247.ゾンビ兵団討伐作戦 2
「――にゃ? 何してるのー?」
林へ向かうルートと、林から出てくるルートを最終確認していたトラゥウルルが、本来いるはずのないここにリッセがいるのに気づいて声を掛けた。
サッシュはともかく、リッセの持ち場はここではない。
ここは、ゾンビが巣食う林の近くにある、岩の裏だ。
岩の向こう側には、すでにゾンビの姿が確認できるほど、近い場所である。
「まあ、ちょっと」
サッシュの名誉だの誇りだのメンツだのを考え、リッセは言葉を濁す。エイルも誰にも言わなかったので気を遣ったのだ。――まあエイルは面倒だから言わなかっただけだが。
言葉を濁しつつ、ふと思う。
そういえばトラゥウルルも、ゾンビが苦手だったなと。
「ウルルはゾンビ大丈夫? 昨日かなり嫌がってたけど」
「さすがに慣れたよー」
――昨日行われた林の中の実験と調査と仕込みは、主にトラゥウルルが請け負った。
すぐ隣にゾンビがいるような環境で活動せざるを得なかったのだ。
嫌でも慣れた。
実験のために、頬の肉が削げ落ちて骨や歯が剥き出しになったゾンビに渾身の右ストレートをかましたり、内臓がデローンとなっているゾンビの脇腹に蹴りを入れたりと、忘れたくても忘れられないいろんな行動も起こしている。
ちゃんと見ないと、ちゃんと当てられない。
どんなに抵抗感があっても、見ざるを得なかった。
もはや何もかもがどうでもいい――それくらい開き直らないとやってられなかったのだ。
――「私、ゾンビの頭を蹴っ飛ばして首を飛ばしたことがあるんだぜ」。
いつか同郷の幼馴染に、そんな自慢話をする野望を抱くくらいには、慣れた。無理やり慣れた。
「あれだけ苦労したんだから、ぜったいぜったい調査結果を活かしてほしいよねー」
トラゥウルルからすれば、今回の課題はその言葉に尽きる。
どんなに嫌だと言っても許されなくて、見たくないものを観察して、触りたくないものを殴ったり蹴ったりして、胸いっぱい腐臭を吸ったのだ。
今更「あれは全部無駄でしたー」なんて言われたら、正常ではいられない自信がある。
主に指示を出したエイルをボッコボコにするだろう。
「苦労したから、か……だよな」
サッシュは呟き、握りしめている瓶の蓋を開けた。
「立ち止まってる場合じゃねえよな。俺だって苦労してようやくここまで来たんだ。引くなんて考えらんねえ」
――サッシュは、暗殺者見習いになる直前、とあるトップクラスの冒険者連中の荷物持ちをしていた。
いわゆる下積みというやつである。
自分はあの時、便利な小間使いのように扱われていた。
かなり不遇で、このまま日の目を見ることなく終わるのではないかと悩んでいた。
優秀な「素養」を見込まれて、有名な冒険者連中に拾われた。
しかし、一年が経っても、自分の扱いは一切変わらなかった。ずっとただの小間使いだった。
しかし、今ならわかる。
いざ一人立ちして暗殺者見習いとなってからは、足りない物が多すぎることに気づいた。
そして過去を振り返り、思い知った。
自分は小間使いですら満足にこなせていなかったのだろう、と。
だから一年が過ぎても何も変わらなかったのだ、と。
誰も自分に任せないのは、実力もそうだが、心構えができていなかったから。
誰も自分の扱いを変えなかったのは、言われたことしかしなかったから。
要するに、考えや姿勢が甘かったのだ。
自分がやりたいことをやらせない、と腐るべきではなく、なんでも覚えて吸収して、割り当てられたことを完璧にこなし、早く一人前になる努力をするべきだった。
暗殺者見習いになってから、ようやくわかった。
ただ強くなりたかっただけのサッシュを、特に鍛えようともしなかった理由。
――世話になっていた冒険者たちは、自分が強くなったらすぐに死ぬと思ったからだ。
冒険者は過酷な仕事である。
強いだけでは生き残れないこともある。
――だから、死なないための諸々を先に教えることを選んでいた。
冒険者は戦うことだけが仕事ではない。
戦わずして傷つき、命を落とすこともあるから。
横に並んだいろんな仲間と接している内に、サッシュはそう考えていた。
実際正解かどうかはわからないが、それで納得している。
そして、今。
あの時は誰にも何も任されなかった自分に、今では自分にしか任されない役割を与えられている。
この責任は、簡単に手離していいものではないし、手離すべきではない。
「――リッセ、もう行っていい。予定通りだ」
と、サッシュは聖水を頭に掛けた。
「うわ臭っ!」
「にゃっ!? 何それゾンビ汁!? ゾンビを絞った汁!?」
「うるせえな! つかゾンビ汁ってなんだよ! ……まあ、確かに臭ぇなこれ……」
ふわりと広がる異様な臭気に一歩引く女たちの反応に腹が立つも、サッシュ自身も同感である。
なんか妙に臭い。
臭いのきつい薬草を煮詰めて濃縮したかのような臭いだ。
「あ、この前嗅いだかも。これカロンの作った聖水だわ。……確かにあの時よりは薄くなってるけど、消えてないのか……」
リッセの顔は渋い。
臭いと共に、不意にエイルに嗅がされて難儀した記憶まで蘇る。
「これ効くのか?」
「臭いは効きそうだねー」
確かに臭いは効きそうだ。
よく知っている薬草の臭いに近いので、効き目はありそうだ。非常に臭いが。
「で、どう? 大丈夫? ちょっと近づいて試してみたら?」
「問題ねえ。おまえも早く行け」
リッセは心配そうだが、もうすぐ作戦が始まる。
いつまでもここにいていいわけではない。
「……わかった。こっちは任せるから」
「おう。おまえこそ、後のことは頼むぜ」
心配そうな顔のまま、リッセは走り去る。
「じゃーあたしも行こうかなー。あ、ルートの目印はちゃんとあったからねー」
「おう。後でな」
トラゥウルルも走り去り、この場に一人サッシュが残された。
「……」
嫌な汗は止まらないが、意を決し、サッシュは飛び出した。
向かうは林の中である。
「……あーやっぱきもちわりぃな……」
聖水が効いているのかどうかはわからないが、覚悟を決めたサッシュは一気に林に入り、所定位置に着いた。
彼のスタート地点は、適当な木の枝の上である。
そして眼下には、百体は超えているであろうゾンビたちが、そこに敷き詰められているかのように密集していた。
「あー」とか「うぉー」とかうめき声を上げながら、手を伸ばしてそれを求めている。
ドン ドン ドン ドン
ゾンビたちの目的は、枝に吊るされた小さな革袋である。
その革袋からは、定期的に太鼓のような音が出ている。
「……なるほどな」
――作戦の説明を受けていた時、「ゾンビを集めておくから」と言っていた意味がわかった。
なんらかの魔法か……いや、明確に言わなかったのであれば「誰かの素養」で、「音の出るもの」を用意した。
こうして枝に吊るして宙にぶら下げておけば、その下にゾンビが集まってくると。
そういう罠である。
トラゥウルルの調査で判明したが、ゾンビは音に反応するそうだ。
それも自然に起こる音――風が揺らす木や草の音にも反応し、移動したりするらしい。
多くのゾンビが林に留まっていた理由でもある。
あと視覚も生きている。
どちらかと言うと、音より視覚の方が優れている。
やはり個体差もあるようで、透明化したトラゥウルルが音もなく近くに寄ったら反応することもあったらしく、熱を感知……というよりは、生き物の気配をなんとなく感じる者もいるかもしれないそうだ。
ゾンビ同士で戦い争うことがない以上、熱でも気配でもない何かを感じている可能性もある、とのことだ。
あと、透明化した状態で攻撃を加えた場合の反応。
特になし、である。
立てるようなら立ち上がるし、それが無理でも這って何かの方向に移動する。
攻撃を受けた、という意識がないということだ。
というか、そもそも意識自体がないのだろう。ただ条件反射で反応しているだけで。
最後に、さすがに首と胴体が分かれれば、胴体の活動は停止する。
でも頭は動くそうだ。さすがは不死者である。
恐らく今頃は、エイルとトラゥウルルも、サッシュと同じように集められたゾンビの真上で、待機しているはず。
あとは、開始の合図を待つだけである。




