260.メガネ君、ややショックだった
「――それにしても参ったわね」
ハイドラは空席になった椅子を見ながら腕を組む。
「シュレンが手伝ってくれないとなると、作戦に支障が出るわ」
そうなのか。
人員確保ができていなかったので、まだ具体的な作戦は決まっていないが。
やる気満々のハイドラは、すでにいくつか計画ができていたらしい。
その計画の中に、早々にシュレンを組み込んでいたようだ。
でも今しがた断られたからね。
「こうなったら」
ハイドラがぐるりと俺たちを見回し――俺に目を止めた。
「エイルに実行犯をやってもらうしか」
「待った」
無理だよ。無理だって。実行犯って矢面に立つ役割でしょ。明らかに俺じゃないって。
「俺、弓使いだよ? 前に出てもできることないよ?」
弓使いが前に出てどうする。
むしろ実行犯の援護をするのが俺に向いた役割だろう。最前線に出すな。
「そうよね」
よかった。
本気ではなかったようだ。
……真顔で言うなよ。恐ろしい女だ。
「でも実行犯がいないと、やっぱりエイルに頼むしか」
待って。
半分くらい本気だった。
この女、半分くらい本気で言っている。まずいぞ。このままだと前に出されるぞ。
…………
実行犯。
つまり、ゼットが負っていた役割か。
あいつ強かったもんなぁ……そりゃ矢面に出てガンガンやってたんだろうけどさ。
でも、俺に代わりは無理だって。
さすがにこれは個人的なえり好みじゃなくて、向き不向きの問題だって。
俺には物理的に不可能なんだって。
――となると、ほかに探さなければいけないわけだが。
ふと食堂を見渡すと、今塔に住んでいる候補生たちが思い思いに過ごしている。
今昼食の用意をしているので、それを待っているのだ。
俺も待っている。
何せ今日の料理担当は、料理人ベルジュである。
間違いない日なのだ。
すでにおいしい匂いも漂ってきているし。
まあ、それはともかく、実行犯だ。
とにかく実戦、接近戦が強い者が必要である。
今ここにいるメンツから見出すのであれば――
フロランタンはちょっと特殊なので除外するけど、俺が知る中では、リッセとエオラゼルだな。
この二人は断トツで強い。
そしてハイドラが予定に組み込んでいた以上、シュレンも強いんだろう。
あとは……何気に強いのは、トラゥウルルだな。
彼女は正面切って戦うタイプじゃなくて、常に不意打ちを狙って襲い掛かるタイプだ。
「素養・影猫」がそれを可能とし、それに合わせるように彼女自身の動きも鍛えられている。
でも、それでも普通に戦っても強い方だ。
幸い隣のテーブルで、相変わらずフロランタンとイチャイチャしているので、ちょっと声を掛けてみようかな。
「――ねえトラゥウルル」
「――やだ!」
うわ、拒否反応を示した。まだ何も言ってないのに。
「なんじゃどうした。いきなりどうしたんじゃ」
「エイルきらい! あのメガネきらい!」
…………
あれ。
なんか胸が痛いな。
…………
……そうか……
どうやら俺は、トラゥウルルに嫌われて、ちょっとだけショックを受けているようだ。
別に好かれたいとはまったく思わないけど、でも、嫌われるのはイヤだったらしい。
「あはは。フラれたねぇ0点君」
マリオンに笑われたけど、そっちは本当に全然どうでもいいのに。なんなら嫌われたって構わないくらいなのに。
……でも、猫に嫌われるのは、イヤだなぁ……
予想外にして想定外のダメージを心に負ってしまったものの、不在の実行犯問題は残ったままである。
こうなると、やっぱりリッセかエオラゼルに頼むしかないんじゃなかろうか。
でもなぁ。
ハイドラが最初に候補に挙げなかったのなら、あの二人には任せられない理由があるのだろう。
俺だって馬車を襲うなんて初めてのことだし、予想もつかない問題が勃発する可能性も否めない。
全て作戦通りに、順調に動けるかどうかもわからない。
排除できる不安要素は削り落としておくべきだ。絶対に。
……でも結局、選べる候補がすでにない……――ん?
なんか見慣れない人が食堂へやってきたと思えば、ばさりと大きく振られた白い尾でわかった。
あれ、新入りのシロ……なんとかだ。
狼型じゃなくて、本来の姿である獣人型の方だ。
毛量が多いのだろう膨らんで伸び放題の長い白髪に、獣の瞳孔をした青い瞳。
そして揺れる尾。
トラゥウルルと違い、狼の特徴を持った獣人だ。
……にしてもすごいな。
ハイドラの美貌もかなりのものだが、シロなんとかも掃討美しい女性である。
その上色々大きい。
背とか。
胸とか。
胸とか。
――いつか大空に轟いだ「見ろよあのボイン! 超でっっっけえっっっ!」という、しょうもないあの言葉を思い出すほどに。