204.メガネ君、「完璧な猫なら」と早くも嘆く
午前中の説明が終わり、昼食を食べて一階に待機する。
その間に、リッセと一緒に、ハイドラからこれまでにやってきた訓練や課題のことを聞いてみた。
今日から本格的な学習が始まるという。
つまり、ここからが本番なのだ。
始まる前に、これまでのことを聞き、今からどんなことをするのか予想をしておくことは無駄にはならないと思う。
まあ、単純に気になるっていうのもあるが。今まで何してたのかなって。
「――なになにー?」
虎改め猫獣人が入ってきたりしつつ、聞いた話を要約するとだ。
「基本からだね」
基本は走らされたり、周辺で採れる植物などの採取などをさせられていたそうだ。
各々が「ここで鍛える!」という意志の下に来ているので、自由時間の自主訓練でも特に不満はなかったみたいだ。
ヨルゴ教官も実戦形式の訓練になら付き合っていたみたいだし。……それはちょっと羨ましいんだよなぁ。あの人すごいもんね。俺も弓を学びたいな。
それはともかく。
やはり、まずは基本からだろう。
まずは教官側から見て、候補生たちの能力をしっかり把握すること。
誰が何が得意で不得意で、どこまで何ができるのかどうか、そして実戦経験と戦闘力。
ある程度は事前に伝わってそうだが、実際その目で確かめることから始めるだろう。
つまり――
「例の走るのからね」
俺もそう思った。ハイドラと同じ意見だ。
実はハイディーガから移った後の暗殺者の村でも、森を走り回らされたんだよね。
それぞれの師匠に命じられて。
もちろんサッシュ、セリエ、フロランタンも、なんだかんだと理由をつけて走らされていたそうだ。
ハイディーガと暗殺者の村でとことん走った、俺たちで言うところの通称「道」。
あれは恐らく、動きの全てに関わる基礎である。
単純な走力と体力の向上あるいは維持。
次の足場の確保に必要となる、瞬間的な判断力。
薄暗い地下を走るので目の訓練も含まれているだろう。密集した森の中も結構暗いしね。
そしてそれらは「走るだけ」に関わるものではない。
特に、瞬時に状況を解しどう動けばいいか決めるための瞬間的な判断力は、常に「瞬時」に命を争う実戦には必要不可欠だ。
状況認識と判断が早ければ早いほど身の安全は確保できるし、また相手の攻撃を回避、または攻撃を仕掛ける機会が増える。取れる選択肢が多くなる。
今思い出しても、あれは確実に今に活きていると思う。
少なくとも、龍魚戦で水の刃を回避できたのは、瞬間的な判断力を磨いた結果だと俺は思っている。
「ハイドラから見て、誰が速いの?」
リッセがそんなことを聞くと、「ふんふん」とか「ほーほー」とか、わかっているのかいないのか判断が難しい適当な相槌を打っていた猫獣人が言った。
「あたし速いよー?」
うん。
獣人って運動能力がすごく高いって言うからね。見るからに身軽そうだし、この少女は速そうだ。
「そうね。トラゥウルルは速いし、何より身軽だわ」
そんなことを言いながら、ハイドラは猫獣人の頭を撫でる。猫獣人は嬉しそうである。……完全な猫だったら俺も撫でるのになぁ。惜しいなぁ。
「速さだけならサッシュもかなりのものね」
それは知ってます。
ただ、「道」を「即迅足」で走れるかどうかである。
あの「素養」は使い方が難しい。
俺も隙を見ては少しずつ訓練しているが、ようやく平坦な道なら走れるようになってきたくらいである。
まだまだ小石にだってつまづくような不安定さである。
「――でも、やはり一番はシュレンかしら」
シュレン。……どの顔だろう?
「あの黒髪でしょ? たぶん東洋人よね?」
リッセが指差す先を見ると、大男ベルジュと何やら話している目が鋭い少年がいた。
長い黒髪を後ろで結った、俺と同じくらい小柄で細い体格の少年である。――あ、こっち見た。絡まれるとイヤだから目を合わせないでおこう。
「どんな子なの?」
というリッセの質問に、ゴロゴロ言いながら抱き着く猫獣人を、ちょっと迷惑そうな顔で受け止めているハイドラは即座に言った。
「エイルに似ているわね」
ん? 俺?
「人嫌いで人を見ると逃げて狩りにしか興味のない希少動物みたいな奴?」
リッセが否定できない寸評を口にし、ハイドラは迷いなく頷いた。うーん……否定できないからなんとも言えないなぁ。
「否定しろよ。そこまでひどくないって言いなさいよ」
否定できないから仕方ない。というか言った本人がそれを言うな。
「でも似ているわよ。本当に。必要がなければ誰にも話しかけないし、話しかけられたくもないみたい。いつもどこにいるかわからないし、気が付けばいるし気が付けばいなくなっている、という感じね」
「今話してるけど、ベルジュとは仲いいの?」
そういえば確かに話し込んでいるな。盛り上がっているようには見えないけど、なんか淡々と話し込んでいる。
「どうかしら? 詳しくは知らないけれど、食の趣味が合うとは聞いたことがあるわね」
へえ、食の。好物が同じとかそういうのだろうか。
…………
「ちなみにハイドラとその子は仲いいの?」
もはや抱き着かれている状態だが。
「……どうかしら? 特別仲が良くなるようなことはしていないはずだけれど、時々なぜかこうなるわね」
なるほど。
つまり人に慣れている人懐っこい猫というわけか。
…………
完璧な猫だったらなぁ……完璧な猫だったら完璧なのになぁ……!
「――注目!」
そんな話をしていると、いよいよ教官役がやってきた。
ヨルゴ教官が俺たちの注視を促すと、エヴァネスク教官が説明を始める。ちなみにソリチカ教官は塔に来ても、かつて見たのと同じくどこかをぼんやり眺めて光っているだけである。
「これより訓練を始める。今日の訓練はこれを使う」
「これ」と言いながら、エヴァネスク教官は黒くて丸い物を俺たちに見せる。あれは……狼煙の丸薬だろうか?
「これは赤い煙の出る狼煙。これをヨルゴ氏の手で力いっぱい森に投げてもらう。それを探し確保して持って帰ってくること。
これが訓練の内容になる。
ただし、投げる個数は十個」
……ああ、そう。ふうん。なるほど。
聞いていた通り、やはり競争の面が強いみたいだな。
「先生! 俺たち十四人なんだけど!」
目つきの悪い少年がわかり切ったことを言う。
うん、だからそういうことなんだよ。
「――その通り、狼煙の数は足りない。四人は訓練未達成になると言っている」
と、エヴァネスク教官はヨルゴ教官に狼煙の玉を渡す。
「あぶれた者は一週間料理当番をしなさい。明日も同じことをする。あぶれた者は一週間掃除当番をしなさい。明後日も同じことをする。あぶれた者は一週間孤児院の雑用をしなさい。
負ければ負けるほど自分の使える時間が減ることになる。
嫌なら必死にやりなさい。
探し出す方法は自由。基本的に何をしてもいいわ。狼煙を持って塔へ戻り、私に渡すことで達成とする。
――説明は以上。全員塔の外へ出なさい」
森を走り抜け、赤い煙を発する狼煙を探し出し、塔へ戻る。
やはり予想していた通り、「道」の変則型だ。
そして、かなり意地が悪いな。
探し出す方法は自由で、基本的に何をしてもいいんだってさ。
もしかしたら、誰かは教官役にこう言われたりしているのだろうか?
――「狼煙を拾った者から取り上げろ」とか、「一人で何個も集めろ」とか、「塔の前で待ち伏せして戻ってきた者を罠に落として奪え」とか。
そこまで意地悪じゃないかな?
でも、そういう予想だにしないハプニングが起こるのも、経験としては悪くないと思う。
訓練や課題が、突き詰めると実戦を想定しているなら、むしろ突発的な問題が起こった方がいい訓練になるだろう。
実戦は、すんなりいかないことの方が多いから。
状況に合わせて、その場にあるものでアドリブで対応する能力も求められるから。
……なんて、考えすぎかな? まあ覚悟だけはしとこうかな。