223.あれからの話 1
彼方の空には赤みが差し込み、少しずつ明るくなってきた。
陽が昇る
手のひらの上に浮かぶ「ナイフ」が指し示す方向は、いつもの夜明けとは若干違う方向からだと告げている。
「……まいったぜぇ……」
ボサボサのくすんだ金髪に、理性や知性に乏しい目つきの悪い灰色の瞳を持つ上半身裸の青年が、周囲を睨みつけながら零した。
ここはどこだ。
太陽の昇る方向からして、明らかにクロズハイト周辺ではない。
遠くに見える山や森、景色も、まるで見覚えがない。
まったく記憶にない場所である。
狩猟祭り開始時から数えて、少なくとも一日は過ぎているだろうか。
地図に載らない無法の国クロズハイトで、陰に日向に悪さをしていた“悪ガキのゼット”は、知らない場所に連れて来られていた。
一面の草原のど真ん中に落とされたのだ。
自分がどこにいるのかまったくわからない。
いや、少なくとも、かなり遠くまで連れて来られたのは、わかる。
何せ一両日は確実に飛んでいたから。
「共鳴石」も反応しないので、間違いないだろう。
「……とりあえず移動すっかぁ」
方位磁針代わりに出した、手にある「ナイフ」を握りつぶして、ゼットは歩き出した。
誰でもいい。
まずは人を見つけて情報収集だ。
――あれから。
クロズハイトで行われた大きなイベントである狩猟祭りに参加したゼットは、狩りが開始した直後に森に入った。
なかなか一言では言い表せない顔見知りとなった名も知らないメイドが助言した、「彼らに付いていけば大猿には会えると思いますよ」という言葉の通りに動いたのだが。
あれから先行する狩人五人チームに付いていき、森に入り、目的通り金剛大猿という大猿の魔物と対面したのだ。
「――おう。もういいかぁ?」
連れてきて貰った礼代わりに、ゼットは彼らの狩りの邪魔はしなかった。
普段なら横取りでブン取っているところだが、今回は筋を通して順番待ちをしたのだ。
巨大で肉厚。
黒い短毛に覆われていても躍動がよくわかる筋肉と、それを活かす速度もある。
更には知的な動向さえ見せる金剛大猿は、クロズハイト周辺でもかなりの強敵とされている魔物である。
そんな見上げるほど大きな金剛大猿が拳一発で五人チームを蹴散らすのを見て、座って見学する場所を探そうとしていたゼットは、すぐに狩りに乗り出したのだった。
「――グゥゥゥ……グォォォォオォォォオオオオオ!!」
肌で感じるのか本能で察したのか、歩み寄るゼットを見て、金剛大猿は威嚇の雄たけびを上げた。
その間、蹴散らされた五人チームが背負ったり肩を貸したりして素早く逃げ去ったのだが、ゼットも金剛大猿も一瞥もくれない。
お互い、どれが自分の敵になるのかを、明確に認識していたのだった。
――いや。
「猿は逃げるからめんどくせぇんだよなぁ。おいてめぇ、逃げんなよぉ?」
敵だと思っているのは金剛大猿だけで、ゼットは脅威だとは思っていない。
体内を「爆熱石」に変える。
血液を「熱蒸石」に変える。
身体の表面を「魔鋼石」に変える。
上半身裸のゼットの身体の色が黒く変わり、白い蒸気が立ち上る。
発する熱で景色が揺れる。
果たして金剛大猿がどんな心境で、ゼットの変化を見ていたかはわからないが――
「――うぉらぁ!!」
金剛大猿に警戒する間さえ与えなかった。
大猿からすれば、腕力も速度も己を越えた小さな存在が、一瞬で距離を詰めて飛んできた。
それだけの話なのに。
なぜか大猿は宙を舞っていた。
横っ面を張ったゼットの右拳一発で、金剛大猿は殴り飛ばされた。
――「魔鋼喰い」。
それは金属を体内に取り込み、また外的作用として金属に影響を与え。
そして、一度取り込んだ金属であれば、ある程度変質させることもできる「素養」である。
「爆熱石」は、高熱で爆発する石――の中に含まれる金属。
「熱蒸石」は、高熱を発する石――の中に含まれる金属。
流れ込む「熱蒸石」の熱で、「爆熱石」は爆発するエネルギーを生み出す。
そのエネルギーに耐え、運動能力に活かすための頑丈な「魔鋼」の身体。
いろんな小ネタもあるが、これが、ゼットが長年付き合ってきた「魔鋼喰い」の一番強力な使い方だった。
「――あ、おいてめぇ待て!」
一発殴られた時点で力量差を感じ取ったようだ。
金剛大猿は立ち上がるなり、ゼットに背を向けて逃走を図った。
ゼットの動きは爆発である。
真正面からでもブチ込める速度があるし、見上げるほど巨大な金剛大猿を拳一発で浮かせる力も出る。
だが、連発ができないのがネックだ。
一度爆発したら、次の爆発まで少し時間が掛かる。それも爆発の強さに比例してクールダウンに時間がかかる。
そもそも、人間相手ならここまで強力なものは必要ない。
もっと弱い相手なら、連発に近い小爆発の動きで対応できるのだ。
が、金剛大猿相手には、小爆発では間に合わない。
むしろ一撃に耐えられる金剛大猿の方がすごいのだ。大抵の魔物なら一撃で頭蓋骨を割れるほどなのに。
「逃がさねぇぞ!」
目の前の獲物を逃がすゼットではない。
彼は森の奥へ逃走する金剛大猿を追って行った。
――それが最初の愚行だった。




