219.教官に怒られて二度目の対抗戦 3
「――訓練、開始!」
ヨルゴ教官の合図を受け、一斉に動き出した。
予定通りサッシュは一番に飛び出していき、それを追いかけるようにトラゥウルル、ハリアタンが続く。
直前になって、少しだけ作戦を変更したエイルが森に入るのを見届け、彼を追うようにリッセとマリオンが行ったのを確認して。
「――行こう」
「――おう」
リオダインとベルジュは、森とは逆方向へ走り出した。
作戦としては、勝とうが負けようが短期決戦である。
短い期間にいろんなものを、いろんな要素を詰め込んだ。
単純化したら読まれやすくなるからと、あえて暗殺者チームを翻弄するために捻った部分もあるが。
リオダインたちに課せられたこの役目は、外せないほど重要である。
距離もあるし、規模もある。
だがそれでも、ほんの少しなら維持ができる。
――昨日の今日で、どうしても現地を直に下見することはできなかった。暗殺者チームに動きがバレたら、何をするか推測されてしまうから。
なので、護衛を兼ねた道案内として、ベルジュが同行している。
恐らく候補生の中で、彼が一番、塔周辺のことを知っているから。
緑の臭いに混じった、嗅ぎ慣れない臭いが濃くなっていく。
ベルジュの背を追うように林を場所を抜けた眼下に、それは広がっていた。
――海だ。
一面に果てなく広がる湖だ。
話には聞いていたが、その圧倒的な水量とどこか郷愁を感じる光景に一瞬心を奪われたが、今はいい。
用があるのは、正確には海ではない。
陽を浴びて眩しいくらいに黄色くなっている、遠くまで広がる砂浜だ。
「俺は巻き込まれないようこの辺で見張りに立つ。がんばれよ」
「うん。見張りよろしくね」
林の端付近でベルジュから離れ、リオダインは砂浜に突っ込んだ。
砂浜の真ん中ほどに立ち、そして振り返る。
塔は見える。
距離もあるし、塔の大きさからして、結構な大仕事である。
――魔術師である自分にしかできないことである。
両手を合わせ、内在する魔力を揺り動かす。
いわば魔力の準備体操。
いつもなら必要ない、身体の魔力を感じるという初期段階で行う基礎中の基礎だが、今回必要とされる奇跡は大量の魔力を使う。
ちゃんと魔力を練ってから使用しないと、計画的に魔力を使えない。無駄な消耗を割けないと規模も維持もきっと難しい。
充分にほぐしたところで、リオダインは力を込めて発した。
「十四式、五行が一つ――狂風」
リオダインを中心に、風が渦巻き出す。
最初は弱い風が、次第に大きくなっていく。
少しずつ砂を巻き上げ、風の中に混ざっていく。
どんどん大きくなる。
舞い上がった砂の量が多すぎて、もはやリオダインには何も見えなくなっている。
――目くらましの砂嵐は、充分に大きく育った。
短時間でもいいから、塔を覆うほどの砂嵐を。
そういう注文である。
注文通りに砂嵐はできた。
あとはこれを移動させて塔にまとわせ、できる限り維持するだけ。
つまり、魔術を使い続けなければならない。
――この間、リオダインは完全に無防備となるため、ベルジュの護衛は必要不可欠である。
こちらには恐らく誰も来ない、とは言われていたが、念のためである。
「――面白くなってきたね」
ブラインの塔の前に立っている教官たちは、思いっきり巻き込まれる形となったが――ソリチカが精霊に頼み、自分たちのいる場所だけ風の膜で覆い被害を免れていた。
今日も穏やかな日だった。
なのに、急に風が強くなってきたと思えば、砂嵐が向かってきた。
そして砂煙は、綺麗にブラインの塔にまとわりついた。
自然発生ではありえない動きである。
「リオダインね。あの子は本当に魔術が上手い」
エヴァネスクも魔術魔法魔法陣全般に通じているが、果たしてあの頃の自分にこんな大技ができたかどうかは、怪しいものだ。
「後は、せめて自衛できる程度の実技であるな」
リオダインの魔術魔法関係は申し分なさそうだが、ヨルゴ教官は実戦面の心配をしている。
派手な魔法、大規模な魔法ほど使い勝手は悪い。使いどころも少ない。
むしろ地味で目立たず頻繁に使うものほど、重要性は高いと考える。そしてリスクも少ないと思っている。
「それは追々考えるとして、今回はいい選択だと思いますよ。ベルジュが護衛についていったのも含めて」
一緒に行ったのを見届けているだけに、ベルジュはそういう役割だろう。
リオダインが魔術を使う間、ベルジュが彼を守っているはずだ。
「それに、もっと面白くなりそうですね」
「うむ」
――今、教官たちの目の前を、メガネを掛けた少年が横切っていった。
砂嵐などものともせず、塔に張り付き、――石積の隙間に指や足を掛けて、登り始める。
「重力系であるか?」
するすると登っていくその動きは、自重に対して筋肉の動きが不自然に見える。やや重さが足りない印象を受けた。
「私もそう思います。いくつか『素養』を使えるという話は聞いていますが、重力を操作する『素養』も持っているようですね」
ここまで要素が加われば、これからやりたいことはわかった。
「――彼はどこで仕掛けますかね?」
「――エイルが全ての狼煙を受け取り、塔を降りたところであろう。むしろそこ以外があるまい」
森に入ってすぐに消えたエイル。
それと同様に、二人消えた者がいる。
ここから先の流れは大体想像できるが――どうあれ、そろそろクライマックスである。
この大きさの砂嵐は、長く維持できるものではない。
自然のまま好きに放流するなら話は別だが、完全に制御しているのでは大変だろう。
つまり、この砂嵐が終わる頃には、決着もついているはずだ。
――どうする?
――どうしたらいい?
エオラゼルを前にしたハリアタンが取れる行動は少ない。
逃げるのも無理、戦うのも勝機は薄い。
だが狼煙を渡すのは絶対にダメだ。
正直八方塞がりもいいところなのだが、望みがあるとすれば――
「おいヘンタイ」
「なんだい?」
「――後ろ、危ねえぞ」
「さすがにそんな手にはひっかから――おや?」
エオラゼルが一歩後ろに下がる。
と同時に、ハリアタンとエオラゼルの間に猫獣人が急に現れた。
さっき落とされたトラゥウルルだ。
落ちてすぐに、「影猫」を使って引き返してきたのだ。
――もしもの時は一旦戦線を外れて不意打ちを狙う。
これは打ち合わせ済みの行動だった。
ハリアタンには潜んだトラゥウルルの動きを計ることはできないが、トラゥウルルがスタンバイしていれば、「後ろ危ない」の合図で仕掛けることになっていた。
打ち合わせ通りの行動だった――仕掛けた結果、かわされてしまったが。
「……にゃはは。ハリアー急いでねー。たぶん数秒でやられるからー」
――今の不意打ちをかわされるとは思わなかった。
トラゥウルルの不意打ちは、野生動物にさえ察知させない必殺の一撃だ。
姿を消し、気配を絶ち、猫獣人特有の忍び足と高い運動能力を駆使して仕掛けるのだ。仮に気づかれても避ける隙など与えないくらい速い。
なのに、簡単にかわされてしまった。
そもそも最初に投げ飛ばされた時も、トラゥウルルは何をされたかさえわからなかったのだ。
気が付いたらエオラゼルに触れられていて、身体が逆さまになったと思えば大岩から落ちていたくらいだから。
トラゥウルルは強い。
だが、エオラゼルはその数段は上だ。ちょっと桁が違うくらいに。
「――わかった、頼むぜ」
時間が惜しい。
今塔を取り巻いている砂嵐は、長時間維持はできないと言っていた。あれが終わる前に全部投げなければ作戦は失敗となる。
ハリアタンは覚悟を決めた。
もう後ろで何があろうと、振り返らず、狼煙を全部投げると。
次の狼煙球を握ったところで、
「――にゃーーーーごめーーーーーーーん!」
「――だから速ぇよおまえよぉ!」
何があったか察してしまったせいで、覚悟を決めた傍から振り返ってしまった。
振り返れば、やはりトラゥウルルの姿がない。
見ていなかったが、どうせまたトラゥウルルが投げ落とされたのだろう。
本当に、本当に言葉の綾でもなんでもなく、数秒しかもたなかったのだ。
「というわけだけど、どうする?」
どうもこうもない。
こうなったら――もう投げるしかない!
戦っても勝てない。
逃げるのもきっと無理。
ならば、投げるしかない!
意を決して、今手にある狼煙を投げようとし、それを見てハリアタンに仕掛けるエオラゼルだが――
風が吹いた。
「……ちょっとしくじったかな」
ぶん投げると同時に、エオラゼルはそんなことを呟いた。
――確かに、ちょっとだけ、しくじったのだろう。
トラゥウルルは二回も瞬殺されたが、結果的に、時間稼ぎには成功したのだ。
振り返らなくてもわかる。
助っ人が来たのだ。
「頼むぞサッシュ! 絶対そいつこっち来させんな!」
「ったりめーだ! てめえは早く投げろ!」
今ハリアタンの後ろに立っているのは、魔物狩りチーム最速の青髪である。