226.あれからの話 4
あれから。
焼ける肉の香りに誘われて移動した先に、そいつはいた。
「……」
荒事や揉め事、刺客、予想だにしない襲撃と、いろんな危険に直面してきたゼットでさえ、絶句するほど驚いた。
――ドラゴンである。
初見では、かなり大きめのトカゲかと思ったが。
観察すれば、どうも角が生えていたり羽根まで付いている。
丸くなって寝ているドラゴンが、串に刺した肉を焼いている焚火に当たっているのだ。
遠目では何度か飛んでいる姿を見たことがあるが、一足で手が届くような距離にいるのを見るのは初めてだ。
遠くに見えたドラゴンと比較すると、目の前のこいつは小型になるのだろうか。
この森に住んでいるという話は聞いたことがないので、移動中の休憩か、流れてきたドラゴンなのだろう。
どういうことだろう。
ドラゴンが火を使って肉を焼いている光景なのか。
――まあ、なんだっていい。
魔物を追って森の奥まで来て、諦めて帰る途中でドラゴンを発見した。
狩らない理由がない。
小型とはいえドラゴンはドラゴン。
こいつを狩れば、狩猟祭りの条件はクリアできるだろう。優勝も狙えるかもしれない。
しかも、おあつらえ向きに寝ているのだ。
いかにも「襲ってください今すぐにさあ早く」と言わんばかりに。
この状況で狙わないような奴は、クロズハイトの住人ではない。
そしてゼットは――安易にドラゴンにケンカを売るという、三つ目の愚行を犯したのだった。
「それで、どうなった?」
危険な男の嘘臭い事の顛末を、嘘臭いとは思いつつもそれなりに楽しんでいた眼帯女は、刺青男を急かす。
冒険者とは、ドラゴンという魔物に心ときめく生き物なのである。
言葉を切った、刺青男は、通称死体酔という安酒を一気に煽る。眼帯女の期待をも煽るかのように。
「――カリカリベーコンとチーズの盛り合わせと、六角鹿のローストくださーい! 四人前ー!」
話の合間に飲んだり食ったり忙しい肉女は、ここぞとばかりに他所事の用事を済ませる。
酒瓶から大振りのカップにどばどば注ぎ足す刺青男は、何を考えているのかよくわからないが、ニヤニヤ笑いながら続けた。
「寝たふりだったぜぇ」
――あの時。
逡巡もつかの間、一気に攻勢に出たゼットは……いや、出ようとした矢先、急に首を正面に向けたドラゴンが放った風の塊を受けて、大きく弾き飛ばされた。
「ぶっ飛ばされた先で木に当たってよぉ。打ち所が悪くて一瞬意識が飛んじまったぁ。その間に飼い主に縛られちまってよぉ」
今思えば、あれは罠だったのだ。
目の前にいるドラゴンに意識を向けさせておいて、その間に飼い主の男がゼットの背後あるいは周辺に潜み機を狙う。
「で、気が付いたらもう飛んでたぜぇ」
意識がしっかりして現状が把握できた頃には、ロープでぐるぐる巻きにされて、ドラゴンに胴体を掴まれて、空を飛んでいた。
断片的に、竜人族の男に鮮やかな手つきで縛られたのは記憶にあった。どうやらそういうことらしい。
いろんな危険を経験してきたゼットだが、空を飛んだのは初めてである。
さすがにここで後先考えず暴れて落ちたら、死ぬかもしれない。
そもそも、己を縛るロープが切れない。
身体から「刃物」を出して切ろうとしたが、頑丈すぎてまったく切れなかったのだ。
「竜人族にやられたんだよね?」
こっちは本当に酒を楽しんでいて話半分という感じだった弓の女が不意に口を開き、ゼットは頷いた。
ちなみに「刃物を出した」とは言わず、仕込んでいたナイフで、と説明してある。クロズハイトの名前も出していない。
「なら、そのロープにはドラゴンの筋繊維が織り込んであったんじゃないかな」
「筋線維だぁ?」
「簡単に言うと、筋肉の筋とか糸とか紐みたいなのね。
ドラゴンの身体って、無駄になる部分がないと言われるくらい、武具や道具に利用されるの。筋線維もその中の一つだね。
絶対に切れないって噂の糸だからねぇ。弓使いには憧れの逸品だね」
――「ナイフ」で切れなかったのだから、そうである可能性は否定できない。
だがまあ、それはともかく。
「ロープも切れねえ、落ちたら死ぬ、っつーわけでどうしようもないってことで寝てたら、今朝落とされた」
「寝てたら?」
呆れている眼帯女に「おう。完全に寝てやったぜぇ」となぜだか自慢げに答える。
下手に動けない以上、とにかく体力を温存することを優先したのだ。
すぐに殺さないのであれば、この先も殺すつもりはないだろうと考え、いざという時に動けるように消耗を防いだのだ。
何度か寝て、何度か起きて。
周囲の状況を見ては、また寝て。
強風に晒されて冷えた身体は、体内に「熱蒸石」の熱を流すことで最低限を維持し、とにかく耐えたのだ。
そして、今朝、ついに落とされたのだ。
一応は読み勝ちしている。
ゼットは「殺すつもりはないだろう」と考えていた。
そしてその通り、落ちても死なない低空から、草原に落とされた。――まあその時も寝ていたので、低空からだったかどうかはわからないが。
いや、生きているのだから、やはり低空ではあったはずである。
――冷静に思い返せば、なかなかスリルがあって楽しかったのだ。
ここしばらく、あまり危険らしい危険に遭遇していなかったから。
最近脅威を感じたのも、メガネのメイドと戦った時の一瞬だけだ。しかも再戦を望めばフラれるし。
たまにはこういう予想がつかない出来事も悪くない――だから今笑っているのだ。
「ドラゴンが去った方角は見ていないのか?」
「まだ空も暗かったからなぁ。見えなかったぜぇ」
しかも落とされた直後は寝ぼけていたし。
「まあ、だいたいの経緯はわかった」
色々と説明していない部分もあるし、あえて細かく確認はしていないが、話の流れは理解できた。
眼帯女――ベロニカは、最後に聞いた。
「ゼット。貴方は金を稼いで故郷に帰ると言ったな? どうやって稼ぐつもりだ?」
酒場の片隅で事情を聞いたところ、本当に着の身着のまま捨てられたらしい。
刺青男――ゼットは、ぶっちゃけパンツとズボンくらいしか持ち物がない。
金もない。
身分を証明するものもない。
そもそもこの国の人間ではない。
商隊の護衛――冒険者チーム「夜明けの黒鳥」の副リーダーである赤いフードの女――アネモアが、このまま別れて放置するのは危険と判断し、ゼットを王都ナスティアラまで連れてきた。
そして彼女は、リーダー・リックスタインに仕事の報告をし、思わぬ拾い物について指示を仰ぐために外し、ゼットはベロニカらに預けられた。
話を聞いても、あまり同情できるような事情ではなかったが――
ベロニカ自身も主に魔物狩りで生計を立てている冒険者である以上、きっぱり自業自得とも言いづらいのも確かだ。
簡単に言えば、魔物を襲ったら誰かの所有物で返り討ちにあった、という話である。
返り討ちにあってなお生きている、というのも幸運ではあるが、そういうのも含めて明日は我が身である。
困っている冒険者はできるだけ助けたいとは思う。
自分も同じように、いろんな人に助けられてきたから。
まあ、この男は冒険者ではなさそうだが。
むしろ盗賊とか山賊とか、その辺の悪党のようだが。
「俺のことはてめぇが決めていいぜぇ」
「は? 死んでくれるのか?」
「ハハッハハッ。ストレートに来やがったなぁ」
さも愉快そうに笑い、ゼットは邪悪さを感じさせる目を向ける。
「てめぇらの読み通りだよ。俺は真っ当な人間じゃねぇ。はっきり言って悪党だぁ。警戒するのも当然だぜぇ」
あえてその辺を聞かないでいた気遣いを踏みにじるように、ゼットは言った。
「だがなぁ、悪党にだって義理はあるし、筋を通すって理屈も理解できるんだぜぇ?
てめぇらは俺に食い物をくれた、酒も飲ませてくれた、多くを聞かず街にまで入れてくれた。
たとえ親切や善意じゃなくても、助けられちまったからよぉ。
施しは強制してでも受ける主義だが、貸し借りは嫌いでなぁ。特に利息が付くような借りっぱなしはしたくねぇ。
――てめぇら狩人……いや、冒険者だろぉ? 手伝わせろよぉ。俺が金を稼ぐ方法はそれでいいぜぇ。借りを返すまではてめぇらの指示に従うからよぉ」
――こうして、愚行を重ねて遠い地に捨てられた悪党は、一時的に「夜明けの黒鳥」の一員となったのだった。




