242.メガネ君、とりあえず殴る
一夜明けた翌朝。
「――それでは課題に入りなさい」
まだ村人も起き出していないような暗い内から整列して、エヴァネスク教官の号令から、ゾンビ兵団討伐一日目が始まった。
「集合!」
リオダインの声に従い、全員が輪になる。
昨日は一部を除いた全員が、色々な意味で体力面がギリギリになったが、一晩明けたらすっかり回復したようだ。
うまい飯が効いたのか、滋養強壮効果がある薬湯が働いたのか、それともゆっくり寝たのがよかったのか。
全員が疲れのない顔をしているので、何かが効いたんだろう。あるいは全部かもしれないけど。
あそこまで肉体を酷使したら、たとえ一晩休んでも身体に疲労が残ったり、筋肉痛でも出そうなものだが。
でもそういうのは微塵もなく、ばっちり快癒である。体調はとてもいい。
この辺の体調管理も、課題の内である。
身体の調子がよかろうが悪かろうが、課題はこなさねばならないのだから。
ここから先は教官は抜きで、俺たちだけで判断し、動くことになる。
……とっとと消えたところを見るに、教官たちは二度寝だな。二度寝しに行ったな。体調はいいけど俺もまだ眠い時間だし。
エヴァネスク教官はともかく、ソリチカ教官は間違いなく二度寝だろう。あの人は何気によく寝る人だから。
指揮系統は、リーダーであるリオダインが握る。
その補助というか、彼の目の届かないところをなんだかんだアレするのが、副リーダーの俺の務めとなる。
「これから全員で調査に出るから、出発の準備をして」
なるほど、全員でか。
ということは、今日明日にでも決着を付けるつもりだな。
急いで調査を済ませ、急いで討伐しようという考えだろう。
ゆっくりやるなら、調査も焦らずやっていいと思うから。彼の性格を考えれば、慎重に進めるタイプだしね。
未知の魔物と戦う時は、できるだけ観察することが肝要だ。
動きのくせや行動、獲物の狩り方、好むエサや縄張りや寝床などを調べていけば、自ずと狩り方も絞られてくるから。
でも総出でやるというなら、観察していることを向こうに見つかるリスクが発生しても、とっととやってしまおうという判断である。
何事も、慎重にやろうが大胆にやろうが、成功する時は成功するし、失敗する時は失敗するものだ。
状況は変わるから。
だから無駄に時間を掛ければいいというものではないし、逆に無駄に急ぎ過ぎるのも失敗の元である。
だから、どっちが正しいということもないと思う。
リオダインなりに考えて急ぐ選択をしたなら、それに従うまでだ。
特に反対したい理由もないしね。
現段階では悪手とも思わない。
「全員か? 俺もか?」
ベルジュの問いに、リオダインは頷く。
「範囲と規模を大まかに調べたいから、まずは人手が欲しい。そこから先の詳細な情報は、調査が得意な人だけに頼むつもりだよ」
ベルジュもそうだが、サッシュやフロランタン、リオダインもか。
彼らのような、隠密行動が得意じゃない連中は前半だけ。
それ以外は後半も調査しろ、と。そういう分け方をしたようだ。
ベルジュ本人が聞いたように、彼は隠れてこそこそ動くのはあまり得意ではない。
サッシュ、フロランタンもそうだ。
そもそも気配が絶てないからね。
彼らは熟練の冒険者でも狩人でもないから仕方ない。
「後半の調査は副リーダーが主体になるから。よろしくね」
後半はもっと突っ込んだ調査……標的の近くを調べることになるのだろう。
で、俺の出番だと。
色々と仕掛ける場所の下見も必要なので、俺が動くのは最初から確定している。
ほかの人選はどうしようか。
少し気が早いけど、考えておこうかな。
……というか、考えるまでもないか。
何度目かの課題である。
もう手探りの段階は終わっている。それぞれができることも、大まかにはわかっているのだ。
もしもの時のために、戦えるリッセが同行するのは確定。
彼女は隠密行動はあんまり上手くないけど、「闇狩り」はゾンビにも効果がある。いざという時のためにぜひ同行してほしい。
トラゥウルルは俺より隠れる技術が高いので確定。
戦闘力も高いが、彼女の場合は、有事の際の伝言係の側面もある。彼女なら「素養」の力で敵陣の中でも素通りできるだろうから。にゃーにゃーうるさいけど猫要素があるなら許せるし。完全な猫だったらいいのに。
あとハリアタンは……隠密行動が下手なわけじゃないけど、そもそもの性格が大雑把だから向いてないか。
アドリブ的な奇襲みたいなのはすごい得意なんだけど、いわゆる斥候向きではないんだよね。だから今回は連れていけないかな。
「僕はゾンビの目撃情報があった大まかな場所を聞いてくるから。皆は出発の準備をしておいてね」
了解。
――さて、まずは調査からである。
ゾンビの目撃情報があった場所は、街道から大きく離れた林。
村の狩人が、獲物を探して少しだけ遠出したところで見つけたらしい。
その時点で十数体ものゾンビがいて、奴らは動物たちを追いかけたりしてうろうろしていたようだ。
何かを食らいつくしたのか、骨らしき物と血痕だけが残った痕跡を見て、狩人は「たくさんの人が襲われてゾンビ化した」と思い急いで村に戻り、街の冒険者ギルドに報告と討伐依頼を出した、と。
そういう流れである。
実際は、ゾンビ化しているわけではなく、ゾンビが増えているのである。
不死者になる呪いに感染した死体が増えているのではなく、無尽蔵に死体の形をした魔物が増えているのである。
だから、人が被害に合わなくても、ゾンビは増え続けるわけだ。
もし早い段階で気づかず放置されていれば、いずれはあの村にゾンビたちが向かっていただろう。
「――ありゃ食えないな」
やめろベルジュ。諦めてなかったのかよ。
「――なあ、刺していいか? あのはぐれてる奴だけでいいから」
やめろサッシュ。新しい槍を試したい気持ちはわかるけどやめなさい。
目撃情報通りである。
かなり距離を取り、遠巻きに林を見たところ、確かに何十体というゾンビらしき人影が見える。
遠目に見る限り、ちゃんと服も着ていて、一見すると本当に人みたいだ。
でも、近くで見ると、こう……ずるんずるんに肉が腐っていたりするのだろう。
動物も人間も、腐乱死体なんかはアルバト村の近くの森でたまに見たけど、決して見たいものではない。
できれば、はっきり見える距離まで近づくことなく済ませたいが……そうもういかないよなぁ。
ゾンビらしき人影は、大抵はぼーっと立っているだけだが。
しかし時折不自然な動きで走り出したりする。
たぶんさっと横切る動物を発見して追いかけているのだろう。
そして見失うとその場に立ち止まる、と。
動きはそんなに速くないけど、想像していたよりは速いかな。
となると、色々と仕掛ける前に、いくつか実験した方がいいだろう。ゾンビの動きや反応は割り出しておきたい。
この辺はリオダインに報告し、相談してからだな。
今勝手に動くわけにはいかない。
「――いや、生命樹チップで燻せばなんとかいけるか……?」
やめろベルジュ。冗談じゃないことを俺は知っているぞ。ゾンビはやめておきなさい。きっと腹壊すくらいじゃ済まないから。姉でもやらないから。
「――なあなあ。一匹だけ。先っぽだけだから。いいだろ?」
やめろサッシュ。そもそもこれ以上近づくのがダメだって話なんだよ。なんだよ先っぽだけって。先っぽが刺さったら全体も行くつもりだろ。先だけで済むわけがあるか。
…………
…………いろんな問題児がいる中、この二人はまだマシな方かと思ったけど、全然マシじゃなかったね。
これだったら事あるごとににゃーにゃー囁くトラゥウルルや、口は悪いがそれなりに空気は読めるハリアタン、言いつけは守れる良い子のフロランタンの方がまだよかった。
この人選は、ダメだ。
「――サッシュ。一体捕獲しよう」
「――マジか? やるか?」
…………
うん。
やる。
もういい。
――狩場をなめてるおまえらを、俺は許さない。
「君らね」
俺は振り返り、言ってやった。
「とりあえず殴るけど、文句ないよね? 殴られる理由がわかってるんだから」
調査を済ませて、落ち合う場所としていた街道まで戻る。
すっかり静かになった青髪の問題児と大きな問題児も、文句を言わずちゃんと付いてきている。
「おかえり」
先に来ていたリオダイン、ハリアタン、フロランタン組に合流した。
この様子を見るに、こちらと同じくゾンビたちに見つかることなく、調査を済ませているようだ。まあそれが最低条件だからね。あたりまえだよね。こっちの問題児たちは手を出そうとしたけどね。したけどね!
リッセ、トラゥウルル組は、林を迂回した向こう側の一番遠い場所に調査に行っているので、戻るのが遅いのは想定内である。もう少し掛かるんじゃないかな。
「どうだった?」
うん。
「さすがにぶん殴ってやったよ」
「……えっ!? ゾンビを!?」
俺は首を横に振り、後ろに控える問題児たちを親指で差した。
そしてリオダインは「ああ……うん。おつかれ……」と、何かがあったことを察して曖昧に頷くのだった。