24.メガネ君、仕切り直しを要求する
「…………大変見苦しいものをお見せしました。うちのメンバーがごめんなさい」
腹が減ったと訴える下着姿の女は、結局ライラに押されて出てきた部屋に戻されてしまった。
しばしの沈黙の後、副リーダーが、気の毒に思えるほど沈痛な面持ちでそう言った。ごめんなさい、と。
――だが、俺にとってはチャンスである。
話が途切れたばかりか、雰囲気や空気までぶち壊しになった。
「急に来たこちらのせいです。こちらこそ申し訳ありません」
と、俺は自然な流れで、そうとても自然な流れで立ち上がる。誰がどう見ても自然な席の立ち方だ。異論は認めない自然さだ。ああ自然。自然だね。
「やはり約束を取り付けてから来るべきでした。今日のところはこれで失礼します。近い内に、今度はリーダーさんがいる時に来ますので」
「……そう、ね。なんだか話をする雰囲気でもなくなったし、仕切り直しましょうか」
よかった。俺の提案は受け入れられた。
「明日の晩……いや、微妙ね。明後日の午前中ならいるから。話を通しておくわ」
「では明後日の午前中、また来ます」
「失礼します」と頭を下げ、俺は「夜明けの黒鳥」の拠点から脱出するのだった。
倉庫から出たところで、追手が掛からないよう大通りまで全力で走り、ようやく息をつく。
よし、なんとか無事に退却できたな。
滞在時間も驚くほど短かったし、また行かなければいけないので結局何をしに行ったんだという感じもあるが、雰囲気などを掴めたのは重要である。
特に、あの反応。
副リーダーや無精ヒゲのあの反応を見るに、姉の迷惑の掛けっぷりは、決して手ぶらで挨拶なんてものでどうにかなるものではない。
手土産が必要だ。絶対に。
顔を見せて頭を下げる挨拶程度じゃ、誠意が伝わらない。家族として俺の気が済まない。
何せあの姉を預かっている人たちだ。
たとえ下げる頭が地面にめり込んでも、下げるだけでは足りないと思う。心底思う。あの姉だぞ。あの姉が他人様に世話になっているという事実が目の前にあったんだぞ。よく考えるだけで気が重いのを通り越して胃が痛くなる。
もう慣れてまーす、みたいな顔をしてくれたのならまだしも、あの反応は……やれやれ。やはりホルンはホルンだったな。
となると、やはり手土産は獲物になるか。
狩人であることも話してしまったし、その辺の店で買えるような珍しくもなんともないものを、この辺に住んでいる人たちに持って行ってもあまり意味がない。
大物とは言わない。
だが、小物では足りない。十数人所帯って話だし、雉を二、三羽持って行ったって腹の足しにもならないだろう。
――狙うか。少し大きいのを。
これからの方向性を決めた俺は、そのまま狩猟ギルドへと足を向けた。
そこそこの獲物なら、シカかウサギ辺りが良さそうだ。
情報があればいいな。
「――失礼」
おっと。
狩猟ギルドに入ろうとした時、出入口から人が出てきた人とぶつかりそうになった。
黒い中折れ帽に革のベスト、黒いズボンという、見るからに品の良い紳士だ。刈り揃えたヒゲも眉毛も白いので、初老と言っていい年齢だろう。細くて背が高い。
一瞬目が合ったものの、老紳士はすっと俺の横を通り過ぎていった。
……初めてだな。この寂れた狩猟ギルドで受付嬢以外の人を見たのは。
それにしても、あの雰囲気――
「いらっしゃい」
足を止めた状態のまま、振り返ることなく今の人物のことを考えていると、今日もだらけた受付嬢に声を掛けられてしまった。
今の人、若干気になる。
気になるが……あえて気にしないでおこうかな。
たとえば、ぶつかりそうになるまで気配を感じなかったとか、そこの路地を折れたところでまた気配が消えたとか。
足音さえしなかった、とか。
気にはなるけど気にしないでおこう。
冷静に考えると、あの老紳士も狩人だと考えれば、あまり不思議じゃないし。狩人なら狩猟ギルドに出入りしていても不思議じゃない。俺もそうだし。
…………
そういえば、師匠以外で会った狩人は、今の人が初めてなのか。同じ狩人として気にするのは当然なのかもしれない。
まあ、もう気にしないけど。
相変わらず誰もいない狩猟ギルドに踏み込むと、俺は頬杖をついている受付嬢に言った。
「魔物の情報が欲しいんだけど。シカかウサギで」
通常の動物ではなく、魔物の方である。
通じるかどうか怪しいかな、と思ったが、受付嬢は態度に似合わず即座に返してきた。
「六角鹿と刺歯兎でいいの? ちょっと待ってね」
あ、通じた。
まさしく俺が欲している獲物を口にした受付嬢は、地図を広げ出す。
「刺歯兎の情報は入っているわよ。でも、だいぶ森の奥みたい」
やった。ウサギがいるみたいだ。
何度か表面を撫でる程度には踏み込んでいる、あの森の地図である。奥地にまでは行ったことがないが、今の俺ならなんとかわかる。
個人的に狩場にしている川は、あそこだ。起点がわかれば大体どこでも行ける。
それと、焚火のあとだ。
ライラと行った時、彼女はたぶん焚火のあとを追うようにして進んでいた。
地図にはそれが載っているので、やはりあれが森の目印でもあるわけか。
「この辺に居るみたいよ」
行ったことがないくらい奥の方だ。赤熊と会った場所より更に奥だ。
「メモしていい?」
「どうぞ」
前に自分で書き写した地図に、焚火のあとと、地図に記載されるほど目立った崖や大岩、橋といった物などを記入する。
「だいじょうぶ? 刺歯兎は一ツ星の冒険者が数名で狩る獲物だけど」
「たぶん」
赤熊もそうだが、刺歯兎くらいなら、村の近くの森で狩っていた。油断しなければ普通に大丈夫だろう。
まあ何より問題なのは、森の奥にいることが多いから、探すのが困難だという点だ。そして相手が自分より強いと悟るとすぐに逃げること。
個体の強さもあるが、何より「探しづらい」のと「逃げる」という点が、刺歯兎という魔物の狩猟率を大きく左右している。
冒険者が複数名必要というのも、逃げるのを阻止したり逃げる前に一気に仕留めたり、追いかけたり、そもそも遭遇できないので探す人手になるからだろう。
「狙うの? ギルドに卸してくれる?」
「ごめん。贈答用だから」
「そ。残念」
さして残念でもなさそうに、受付嬢は力なく笑うだけだった。
「赤熊と一緒で狩猟したって情報は買うからねー」という声に見送られ、俺は狩猟ギルドを出たのだった。
リミットは明後日の午前中。
移動時間と範囲、行ったことのない森の奥まで行く、そして帰ってくる。
全てを加味すると、今日の内から動いた方が良さそうだ。
まだ昼を少し過ぎたくらいである。時間はある。
準備を整えて、森の近くで一晩明かし、ウサギを狩るのは明日にしよう。
問題が起こらなければ、これで半日くらい……明日の夜には帰って来られるはずだ。