229.メガネ君、密かな楽しみを堪能する
「――おーい!」
釣りをする約束をしていたベルジュが来たので、今日の訓練はここまでだ。
「ふぃー……今日もいっぱい投げたのう」
フロランタンがグルグルと右肩を回す。しっかり投げ疲れたようだ。
疲れるくらいはやらないと訓練にならないからね。
俺も腕が疲れた。
アルバト村から王都に出てからは、疲れるほど弓を引く機会は少なかったけど、ブラインの塔に来てからはほぼ毎日である。
それも撃った本数での疲れではなく、一矢ごとに集中して、だ。
構えて集中して獲物を察知し、素早く狙いを付けて射る。
狩りでは獲物が逃げることも多いので、発見から撃つまでの速度も求められるが。
海での狩りは、またちょっとやり方が違っていて、いい刺激になっている。
やっぱり弓を構えながら感覚を磨く方が、俺はより身につく気がするなぁ。
視界に頼らず獲物を察知する感覚だけに平時でも訓練はできるけど、取り組む時の集中力が違う気がする。
「お、暗黒鯛が六匹か。大漁だな」
ほかにも色々採れているが、やはり一番の大物は暗黒鯛である。味もいいけど、大きいから食べごたえもある。
「トラゥウルルが喜ぶな」
ああ、あの猫獣人、魚好きだからね。
「にしても、よく目隠しして仕留められるな。……見えてるのか?」
見えてないけど、今ベルジュが俺の顔の前で手を振っているのはわかる。
「ほんとは見えとるんじゃろ? ん? ん?」
見えてないけど、今フロランタンがちょっとイラッとする笑みを浮かべて下から顔を覗き込んでいるのはわかる。
「バレたか。ほんとは見えてるんだ」
もう何度も疑われているから面倒になってそう答えておいた。別に信じてもらわなくてもいいし。
「そんなわけないじゃろ。われがそない無意味な訓練なんかするかい」
はいはい。そうですね。
「フロランタンはどうだ?」
俺の目各紙は挨拶代わりの冗談だったようで、ベルジュの興味はフロランタンに向く。
「何発か当たったわ。でも石が当たった瞬間、魚が飛び散っとる。そしてほかの魚が食うんじゃ」
フロランタンは力の調整がまだできていないようだ。毎日そんな感じだから。
無為な殺生はやめろ、と言いたいところだが、魚のエサになっているので無駄ではない、のかな……
ヨルゴ教官は、上手に頭に当てて気絶させていたようだが……フロランタンの理想の結果も、やはりその辺になってくるんだろう。
「まあ、何にしろ今日も食料が得られてよかったな。院長とヨルゴ教官も喜ぶだろう」
そうだね。あの人たち魚好きだからね。
獲った魚は、主に俺たちの食料になっている。
何せ十人以上の大所帯なので、毎日これだけ獲っても少ししか余らない。
そして余った分は干物にしたり、孤児院の食料になったりしている。
もうすぐ冬がやってくる。
寒くなるとどうしても食料が集めづらくなるので、備蓄も順調に進んでいる。釣りで得られた魚も備蓄になるだろう。
ちなみに無類の肉好きであるフロランタンは、魚は骨があるからあんまり……とのことだ。うまい魚が大漁でもあまりテンションは上がらない。
俺の姉も同じ理由で、魚は好きじゃないって言ってたなぁ。
「われどもは今日も釣りするんけ? 魚持って帰ってええんか?」
俺とベルジュはこれから釣りだ。
釣りのみに限らず、ベルジュから海関係の食料採取の誘いはよくあるので、フロランタンも慣れたものだ。
彼女は、釣りはあんまり好きじゃないらしいので、とっとと塔に帰るようだ。
「お願いしていい?」
魚を入れた桶には海水が張ってあるので、そのまま運ぶと非常に重い。
だが鮮度を保つなら、そのまま持っていくのがいいと、料理人ベルジュが言っていた。
フロランタンの厚意に甘える旨の返答をしつつ、俺は弓の弦を外し、矢に結んだロープを解く。弓のしなりや手触りで異常がないことを確認し、道具類をしまい込んだ。
そんな俺をじっと見ていた二人は、ぽつりと言った。
「……なんで目隠ししたままそんなにテキパキ動けるんだ」
「……見えとらんはずじゃけどのう」
見えてないですよ。
近場だけなら、なんとなくわかるようになっただけですよ。
つまり、俺も成長しているってことですよ。
「まあええわ。暗くなる前に帰ってけぇよ」
桶を持つフロランタンを見送り、俺たちは楽しい楽しい釣りの時間である。
「――混ざっていいかな?」
「――やあ、麗しき男子諸君。僕が来たよ」
ちなみに、ベルジュに遅れてやってきたリオダインとエオラゼルも、結構釣りが好きなようだ。
残念ながら釣果はあまり芳しくなかったが、やはり釣りはいいと思う。
というか、海がいいのだろう。
波の音を聞きながらのんびりしているだけで、とても落ち着く。
「――ハフハフッ、ハフッ」
そして魚もうまい。
これが、男ばかりの釣りや、浜辺での食料探しの密かな楽しみである。
今日は人数分くらいしか釣れなかったが、夕飯前にちょっと小腹を満たすにはちょうどいいくらいだ。
釣った魚は、洗ってさばいてその場で焼いて食う。これがまたうまいんだ。したたる魚の脂がたまらない。つか熱い!
川魚は泥臭いものが多く、釣ってしばらく放置して砂を吐かせたりするのだが、海魚は結構その場でいける。
なんでも東洋では、新鮮な魚を生で食べる文化もあるとか。
気にはなるけど試す勇気はちょっとない。
「また課題が出るね」
陽が傾いてきている。
水平線が赤く染まり、俺たちの頭上はもう夜になっている。
暗闇を少しだけ遠ざけてくれる暖かい火を囲み、焼き魚を食べながら、リオダインが言った。
そういえば、このメンツだとエオラゼルだけが暗殺者チームになるのか。
ただ、今のところ魔物狩りチームと暗殺者チームは、課題にはそんなに差異はないみたいだ。
二班に別れているので競争みたいにはなるけど、参加人数が違うからあんまり意識はしていない。俺たちも、教官側も。
「食える魔物だと嬉しいが、次はどうだろうな」
ベルジュはきっと、課題で狩ってきた魔物のことを思い出しているのだろう。
四頭の魔物を狩ってきたけど、食べられるのは一種類だけだったからね。
せっかく狩るなら食料にできるといいと俺も思う。
えっと……今度で五回目の課題か。
週に一回くらいのペースで課題が出ていて、数日掛けてこなすのだ。
まあ、今まではそうだった、というだけの話だけど。
そろそろ違うパターンが来てもおかしくない気はする。
「地獄蝶、狂老樹、空蜥蜴、猛毒百足と戦ってきたね。いずれも一筋縄ではいかない魔物ばかりだった」
やはり暗殺者チームと同じ課題だったみたいだ。
俺はチラッとセリエから聞いただけだったけど、エオラゼルが言うならやはり間違いないらしい。
――ちなみに空蜥蜴とは、俺たちの知っているあの空蜥蜴である。
ソリチカ教官から俺やサッシュたちに緘口令が敷かれた上で、全員に課題として出されたのである。
俺も少し考えたけど、やっぱりあのトカゲ、かなり狩りづらいやつだったらしい。
緘口令があるので俺は口出しせず、「俺のメガネ」以外で狩る方法を考える必要があった。
でも、全員の知恵を絞って色々と探す手段の案は出たけど、これといった有効な手が見つからなかったんだよね。
やってみたけど有効じゃなかった、みたいなものばかりで。
結局、夜行性であることを利用して、エサでおびき寄せる策でなんとか見つけたけど……あんまりよくないかな。
逆に言うと、エサでおびき寄せられなければ、狩ることができなかったわけだからね。
課題をこなした、というより、運よくこなすことができた、って感じだ。
まああくまでも俺の感覚では、だけど。
「次はなんだろうね」
なんだろうね。全然予想できないよ。
翌日、エヴァネスク教官から次の課題の発表があった。
「――今度の課題は、ゾンビ兵団の討伐とする」
次はゾンビ兵団。
…………聞いたことないなぁ。兵団なの?




