205.メガネ君、訓練を始める
塔の外に出ると、すでに森の奥の至るところから赤い煙が上がっていた。
どうやら一階に集まり教官たちが説明する直前に、すでに投げ込んでいたようだ。
うーん……森から赤い煙が上がるこの光景って、火事みたいで見ていて気持ちいいものではないな。
でもこれだけ目立つなら、すぐに見つけられるだろう。
……それにしても、だいぶ奥地から煙が出ていないか?
俺はまだ森の奥地までは様子を見ていないが、かなり深い森である。
しかもその先は聖巡牛が歩くコースである――どうもあの巨大牛は特定のルートをずっと歩き続けているらしい。記録によれば何百年も。神秘的ではあるが、それ以上に意味がわからない行動だ。
まあそれはともかく。
深部ともなれば、魔物も生息しているんじゃなかろうか。
昨日は遭遇しなかったが、巨大生物の痕跡は見つけている。確実に魔物はいると思う。
昨日ブラインの塔に到着して、翌日にはもう訓練だ。
やっぱりまだ情報不足なんだよな……この状態で森の奥に入るのは、あんまりよくないよなぁ。
でも、やるしかないんだけど。
それに、むしろ今は「よく知らない不慣れな森」だからこそ、やる意味があるという考え方もなくはない。
慣れれば馴染みの森だ。
はじめて入る時とは気持ちも警戒心もどうしても変わってくるから。変わる前にやらせておきたいのかもしれない。
でもまあ、これも考えすぎかもな。
「おい0点! おまえ料理得意かよ!?」
目つきの悪い少年が絡んでくる。えっと、こいつはハリアタンだな。
「どうせおまえが負けて料理当番になるんだ、今のうちに今夜のメシの支度でもしておけばどうだ!?」
今夜のメシの支度か。
――昨日狩ったオロ雉は、血抜きしてさばいて、臭み取りの香草と保存用の葉に包んで縛って置いてある。
少し寝かせると肉質が柔らかくなり、元々少ない臭みも独特の風味になるのだ。
あれはもう食べられるよな。
…………
よし、負けたら料理当番として全員に分けよう。
十人以上の大所帯だから一食で食べきってしまうが、それはそれでいい。
勝ったら外で焼いて一人で食おうっと。
狩猟祭りで食べた香草の混じった塩の研究もしたいので、一人で鳥焼肉だ! こういうことも気軽にできるから狩人はいい。
「……ケッ! 無視かよ!」
え? ああ、……うん。
「アハハ、君には敵わないなぁ」
「何がだよ急に怖ぇな! ……あ、おまえそもそも無視じゃなくて聞いてねえな!?」
「――あ、エヴァネスク教官が君を睨んでるよ」
「えっ」
目つきの悪い少年の気が逸れたところで、
「ん……?」
「お気になさらず」
素早く、近くにいた大男ベルジュの陰に隠れてみた。
「――それでは、今日の訓練を始める! 行け!」
軽くもう一度訓練の内容を説明し、ヨルゴ教官の号令で訓練がスタートした。
皆が一斉に森に突入していく。
その後ろ姿を、俺は普通に見送った。
……なるほど。
「――貴様ら、行かんのか?」
号令が出ても動かず森を見ていると、ヨルゴ教官が声を掛けて……ん? 貴様ら?
ふと見れば、黒髪の東洋人……シュレンが、同じように森を見ていた。
「……」
シュレンは鋭い目で俺と教官を一瞥し、教官に軽く頭を下げると森へ走っていった。
おお……ハイドラの言っていた通り、確かにあいつは速いな。あっという間に森に消え、かなりの速度で気配が遠ざかっていく。
「じゃあ俺も行ってきますね」
と、俺は森も森に消え――
「あ、エイル」
…………
まさかこのタイミングで話しかけてくるとは思わなかったよ。ソリチカ教官。
踏み出した足が止まり、振り返ると、ソリチカ教官はぼんやりした瞳で俺を見て笑っていた。
「私は嫌いだけど、今日はシカが食べたい。ついでに獲ってきて」
…………
このタイミングでそれが言えるってすごいね。ほら、ほかの教官も驚いてるよ。何言い出してんだこいつって今にも言いそうな顔してるよ。俺も顔には出てないかもしれないけど充分驚いてるからね。
俺これから訓練なんだけど。
厳密に言うとすでに訓練中なんだけど。
訓練中に更に課題を増やすようなこと言ったりするんだ。
「あー……最近食べてます?」
ソリチカ教官は、あまり食事を取らないタイプだ。
ハイディーガにいた頃、そして暗殺者の村に移った頃は、よく一緒に食事していたから把握しているが、今はどうなんだろう。
栄養を取らないと体調を崩しやすくなる。
元弟子としてはやはり心配である。
そもそも飯を食わないで済むなんて、常に肉を食いたい俺からしたら信じられない人種である。だから余計に心配なのかもしれない。
「少しだけ食べてる。今日はシカがいい」
あ、そうですか。
「善処します」
さすがに約束はできないけど。
でも元師匠の要望なら、元弟子はできるだけ聞くだけである。
もし見つけたら、狼煙球を探すついでに狙ってみようかな。
そんなこんなで一人だけ遅れて森に入った。
木に登り、枝を飛び移るように走りながら考える。
――シュレン、か。
あいつ、俺と同じ考え方をしたんだろうな。
狼煙は十個、参加者は十四名。
普通に考えて、十人は訓練をパスし四人は確保できない計算となる。
言うまでもなく、早い者勝ちである。
問題は、どう狙うかだ。
ただただ最短を一直線に突っ走って確保するか?
恐らく多くの者がそうする。
あえて名付けるなら、最速組はそうするだろう。猫獣人とか速そうだったしね。
ならば、狙われていない狼煙球はどうか?
たとえば誰にも狙われていない狼煙球を狙う、とか。あえて一番遠い狼煙玉を狙う、とか。
そんなことを考えると、やはりここに辿り着く。
そしてシュレンは俺と同じことを考えたんだと思う。
もし近くに候補生がいる状態で発見したり確保したりした場合、そいつらが狼煙球を奪うために仕掛けてくるんじゃないか、と。
狼煙球を手に入れる方法は自由と言っていた。
だったら、「奪う」という発想をする者がいてもおかしくないと思う。
見つけた時に衝突し、確保した時も衝突し、帰りの道中にも衝突し、塔付近の待ち伏せにあって衝突する。
これだけ「奪われる可能性」がパッと思い浮かぶのだ。
探すのも確保するのも、「最速」が正しいとは言い切れない。
候補生は全員、ここにいることがすでに強さの証明となっている。
一人でも敵に回せば相当厄介なことになるだろう。
特にその一人がハイドラ、リッセ、エオラゼル、サッシュ辺りとなると、かなりまずいと思う。
あの辺のメンツは戦うことはおろか、逃げるのでさえ大変だ。
一つの能力に秀でているのではなくて、総合力が高いんだよね。あ、サッシュだけは足の速さに特化しているからだけど。
もちろんわかっている範囲で、だ。ほかにも厄介な奴はいるかもしれないし。
例の猫獣人も、運動能力は確実に高いはずだし。
理想は、誰にもバレずにこっそり手に入れてひっそり塔に帰る、という形だが。
それを許してくれるかどうかは別問題である。
だからあえて先に行かせ、観察し、連中が行っていない方向へ行くという手段を選んだ。
シュレンも、向かった方向からして、発想は同じである。
このままいけば、誰にもバレず確保は可能である。
問題は確保後の動向だが……
…………
うん、まあ、策は思いついたし。
がんばってみようかな。




