206.メガネ君、無事に初訓練を終える
森に入って、かなりの時間が過ぎた。
もう森に点在する人間の気配が少ないので、多くの者が塔に戻ったのだろう。
「――あ、0点君だ」
「――ちょっ、ダメだよ。失礼なこと言っちゃ。……あの、ごめんね?」
シカを探して森をさまよっていると、候補生に会った。
えっと……マリオンと、確かジオダインだったかな? 中性的な女の子と、気の弱そうな少年だ。
「0点君も狼煙を探してるの?」
友達が謝っているにも関わらず、構わず俺を0点と呼ぶマリオンに「そっちも探してるの?」と返すと、二人は頷いた。
まあそりゃそうか。
手に入れていたらとっくに塔に帰っているだろうから、こんなところをうろうろしているわけがない。
俺は頼まれごとがあるから、仕方なくの面もあるけど。
訓練が始まってから、もう結構な時間が過ぎている。
陽も傾いてきているし、そろそろ陽が暮れてくるだろう。
狩人としては、この辺が引き際であると判断する。
慣れた森でも夜は危険だが、慣れない森を夜さまようのはさすがに危険すぎる。
「うーん……空を見ても、もう赤い煙が上がってないんだよね」
マリオンの言う通りだ。煙はもう見えない。
つまり、狼煙は全部取られたってことだろう。
「もう諦めて戻ったら?」
「え? 0点君は? まだ戻らないの?」
なんか彼女の中では、すでに「0点」が俺のあだ名になってしまっているようだ。
まあ、名前を呼ばれるよりはむしろそっちでいいかな。特に不満はありません。
「ソリチカ教官にシカを狩ってこいって言われたから。せっかく森の奥に来たし探してるんだ」
「はあ? シカ? 訓練中なのに?」
どうも訓練そっちのけでシカを探していると思われたようだ。
「訓練はもう終わったようなもんでしょ」
「……まあ、そう言われてみればそうか」
マリオンは俺の返答に呆れたようだが、今の状況――負けが確定しているとしか思えない現在を鑑みると、そこまでおかしくもないと思ったようだ。
まあ、「呑気だなぁ」くらいは思ったかもしれないけど。
でも俺だってね、さすがに訓練中に狩りなんてね、アレだとは思うんですよね。
でも頼まれちゃったんだから仕方ないだろう。
「マリオン、僕らは戻ろうよ。じゃあねエイル」
「あーあ、一週間料理当番かぁ」
と、二人は行ってしまった。さすがに迷わないよな、あの二人は。……ふと思い出してしまったが、ゼットはもう帰ってるのかな?
――「体熱視」を駆使し、ようやくシカらしき赤い影を見つけて潜みながら進む途中、また候補生に遭遇した。
「おう、肉の人」
「……」
肉の人って言うな。
誰かいるのはわかっていたし、挨拶だけしてスルーしようかと思ったのだが、フロランタンがいたので遭遇してみた。
フロランタンの隣には、俺よりかなり高い長身で細くて背が丸まっていて、長くてぼさぼさの黒に近い茶色の髪に顔が隠れていて、見えている部分も顔色が青白い、悪霊みたいな雰囲気の女の子がいる。
まあ、今朝から塔で見かけているから霊的なものではないが。実体のある人だが。
消去法だが、たぶん彼女がカロ……カロなんとかだ。
部屋で調合しているせいで隔離されている、昨日の異臭の原因だと思う。
「狼煙見つけたか? うちらは全然じゃ」
二人がどういう関係なのかはわからないが、まあフロランタンは俺と違って大人だからね。普通に交流が始まっているだけなのかもしれない。
「さっきマリオンに会ったけど、向こうも見つからなかったって。もう訓練は終わったんじゃない? 煙も見えないし」
「ほうか……さすがにもう手遅れかのう。なあカロン?」
「……うん」
カロンは愛称だと思うけど、霊的な彼女は小声で頷く。
身体は大きいけど、気も声も小さい控えめなタイプのようだ。――いいね。グイグイ来ない性格ってすごくいいと思う。俺は彼女とは気が合うかもしれない。機会があったら調合のこととか聞いてみよう。
「ほんじゃ帰るか。エイルも帰ろうや」
「いや、俺はシカを狩ってから……あ、そうだ。今からシカを狩るから運んでくれるかな?」
昨日ヨルゴ教官が言っていたが、この辺のシカは本当に大きいのだ。
昨日ちょっと見かけて驚いた。
やたら大きなシカの足跡らしきものを見つけ、追いかけてみたら、目を疑うような巨大なシカがいたのだ。
というかあれはシカなのかな?
魔物である六角鹿より二回りくらい大きかったけど。
まあたぶん、俺が知っているシカとは、種類からして違うんだと思うが。
だって普通の馬くらい大きいのだ。
特に牡鹿は、立派な体格に加えて立派な角が生えていて、只者じゃない感も威圧感もすごいんだよね。下手な肉食獣よりよっぽど強そうだし。
そんな巨大なシカなので、俺が担いで帰るよりは、フロランタンに任せた方が自然だろう。
「素養」をセットすればそのまま持って帰ることも可能だが、バレる可能性が生じてしまう。
なので、部分部分を切り出して回収しようと思っていたが。
しかしまだこの辺に生息する魔物のことも知らないので、血の臭いを振りまくのはよくない。
呼び寄せる可能性があるから、この場での解体作業はできれば避けたかった。
そこでフロランタンである。
偶然とはいえ、これは運がいい遭遇だった。
「シカ! ほう! 肉の人が肉を狩るのか! このパターンはあの村以来じゃのう!」
そうだね。あれ以来だね。でも肉の人って言うな。
――こうして俺は元師匠の言いつけ通り、シカを仕留めて三人で帰還するのだった。
やはりというか当然というか、俺たち三人が最後だった。
十一人の候補生と教官三人は、塔の前で思い思いに過ごして待っていた。
早く戻った者などはだいぶ待たせてしまったせいか、こっちに向けられる視線が厳しい。
「「…………」」
まあ、フロランタンが背負ってきたシカを見たら、こっちの遅れはどうでもよくなったようだが。
馬のように大きなシカに候補生たちは驚いている。だよね。俺も昨日見た時はすごく驚いたよ。一般的なシカじゃないよねこれ。
が、すでに見たことがある教官たちは、驚く理由がない。
「――それで?」
俺たち三人を見て、エヴァネスク教官は言った。
「狼煙は九個集まっている。最後の一つは誰が持っている?」
「「え?」」
フロランタンとカロなんとかが不思議そうな顔をしている横で、俺は腰に下げていた革袋を外して差し出す。
「どうぞ」
「「えっ?」」
これに驚いたのは、フロランタンとカロなんとかだけではなく、彼女らより直前に会ったマリオンとジオダインたちもだ。
「……」
エヴァネスク教官は無言で革袋を受け取ると、何重にも包んで煙が漏れないようきつく縛って密閉している口を開き――隙間から赤い煙がもうもうと立ち上った。
「……よろしい。最後の訓練達成者はエイルです」
別になんてことはない。
要するに、誰とも遭遇せず、衝突しないよう時間を調整しただけである。
まず誰も向かっていなかった場所にあった狼煙球を回収し、密閉することで煙の噴出を防ぐ。
その後、しばらく時間を潰して、森で活動している候補生たちが引き上げるのを待っていたのだ。
そして最後まで残るはずである「狼煙を見つけられなかった四人」に顔を見せたのは、俺が彼らと同じ立場だと暗に臭わせるためだ。
四人一緒にいたら避けて塔に戻るだけだったが、バラバラだったから会ってみた。
「狼煙を見つけられなかった四人」の誰かあるいは全員が、塔の様子を見て候補生が九人しか戻っていないことを知ったら。
彼らは「最後の一人」を、塔の近くで待ち伏せするかもしれない。
それを防ぐための顔見せと「同じ立場だ」という意思表示だった。
待ち伏せするなら「狼煙を持っていない者」を襲うことはないからね。
一直線に最速で回収した場合は、周りに候補生がいる。
奪いに来るかもしれない。
中途半端に回収・帰還が遅い場合も、ほかの候補生と遭遇して奪いに来たり、待ち伏せの危険も高くなる。
ならば一番遅くに「狼煙を持っていない者」として帰還する。
それが、俺が取った「安全に狼煙球を守る方法」だ。
「――ちょっと0点君! 狼煙持ってるんじゃん!」
まあ、こんなに長々誰かに説明する気もないけど。
マリオンが文句を言ってくるが、それに対する返事はすでに考えてある。
「――俺は持ってない、なんて言ってないけど」
嘘はついていない。
まだまだ候補生たちがどんな「素養」を持っているかまったくわからないので、できるだけ「真実ではないこと」を言うのは避けている。
「嘘を見抜く素養」を持っている者もいるかもしれないのだから。
「おう、うちまで騙したんか?」
「騙した覚えはないけど、結果的にはそうなったね。ごめんね」
嘘はついていないが、誤解させる方向で発言していたのは確かだ。
ほかの連中はどうでもいいが、あの村で過ごした四人は俺にとっては少しだけ特別だ。
普通に友達だと思っているから。
だから、フロランタンが怒っているなら謝りたい。
まあ、これくらいで怒るような奴じゃないとは思うけど。
「――ええぞ! さっそくシカ食おう、肉の人!」
やっぱりフロランタンはカラッとしてるなぁ。でも肉の人って言うな。