるのだ。
馬車が襲撃ポイントに到着するのも見えない、そんな奥まった場所に。
更には、護衛たちが崖を昇って見に来たのを察知し、もっと距離を空けるほどに慎重に動いている。
馬車が罠に掛かるまで、絶対に見つかるな。
この場所に潜む前に厳命した作戦は、全員が抜かりなくこなしている。
「――本当にうまく行くの?」
巨木の裏に隠れているパチゼットは、同じ場所に隠れているエイルに小声で問う。
どんな仕掛けをするかは話してある。
セリエにも言われたが、なかなか信頼に足らない罠に思えるようだ。
「――ハイドラの言ってた通り、落とし穴でよかったんじゃない?」
確かに、落とし穴を使えば確実に止められるとは思うが。
「――大丈夫だよ」
落とし穴は無差別だ。
落ちる者を選ばない。
しかし確実に言えるのは、落とし穴を使えば、馬が怪我をする可能性が高いということだ。
もちろん馬車だって壊れるかもしれないし、積んでいる荷が衝撃で傷むかもしれない。
陶器類なら割れるだろうし、酒も漏れるかもしれない。
運が悪ければ、御者や馬車に乗っている人、近くにいた人が、馬や馬車の下敷きになって死ぬこともありえる。
エイルは、これらのリスクを帳消しにする、馬車を止める罠を考え仕掛けた。
現場が見えない場所まで引いたのも、あの仕掛けで確実に馬車が止められることを確信してのことだ。
「――私も大丈夫だと思うわ。落とし穴より安全な落とし穴よね」
と、ハイドラが笑う。
落とし穴より安全な落とし穴。
なるほどそんな感じだな、とエイルが頷いたところで――
ヒヒーン!
遠くで馬のいななきが聞こえ、全員が隠れている場所から飛び出した。
馬の鳴き声。
それこそ、罠に掛かった合図である。




