221.教官に怒られて二度目の対抗戦 5
――思ったより大したことなかった。
それが、シュレンが抱いたエイルの感想だった。
今、塔の上で狼煙を回収して降りてきたエイルからそれを奪い、教官に提出したところである。
シュレンがハイドラより出された指示は、エイルの監視と、彼が狼煙を手にしたあとの奪還である。
どういう流れでそうなるかはわからないが、そうなったらそうしてくれ、と頼まれていた。
ハイドラの予想通り、エイルは一旦森に入り、塔付近に潜伏していた。
先に森に入り、森側から見ていたシュレンには、エイルの隠れた場所からその後の行動までしっかり監視することができた。
――確かに見事な隠密術だった。
塔側から追ってきたリッセ・マリオンがすぐに見失うくらいには、流れるように茂みの中に身を沈めていた。
特筆すべきは忍耐力だろう。
一度隠れたらほとんど身動きしない。身じろぎもしない。
周囲の物と同化しているかのように己が生命を隠し、気配を絶つ。
隠れたところを見ていて、その後動いていないのを見張っていたシュレンでさえ、もしかしたらもうあそこにはいないのかもしれないと不安にさせるほど、見事だった。
だが、それだけだ。
作戦は確かに上々の出来だったのだろう。
現にエイルは狼煙を手中に収め、教官に提出する寸前までは行ったのだから。
でも、それだけの話。
シュレンからすれば、詰めが甘い。
最後の詰めこそもっとも警戒すべき時なのに。
あんなに無防備に降りてくるなんてありえない。
作戦は上手く行ったが、最後の最後で気が急いたのだろう。
ハイドラは、シュレンに何度も何度も「エイルには気を付けろ」と言っていた。
あれは油断できない。
味方にいると安心だけど、敵にいると厄介で面倒臭いから、と。
――だから、大したことなかった、だ。
油断なく接敵し、油断なく刃まで抜いて対峙したが、こんなにも呆気なく事が済んでしまった。
ハイドラの注意を心に命じていただけに、だからこそ拍子抜けしたのだ。
砂嵐が止んできた。
直に皆戻ってくるだろう。
――ふと振り返ると、エイルがシュレンを見ていた。
悔しげでもなく、悲しげでもなく。
いつもの無表情で。
いや。
どこかちょっと、なんとなく、何気に悲しそうな顔……
――いや、それも違う。
どちらかと言うと、「悲しそう」なのはシュレンに向けられた感情で――そうだ。
あの微妙な感じは、同情しているような顔だ。
そんな顔をされる意味がわからなかったが。
しかし、エイルが塔に顔を向けて、その口から出た言葉で、漠然と理解してしまった。
「――フロランタン、もういいよー」
フロランタン。
もういいよ。
塔に向けて。
「――なんじゃ。案外早かったのう」
塔の中から、シュレンと同じ暗殺者候補生の忌子が出てきて。
手に持っていたそこそこ重そうな革袋を、教官に提出した。
「…………」
全ての意味がわからない。
だが、よくないものを見てしまったことだけはわかる。
久しくなかった、失敗、失態に直面した時のような、嫌な汗が出てきた。
――思ったよりも簡単だったな。
それが、俺がシュレンに抱いた感想だった。
俺がもっとも恐れていたことは、あの東洋人の少年である。
人目に触れないよう行動しているのはすぐにわかった。
機会があるたびにそれとなく観察していたが、どうも追いかけづらい。気配は小さいし、誰も見ていない時の動きは素早い。気が付けばいなくなっている。
しかも一度姿を見失ったら、どこにいるか本当にわからなくなる。
つまり、ほとんど俺と同じなんだよね。
まあ俺があれほど上手いかどうかはわからないけど。でも狩人の技術でも追いかけられないって相当すごいと思う。
根本の発想は俺と同じなんだろう。
目立ちたくない。
人目に付きたくない。
あまり人と接したくない。
そんな気持ちが、行動の全てに現れていた。何せ俺と一緒だからね。
だったら簡単な話である。
どこにいるかわからない、どこで出現するかわからない奴を警戒するのは、当然のことだ。
――俺がハイドラなら、シュレンは絶対にマークする。
――俺とシュレンが似ているとするなら、絶対に俺がマークされる。
それは最初から想定していたことである。
問題は、いつ仕掛けて来るか、だ。
当初の予定では、塔付近に飛んでくる狼煙を集めることになっていた。
この段階でシュレンが接触してくる可能性は高い。
砂嵐に紛れて動けるのだから、俺なら好都合だ。
だからシュレンにとっても好都合だろう。
次点で、集めた狼煙をキープするフロランタンを狙う場合だ。
ただしフロランタンは強い。
特に、何かを守る戦いは強い。攻めるよりも防衛の方が向いてるみたいだからね。
だから彼女を狙うようならどうとでもなるかな、とは思っていたけど。
――だが、最後の最後でハリアタンの「素養」がわかり、作戦を変更した。
確実に狼煙球を集める方法と。
確実にシュレンが仕掛けて来るであろうタイミングを作ることに成功したのだ。
――ちょっと悪いことしたな、と。
俺から奪った革袋をエヴァネスク教官に提出する彼を見ていると、少しばかり罪悪感が湧いてくる。
ここまで見事に引っかかるとは思わなかったから。
砂嵐が止んできた。
無表情で振り返るシュレンを、ちょっと微妙な気持ちで見つめ返す。
――ほんとにごめんね。もうちょっと、なんかこう……あるかなぁって思ってたんだけどね。
君はきっと俺と似てるんだろうけど。
でも、確実に俺よりは性格が素直なんだろうね。
「フロランタン、もういいよー」
警戒対象だったシュレンの排除は完了した。
狼煙を提出した時点で、もう参加者じゃなくなるルールだから。だから彼にはもう何もできない。
塔に向かって呼びかけると、中で待っていたフロランタンが扉を開けて出てきた。
「なんじゃ。案外早かったのう」
うん。
なんかこう、まだ何かあるかなぁって思ってたんだけど、すんなり終わっちゃったからね。
――最後の最後に作戦を変更した際、狼煙を集めてキープする役目だったフロランタンが空いたのだ。
ここで生まれた貴重なフリーの人員を、有効に使わない理由がない。
フロランタンには、誰も追いかけないであろう場所――塔の中に消えてもらった。
皆が開始の合図で駆け出す中、隙を見て塔に戻ってもらい、とある準備をして三階の教室に待つよう指示を出した。
塔の頂上で狼煙の回収が終わり、降りる際、三階の窓でフロランタンと一時合流し。
最後の仕上げをした。
彼女に狼煙球を五個渡し、代わりに同じくらいのサイズの芋を五個受け取り、狼煙を詰めた袋の中に入れた。
――これで俺が囮になった。
――俺が捕まっても、革袋を奪われても、勝利には関わらない。
――フロランタンはやはり狼煙球を守るキーパーで、やることは増えたけど役割は変えなかった。
袋の中は赤い煙で充満する。
というか、密閉していないからちょっと漏れているくらいだ。
この状態では、口からちょっと覗いてみただけでは、全てが狼煙球だとはわからない。
素早く確認するには、一度全部出してみるのが早い。
もしシュレンがそれをしていれば、発覚したのだ。――まあ発覚していたら次の手を打っただけの話だけど。
でも確認しなかったからね。
パッと見て「全部ある」と思ってしまったのだろう。
少なくとも過半数五個は超えているだろう、と。
素直に、疑うことなく、信じたよね。
こんなに呆気なく信じるなんて思わなかったから。
俺なら、大事な狼煙を持っているのに、なんの警戒もなく塔から降りてきた時点で、囮か罠だと疑うと思うけど。
だから、ちょっとかわいそうなくらいすんなり騙されたなぁ、と。
そして、思ったより簡単だったなと。
そう思う次第です。
フロランタンはすたすた歩くと、さくっと手に持っていた五個狼煙が入った革袋をエヴァネスク教官に差し出した。
俺から奪った革袋には、四個の狼煙と芋が入っている。
今フロランタンが渡した革袋には、五個の狼煙が入っている。
――というわけで、俺たちの勝ち、と。




