249.ゾンビ兵団討伐作戦 4
ドン ドン ドン ドン にゃー
合図が上がった。
林からゾンビたちを誘導する三人が聞いたであろうタイミングと同時に、違う場所でも同じ合図が上がっていた。
正面に林を睨む沼地の奥に陣取る、リッセとハリアタン、リオダインの三人である。
「……合図って今のか? 気が抜けるなぁ」
そう漏らすハリアタンの声は、確かになんだか気が抜けている。
今の「にゃー」で本当に気が抜けたのだろう。
断続的に続いていた太鼓の音が止んだので、今の「にゃー」が契機なのは間違いないだろう。
割と緊張感が高まっていた時に聞くトラゥウルルの声は、なんとも肩透かし感が強い。
まあ、とにかく、合図は上がった。
「いよいよね。リオ、準備は?」
「――いつでも」
その時に向けて時間を掛けて準備をしていたリオダインの身体は、ぼんやりと光を放ち出している。
練りに練られた魔力が、今や爆発寸前までに高まっているのだ。
「すげーな。光ってるぜ」
「あ、やめて」
ハリアタンに脇腹をつつかれた拍子に、リオダインの放つ光がふっと弱まった。
まるで揺らぐロウソクの火に、息を吹きかけたかのように。余計なちょっかいで集中を遮られたようだ。
「何やってるのハリア!? 冗談じゃ済まないタイミングでバカなことしない!」
これから大魔法を放つ予定のリオダインに、まさかの不発の可能性が見えてしまった。
リッセの焦りまくった声に、応えるハリアタンの声も焦りまくる。
「わ、悪かったよ! マジで! このくらいでどうにかなるとか思わなかったんだよ!」
確かに普段なら、そして普段使うような魔法なら、脇腹をつつかれた程度ではどうともならない。
が、今リオダインが使用しようとしている魔法は、今までにないほど大きなもの――対抗戦で使用した砂嵐の魔術よりも大掛かりなものである。
当然、リオダインに掛かる負担も準備も、普段より大きなものとなっている。
魔術と魔法の違いは、放つ過程と手順の違いにある。
魔術は、ある程度想像や発想で使用できるが、魔法は違う。
きちんとした手順、きちんとした集中、きちんとした発動が必要となる。
簡単に言えば、アドリブが魔術、正式な手順を踏まえたものが魔法である。
魔術の方が使い勝手はいいが、正式な手順を踏まえた方が魔力の消耗は少ないというメリットがある。
今回リオダインが使用する魔法も、魔術では使えないほどの大きなものである。
それに、諸々の負担もそうだが、特に精神的に掛かる重圧が重かったりする。
当人はプレッシャーに弱いので、そこは仕方ないが。
「だ、大丈夫。絶対やりきるから」
昔から気が弱く、責任に圧し潰されそうになり、満足に実力を発揮できないことが多かったリオダイン。
いつからかマイナス思考に陥り、リスクを恐れて一歩が踏み出せない自分に慣れてしまっていたが、ブラインの塔に来てからは、ずいぶんと自信が付いたように思う。
――「リスクを考えないバカがリーダーやっちゃダメでしょ」。
いつだったか、課題という形のリーダーを任された時に言われた、メガネの少年のあの言葉でずいぶん救われた。
マイナス思考は悪くない、と。
むしろマイナス思考だからこそ、失敗の可能性が思い浮かぶからこそ、予防策を考えることができる、と。
「魔術師はデリケートなの! とっとと行け!」
「ケッ! 悪かったな!」
リッセはとっとと邪魔者を追い立てた。
しょうもない冗談で失敗しかけたものの、元々合図とともにハリアタンは移動である。
ハリアタンは少し横に逸れた岩の上から、ゾンビ目掛けて援護の投石を行うことになっている。
正面からだと目の前を走ってくるだろう林の三人の邪魔になるし、また援護もしづらいから。
「行こう、リオ」
リッセは隠れていた岩の上に登り林の真正面に立ち、リオダインは岩の下の脇に立つ。
リッセは二つ目の作戦の合図を出し、有事の際にはリオダインを守る護衛。
そしてリオダインは、準備していた魔法を放つ役目である。
地鳴りのような足音が近づいてくる。
「そろそろ来るかの?」
「しっ。しゃべるな。物音もダメだ。静かに」
待ち伏せするフロランタンとベルジュは、そのタイミングを今か今かと待っていた。
二人がいる場所は、林の境目くらいであり、沼地の終わり頃。
つまり、林と沼地の間だ。
リッセとリオダイン、ハリアタンが沼地の向こうに見えるので、すでに作戦開始の合図は上がっているのだろう。
――くれぐれも物音を立てるな、視界に入るな、と。
作戦を説明されている段で、フロランタンとベルジュは何度も言われてきた。
フロランタンは作戦の要の一つだ。
そしてベルジュは、フロランタンの護衛として一緒に潜んでいる。
まあ実際のところは、フロランタンならゾンビたちに見つかっても襲われても返り討ちにして生き残れるので、ベルジュだけが危ないのだが。
地鳴りの音が近づいてくる、と思った瞬間、三人の囮役が視界に入ってきた。
と――
ドドドドドドドドド
何十何百ものゾンビの群れが、二人が潜む岩を避けて、囮の三人を追いかけていく。
「おぉ……さすがにすごいのう」
「しっ」
さすがに地鳴りと足音に囲まれた今、ただの会話の声すら掻き消されるとは思うが。
それでも、気づかれない保証はない。
呻き声を上げながら、ゾンビたちが走っていく。
まさに死が生を追い駆けている光景である。
「――来るぞ。準備しろ」
ゾンビたちの群れが途切れてきた頃、そのゾンビたち越しに見える岩の上にいるリッセが、高く右腕を上げた。
ベルジュが低く言うと、フロランタンは手にあるロープを握り直した。
「いつでもええど」
リッセの一挙手一投足に注視し――ほんの一秒をじりじりと待ったベルジュが、吠えた。
「今だ!!」
リッセの右手が振り下ろされた。
自分たちを隠していた蓋の岩を蹴り飛ばしてベルジュが表に飛び出し。
続くフロランタンは、背にして隙間に潜んでいた岩に登り、向こう側に着地し――
「うおっしゃああああああぁぁぁぁ!!!!」
全開の「怪鬼」で、手にあるロープを引いた。
いわゆる罠結びという、簡単な仕掛けである。
輪っかを作り、結び目を起点にし、持ち手を引っ張ると輪が締められる、という罠としてはもっともメジャーで簡単なものである。
その罠結びで作った簡単な罠を、沼地の中央、広範囲に仕掛けていた。
買い求めたロープを一本一本しっかりチェックし繋ぎ合わせ、かなりの長さにした物を。
もちろん、大量の……数百にもなるゾンビたちを捕まえるための罠である。
三人の囮は、ゾンビをまとめて罠に掛けるために走り、連れてきたのだ。
この場合問題となるのが、輪を締める力である。
ゾンビ数百体もの重量をどうにかできるのか。
百を超えるゾンビである。
意志や警戒心、何かを回避する思考こそないものの、重量だけは確かに存在するのだ。
「――数百くらいならなんとでもなるじゃろ」
作戦立案の段階でそんな疑問を投げかけたところ、怪力の忌子は平然とそう言ったのだった。
そして今。
完璧なタイミングで合図を送ったリッセに応え、フロランタンは予定通り、数百体のゾンビを吊り上げて見せた。
――この光景をどう説明すればいいのか。
こうなるだろう、と想定はしていたベルジュだが、考えているのと実際見るのとは大違いである。
勢いよく引かれたロープは、固定していた木の細工を弾き飛ばし、一気にゾンビたちを締めあげた。
数百ものゾンビが一斉に急ブレーキを掛けられ、更には急激に引っ張られ、ひとまとめになって宙を舞う。
先頭付近にいたゾンビの何体かは、慣性と後方のゾンビの重量とロープの圧に耐えかねて千切れ飛んだようだが。
沼地に来たゾンビの九割以上がロープに絡めとられた。
「……ストップだ! フロランタン!」
びちゃあ、と、泥が跳ね下敷きにされて潰れたゾンビの嫌な音が一帯に響き、更にずるずると引きずられる様を見て、ベルジュは待ったを掛けた。
この罠の役割は、大群の足止めである。
引きずって移動させることは、入っていない。
というか、できる方がおかしいのだが。
「おう、もうええんか?」
「ああ。滅多に見れないからおまえも見とけよ。次は――」
リオダインの大魔法だ。




