239.メガネ君、速度を上げる
さすがはリオダインである。
一つ通り過ぎたら、必ず見える場所に次の目印を設置している。
探す手間を省き、速度が落ちないよう気を遣って目印を残す場所を選んでいるのだ。決して無造作ではない。
俺とフロランタンは、先んじている教官と候補生たちを追い、森の中を突っ走っていた。
そろそろ冬だというのに、まだまだ葉が残る鬱蒼とした森である。
生き物の気配もたくさん感じるので、あまり人が来ない場所なのかもしれない。魔物の気配もするけど、近くにはいないようだ。
先行組の背中は見えない。
気配も感じないので、かなり先を行っていると思う。
リオダインの残した目印がなければ、完全に見失っているだろう。
まあ、課題ではよくある形である。
あんまりよくあってはいけない気もするけど。
でも急に足が速くなる、悪路に強くなるなどはどんなに望んでも叶わないので、さすがに仕方ないと思う。
その辺はもう、身体作りを含めた日々の積み重ねが物を言うからね。
暗殺者チームでも同じような現象が起こっているそうだから、なかなか無茶な行進をしているんだと思う。
「あっ」
おっと。
何かに足を取られて転びかけたフロランタンの襟首を掴み、すぐに立たせる。
「すまんな」
気にしなくていいです。そのために真横にいるんだから。
中でも、フロランタンとリオダインの足は遅い。
大抵は俺やリッセ、時々サッシュが横について、こうして走るのをサポートしているが……これも仕方ないことだと割り切っている。
フロランタンの場合、暗殺者の村に来るまでは、訓練らしい訓練もしていなかったそうだ。
そこそこ荒事もあったけど、まあまあ普通に暮らしてきたらしいから。
だから彼女の立場は、完全な素人がいきなりポイッと玄人の中に混ぜられた感じとなる。
フロランタンは課題に欠かせない「素養」を持っているが、それ以外がまだまだ追いついていないのだ。
だからサポートが必要になる。
訓練時ならともかく、課題の時は話が違うからね。
訓練なら各々のペースでやればいいけど、課題は仲間同士で力を併せて挑む必要がある。
俺が今やっているサポートは、完全に後者である。
特に森の中なんて走りづらい場所だ。
フロランタンはまだ枝木を渡るより、地面を走る方が速度が出る。
密集具合にもよるが、地面のコンディションに左右されないから、上の方が俺は速いんだけどね。
その辺のことも含めて、並んで走っていた。
――それにしても、今日も速いな。
教官たちは今回も容赦なしだ。
いや、これでも加減している気もするけど。
しばらく森を突っ走っていると、先行する連中の気配を捉えることができた。
更にしばらく走り続けると、先行組の一人の背中が見えてきた。
リオダインである。
案の定追いついてしまったようだ。
フロランタンも足は遅いが、彼女の場合は体力がある。
ずーっと速度を維持して走り続けることができるほどの、えげつない体力がある。
そこだけに限れば、誰よりもあるかもしれない。
これも「素養」の影響だと思うが。
対して、リオダインは速度も体力も、両方とも足りていない感じだ。
こうして追いついたのだって、体力面からの減速が理由だろう。
魔術師としてはできる方なのかもしれないが……というか、候補生の全員が出来過ぎなんだと思うけどね。
――まあ、これもいつも通り、よくある光景だ。
「フロランタン、あとお願い」
「おう」
俺は速度を上げて、前を走るリオダインを抜いた。
「先に行くね」
さっき置いていかれたのとは逆に、今度は俺が置いていく。
すでに汗だくで息切れしているリオダインは、声もなく何度も頷くだけだった。
――そして流れるようにフロランタンに担がれた。肩に。荷物のように無造作に。
「ご、ごめん」
「ええから休んどれや」
まあ、これもいつものことだ。
何度見てもすごいけど。
フロランタンは人を担いでも、走る速度が全然変わらないんだよね。
改めて「怪鬼」のすごさがわかる光景である。
そんな二人の様子を見てから、俺は木に駆け上った。
――よし、追いつくぞ。
枝木を渡ってまっすぐに駆けていく。
「メガネ」を使うまでもない。
さっきまでは、フロランタンの様子見と地面への注意で速度を上げることができなかったが。
この地面なき道なら、もっと速く移動できる。
森は走りづらい。
地面は隆起していたり、草などで踏むべき場所が明確に見えなかったり、木の根などを見逃して躓いたりもする。
おまけに、のんびりしていたら肉食獣や魔物に捕捉されたり、襲われたりもする。
だが、ここなら話は別だ。
ハイディーガで「道」を走り、暗殺者の村で磨きを掛けてきた。
ブラインの塔に到着してからも、森の上を走る訓練は積んできた。
最初こそ色々失敗もしたが、今では地面を走るよりしっくり来る気がする。
まあ、移動だけに限れば、だが。
動物なんかには丸見えだからね。
密かに獲物を追いかけるにはあまり向かないかも。
枝を飛び、捕まって身体を振って飛び、木を蹴り駆けて、飛び移れる場所がないと思えば地面に降りてまた上る。
時々矢を落として目印を残しつつ、しばし移動に専念していると――ようやく次の先行組に追いついた。
「――お先」
「おっ、びっくりした!」
地面をひた走るベルジュに一言掛けて追い抜く。
ベルジュの場合は、重量級の身体の重みで枝が折れる等の事故が多いらしく、仕方なく下を走ることにしているそうだ。
彼もフロランタンと同じく、足が遅いけど体力があるタイプである。足の長さが速度にも影響していたりするのかな。
「少しペースを落とす! 目印を残してくれ!」
体力を温存したいのだろう。
今回も先は長そうだから。
「わかった!」
言われなくても残すつもりだったが、一応今回は副リーダーなので返事をしておいた。
いつもなら聞こえないふり……
いや、課題中はさすがに無視はしないな。普通に返事したと思うけど。
そんなベルジュを抜き去り、更に走る。
結構な距離を走ったと思う。
そこで、ようやく次の先行組に追いつくことができた。
「――うお、0点か!」
しれっと横に並ぶと、ハリアタンが俺に気づいた。
走るのに夢中で注意力散漫だったようだ。
俺が魔物だったら襲われてるぞ。
「あ、エイル」
ちなみにリッセも一緒だった。
そして前方のやや遠いところで、トラゥウルルの姿が見えたり見えなかったりするので、この辺をキープすれば大丈夫そうだ。
サッシュや教官たちは、更に先にいるのだろう。
「荷物ありがとう」
「うん」
リッセが持って行っていた俺の荷物を受け取り――フロランタンの荷物は自分で運ぶと。了解です。
「相変わらず速ぇな」
「そう?」
ハリアタンは舌を巻いているようだが、俺は森で速いだけである。真っ平らな陸路ならハリアタンの方がたぶん速いと思う。
「ねえエイル、フロランタンはどうなった?」
「無事降りたよ。リオダインと合流したから先に来た。たぶん今頃はベルジュも一緒だと思う」
そう答えつつ、リッセから受け取った荷物袋から特殊な石を取り出す。
そろそろ矢がなくなってきた。
ゾンビ兵団討伐に向けて多めに持ってきたし、落とした矢は後続が回収していると思うが、今この場で必要になる場合もある。
なので、使い切るわけにはいかない。
そこで、この石の出番だ。
これはカロフェロンに頼んで作ってもらった、特殊加工した魔核である。
暗殺者チームでも必要になったと聞いた折、ついでに頼んで作ってもらったものである。
名前は「印石」。
簡単に言えば、リオダインの目印と同じことができるという物だ。
木や地面にこすりつけると、発行する線を残すことができる。そして一定時間が過ぎると消えるのだ。
ここから先は、これで後続への目印を残すことにしよう。
――休憩が入ったのは昼時、森を抜けたところだった。
やはり今回も、かなり走らされそうだ。