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207.メガネ君、解体を任せる





「――待て待て! そのシカ、俺に任せてくれ!」


 何はともあれ、狼煙は十個集まったので、今日の訓練はこれで終わりである。


 ヨルゴ教官が「それでは解散!」と声を張ったところで、教官たちはさっさと行ってしまった。


 ソリチカ教官も何も言わずに行ってしまった。

 あなたが言うからシカ狩ってきたんですけどね。なんの言葉もなしですか。……まあそれもあの人っぽいな。


 血抜きは早い方がいいので、早速シカをさばこうとしたところ、「待て」と力強い声が上がった。


 出てきたのは大男ベルジュである。


「俺は料理人志望なんだ。初めて見る動物や魔物はこの手でさばいておきたい。ぜひ俺にやらせてくれ」


 え、料理人志望……?

 貫禄の巨漢、貫禄の冒険者だと思っていたのに、この屈強な身体で料理人志望なのか。


 ……まあ、譲るのは構わないけど、同じ理由で俺も自分でやりたいんだけどな。知っているシカとは違う種類だと思うし。


 でもここは譲るか。断ってもグイグイ来そうだし。


「じゃあ任せるよ」


 もし手際が悪いようなら変わろう。


「すまんな」


 と、ベルジュは大振りのナイフを抜くと、巨大シカの解体に入った。――うん、問題なさそうだ。手際もいいし手早いし。


「フロランタン、桶に水汲んできてくれる?」


「お? おう! 持ってくるわ!」


 これでよし。

 あとは解体した肉を保存するための葉と、臭み取りが必要だな。

 これだけ大きな獲物だ、持っている分では追いつかない。


「エイル」


 森に生えているのは確認してある。

 自分から言い出すだけあってベルジュの手際がいいし手早いので、急いで調達してこようとしていた俺を、ハイドラが呼び止める。


「これは私たちの食料になるの?」


 え?


「食べないの?」


 これだけ大きいと、所望したソリチカ教官だけで食べきるなんて無理だろう。そもそもあの人はあんまり食べないし。


 どうせ一人じゃ食べきれないし、俺が加わっても同じことだし、フロランタンはすでに食べる気満々だし。


 最低三人は食べると思うが、三人の腹じゃダメだろう。食べきろうと思っても先に肉が傷む。ダメになってしまう。


 ダメにするくらいなら皆に振る舞った方がまだマシだ。

 奪った命はできるだけ無駄にはしたくない。


 ……と、俺は自然に思っていたが。


 アレかな? みんなが食べたくない的な――


「聞いての通りよ! シカを食べたい者はシシラの葉とベタベラ草の採取! 急いで!」


 ハイドラの号令に、シカを見守っていた全員が動いた。

 本人も含めて、再び一斉に森に突入していく。


 あ、そうですか。みんな食べる気はあったんだね。

 まあ貴重な食料だから、誰も無駄にはしたくないよね。


 ちなみにシシラの葉が保存用、ベダベラ草は臭み取りである。


「……あ、あの……ベタベラ草の乾燥粉末は、あるけど……」


 唯一森に行かず残っていたカロなんとかが小声で言う。おお、乾燥粉末があるのか。


 臭み取りの草は、刻んでまぶして揉んで放置するのが一般的な使い方だ。だいたいどこにでも生えているものだから。


 だが、もっと効果が高いのが、ベタベラ草の水分を抜いて粉末にしたもの。

 結構作る手間がかかるので普段使いはもったいないが、刻んだものより効果が出る速度も浸透力もまったく違うのだ。もちろん粉なので日持ちもする。


 ベタベラ草は冬場はさすがに手に入れづらいので、冬の間は粉末を使うことが多い。


「ちょっと量がいるかもしれないけど」


 俺も少しだけ買い置きがあるけど、このシカのサイズである。


 十人以上いても五日は余裕で食べていられるだろう。とてもじゃないがすべての肉に使用するには足りない。まあ足りない分は草のままでもいいと思うけど。今総出で採りに行ってるし。


「大丈夫、結構、多い」


 カロなんとかは「取ってくる」と言い残し、塔に向かう。自室に保管してあるのだろう。

 その背中に、さばきながらベルジュが言った。


「――持っているならガーダンもくれ! 少しでいい!」


 あ。

 ベルジュ、本当に料理人なんだな。


 ガーダンの葉は、逆に早く肉を腐らせる性質がある。

 つまり、早く熟成させることができる。


 もっと言うと、ベタベラ草の粉末と乾燥させたガーダンの葉があれば、このあとの夕食にシカ肉を出せるようになる。食べておいしい状態に持っていける。


 あえて腐らせる、あえて傷ませるという方法なので、あまり一般的なものではないと俺は師匠に教えてもらったが、ベルジュも知っていた。


 食材に対する造詣が深い証拠だ。


 ――俺も臭み取りの粉末とガーダンの乾燥葉は買い置きがあるので、出すことにしよう。













「――ソリチカ、どういうつもり?」


 最後の一人が、狼煙を探すために森に消えた後。

 エヴァネスクは、焦点が合わない目でぼんやりしている、かつての同期に問う。


 エヴァネスクとソリチカ。

 この二人は、十年以上前にこの塔で一緒に訓練した仲、いわば同期である。


 あの頃から何を考えているかわからない女だったが、それは今も変わらないようだ。


「シカが食べたいなって思って」


 そういうことを聞いているわけではない。


「今言うべきことではないわ」


 候補生だった当時から、エヴァネスクは堅物だった。

 今でこそ、そこそこ柔軟になったとは思うが、本質である生真面目さは、今も変わっていないかもしれない。


 しかし、今回のことは、さすがに看過できない。


「不慣れな森に入るのに、余計な課題まで出してどうするの? 危険が増すだけじゃない」


 最後まで残っていた少年エイルは、ソリチカが唐突に言った「シカが食べたいから狩ってこい」という言葉に、特になんの疑問も感慨もなく「善処します」と答えて行ってしまったが。


 でも、あれはもはや暴言と言うべき言葉である。言い出した方が教官という立場にあることを考えると、断れない者もいるだろう。


「面白いよ」


 当時もそうだったが、今もソリチカの言動はよくわからない。


「何がよ」


 いきなり「面白い」と言われてもわからない。


「あの子ね、『置かれた状況に対して最善を選ぶ』のが好きみたい。


 さっきも考えていたでしょ?

 訓練の説明を飲み込んで、噛み砕いて、どう動くのが最善か始める前から決めていた。


 ――その『最善』を壊すために、シカを仕留めるという課題を加えた。これが加えられた『訓練の状況』に、あの子はどう対応するか」


 本当に何を言っているのかわからないが、二人のやり取りを黙って聞いていたヨルゴが言った。


「シカという手間と荷物が増えた。つまり『狼煙を回収してすぐ戻ってくる』という手はなくなった。


 あの全体には混じらない孤立したスタートのやり方は、周囲を警戒している者の思考だ。己の行動を誰にも見られたくないからこそであろう。


 誰にも見られたくないという一点を考慮するなら、自分なら、あえて一番遅い到着を選ぶであろうな。

 狼煙を持っていないことを主張しつつ、堂々と持って戻ってくる。狼煙を確保できなかった者に擬態してな」


 ソリチカは笑う。「私もそう思います」と。


「あの子は全体と一緒にするより、一人だけ突発的な課題を出してあげた方が伸びると思うよ」


「……違う意味の特別扱いをするって意味?」


 普通は、特別扱いと言えば教官のお気に入りや贔屓といった、可愛がる方面になるが。


 ソリチカが言っているのは逆だ。

 逆境に追い込む方がいいと言っている。


「エイルはできないことはできないって言うから。できるから受け入れているんだよ。クロズハイトに入る前に出した課題も、今のシカも」


 ブラインの塔を探す折にクロズハイト周辺に降ろした時、ソリチカはエイルに特別な課題を出したことを、二人に告げている。


 そのおかげでエイルはいろんな面倒事に巻き込まれ、結果0点という最低の評価となってしまった。


 採点したエヴァネスクでさえ同情の余地は多分にあると思う。

 狩猟祭りで実質優勝という大減点がなければ、それなりに点は取れていたのだ。加点箇所はとても多かった。


 そう、確かに加点箇所を思えば、状況に応じて考えうる最善を選んでいたという節もある。これ以上はないだろう、という判断をしているところもある。


「つまり、これくらいの訓練や課題はまだ余裕があるってこと。


 もう少し必死になってもらわないと、エイルは訓練や課題で得るものが少なすぎる。このままだと村で個別で指導を受けていた方がよっぽどいいから」


 ――そうだった。


 ソリチカは何を考えているかよくわからない女だったが、考えていないようで考えている。そういうわかりづらい女だった。


 ふっとエヴァネスクの肩の力が抜ける。


 ヨルゴは指導が下手だからここにいて、ソリチカはそもそもあまり口も手も出さない。

 このメンツで、全体の指揮を執る塔の教官代表という役回りをこなさねばならないと考えると、どうしても肩肘を張ってしまう。


 自分がしっかりしないとまずい、めちゃくちゃになる、と。


 しかし――そうだった。


 ソリチカはこれで、意外と色々考えている女だった。


 あの当時と同じだ。


「変わらないね、ソリち」


「懐かしい呼び方だね。エヴァ」


 ちなみにヨルゴは、長く塔に詰めている責任者のような立場だ。

 十年以上前に候補生としてここに来たエヴァネスクとソリチカのことも、教官として面倒を見た。


 いろんな意味で大人として、そして暗殺者として育っている教え子を見るのも、毎年の彼の楽しみの一つである。






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