25.メガネ君、光るメガネに戸惑う
――見つけた。
森に入って半日掛けて、ようやく探していた刺歯兎の巣を発見した。
準備をして森へ向かい、一晩明かした早朝から、未踏だった森の奥へと踏み込んだ。
狙える動物や虫などを全部無視し、狙いである刺歯兎を探し続けた。
好物である草が齧られた跡、新しい糞などはすぐに見つかったが、どうもしばらくこの辺を住処にしているようで、痕跡が追いづらかった。
新しい痕跡が、更に新しい痕跡で塗りつぶすように交錯し、図らずとも追跡者を撒くような軌道になっていたのだ。
だが、小高い崖の下に洞穴――巣を見つけることができた。
中に何者もいないことを確認し、侵入して調べる。
敷いた草や抜け毛の色やらで、最近も使われている刺歯兎の巣だとわかる。ウサギは魔物には珍しい草食獣なので、生き物の食べ残しや骨などもなかった。まず間違いないだろう。
ここまでわかれば、もう狩ったようなものだ。
臭い消し用の葉をすり潰して撒いて俺の痕跡を消すと、高めの木の上に昇って、枝の上で待機する。
刺歯兎は昼行性だ。
陽が落ちてくれば巣に戻ってくる。
それからしばらく待ち、陽が傾き、木々が落とす影と夜の気配で森が暗くなってきた頃、刺歯兎が帰ってきた。
白と灰色のまだら模様の毛皮、聴力に優れた長い耳。
そして口に納まらない犬歯のような大きな牙。
うん、立派なウサギだ。
ウサギにしては大きいが、熊よりは小さい。だいたい狼くらいの大きさだ。
だが、俊敏性は狼よりも優れている。
それに好戦的な性格で、いろんな動物や魔物、人間にも襲い掛かる。そのくせ勝てないと踏んだ時の逃げ足が早い。
仕留めるなら、逃げる間も与えず、一撃で。
それが理想である。
――まあ、普通にやればだが。
俺は狩人だから、真正面からまともに相手する理由はない。
「……」
刺歯兎は周囲を見回し、耳を動かして音を探り、外敵がいないことを確認してゆっくりと巣に入っていった。
俺は矢を一本手に取ると、準備してきた革袋の口を開け、矢尻を突っ込む。中に詰めた粉をたっぷりとまぶす。
ホズ茸というしびれ茸を乾燥させた粉末である。
即効性が高いので、打ち込めばすぐに効く。そしてすぐに効果が消えるのも特徴だ。
本当は液体の方がもっと効くが、翌日には食べることを考えるならこっちだ。贈答用だから。
もちろん、麻痺毒が効いている間、黙って見ているつもりはないが。動きの鈍ったウサギなら確実に仕留められる。
つまり、これを打ち込めれば俺の勝ちだ。
外せばたぶん逃げると思うけど。
でも、この状況で外すようじゃ、絶対に師匠に殴られるだろうなぁ。外す気はないけど。
……よし。勝負だ。
左手に弓を持ち、麻痺毒を付着させた矢を番え、右手で腰の革袋を外す。これは先日買った赤熊除けの『臭気袋』だ。
暗くなってきたので「メガネ」を暗視に変え、口をゆるく開けた『臭気袋』を刺歯兎の巣に投げ込んだ。
…………
やっぱり臭いな。距離があるのにここまで臭う。
待つまでもなく、巣から刺歯兎が飛び出してきた。赤熊ほど鼻が効かなくてもあれは強烈だろう。
敵襲と見て血気盛んに飛び出し、周囲を見回している。
その首目掛けて、矢を放った。
「ぎゅぅっ!?」
よし、入った。
狙い違わず矢が刺歯兎の首に突き立ったを確認し、俺は木から飛び降りた。
「――ギュォォォォ!!」
外敵を発見し、刺歯兎が怒声を上げた。
あとは麻痺毒が効いてくるまで逃げて、せいぜい毒を回してやるだけだ。
仕留めた刺歯兎を担いで川まで戻り、血抜きをする。
もう陽が暮れた。
王都に帰るのは、やっぱり夜中になりそうだ。
簡単な夕食で腹を満たし、少し仮眠する。
すっかり世界が星空に染まる頃に目を覚まし、活動を再開。
星空の彼方に雨雲が広がっている。明日か明後日か、雨が降るかもしれない。
最近は全然降ってなかったから降ればいいのに。
そんなことを考えながら、血抜きを済ませた刺歯兎を両肩に担ぎ、小走りで帰途に着いた。
――問題が起こったのは、その時だった。
「っ!?」
びっくりした。
足がもつれて転びそうになるほど驚いた。ウサギを落としそうにもなった。狩人の端くれとして、決して獲物を粗末には扱えない。
色々と危ないところだった。
「今度はなんだよ」
俺はウサギを担ぎなおすと、「メガネ」を外してみた。
……うん。
光ってるね。レンズが。
星の瞬きのように点滅してるね。目に優しくない現象が起こってるね。
急に目が眩んだから本当に驚いた。何らかの攻撃を食らったとか、目がおかしくなったかと思った。
答えは、レンズが光ったから。
どういうことだよ。攻撃とか目がおかしくなった方がわかりやすいよ。……そっちがいいとは言わないけど。
…………
とりあえず、もう一回掛けてみるか。
……だから見えないっての。眩しいっての。
……あ、見えた。光が収まったようだ。
…………
「…? ……?」
見える景色が、違う?
肉眼だと、星空の下、街道を進んでいて、遠くに王都らしきものがぼんやり見えるけど。さっきまで「メガネ」越しで見ていた景色だ。
でも、今度は「メガネ」越しで見える景色が、まったく違って見える。
左手に星空、右側に……地面、か? 暗くてよくわからないが……
この見える景色だけで言えば、ここじゃないどこかで、「横倒しになって見ている景色」だ。
屋外だな。それも王都内ではないだろう。
こんなに遠くまで見える、建物がない見通しがいい場所なんて、王都の中にはないと思うし。それに先の方には木々らしきものも見えるし。
「……ん?」
不可解な景色に、何かが映り込んだ。まだ遠いが……人影か? 木々の中を動いているな。たぶん一人だと思うが。
…………
この見える景色だけで言えば、ものすごく嫌な予感しかしない。
これは、今、誰かが見ている景色か?
いや、推測する情報は一つだ。
この「メガネ」だ。
これがすべてのカギであり、これに起こる現象のすべてが「メガネという素養」の範疇にある。
この「メガネ」が俺に何かを伝えたいと言うなら、俺にわからないわけがない。
これは「俺の素養」なんだから。
…………とは思うが、現状何も変わりはない。まさに「メガネ」を使いこなせず「メガネ」に振り回されているという状態だ。どんなメガネだ。
何かが起こっているのはわかる。
「メガネ」が何かを伝えたいのも理解できる。
問題は、「どこで」起こっているかがわからないってことだ。
……たとえば、こう、見回してみて、「見せられている景色」がどこなのかわかれば――あ、わかった。あっさりわかった。
とある方向を向いたら、景色が「こちら」に戻る。俺の見ている景色に戻る。
そして視線……いや、「メガネの先」に、さっきのように点滅する光が見える。距離からしてだいぶ遠いようで、小さな光だが。
きっと「メガネ」は、この光の先に行けと言っているのだろう。
何が起こっているかはさっぱりわからないが、人が事件や事故に巻き込まれているかもしれない予感は、ひしひしと感じている。
迷いはあるが、即断はできる。
「……人命優先だよな」
辺りに人はいない。
行商人でもいたら、お金を払って預かってもらえたり交渉もできたと思うが……仕方ない。
俺は担いでいた刺歯兎を置き、光点の先に全速力で走り出した。