200.メガネ君、ハイドラの案内で塔を見て回る
「――もう解散! 見せ物じゃないんだからあんたらも散れ!」
…………鉄拳制裁された。
突如キレたリッセに思いっきり殴られて、なんだかすごく気持ちが落ち込んだ。
「……覚えとけよ」
同じように殴られた目つきの悪い少年も、かなり気持ちが落ち込んでしまったようで、力なくそう言い残して行ってしまった。
リッセから発せられた二度目の解散に、今度こそ皆が動き出す。……やれやれ、到着してすぐにこれか。これから無事やっていけるのかどうか。痛いし。
「気持ちはわからなくもないけど、気持ちを切り替えて」
と、俺たちを連れてきたまま傍にいたハイドラが、「なんなんだよ、なんで無関係の私だけ傷つけられてるんだよ」などとブツブツ言っているリッセをなだめつつ、俺を見る。
「これからあなたたちの部屋に案内するわ。お望みなら塔にある施設も案内するけど。今日一日でどこに何があるか把握して、明日からの生活に備えておいて」
部屋か。
外観からして結構大きな塔に見えたけど、果たして個室だろうか? それとも相部屋になるのかな?
施設等の案内も頼むと、ハイドラはまず一階から教えてくれる。
塔は六階建てだ。
一階が、俺がリッセに殴られた広間。
台所も一階にあるので、ここが食堂ということでいいそうだ。
食事は当番制で作ることになり、一日交替で数名でこなす。
新顔である俺とリッセもそうだが、昨日来たばかりのセリエとフロランタンもまだ食事当番のローテーションに組み込まれていない。
まあ、そのうち教官役の誰かから通達があるだろう。
「――おまえの名前どうなってんだ? ドンが名前なのか?」
「――いや。それは育ての親の役職じゃ」
…………
「うちは本名も捨てたし、育ての親が死んだあとにファミリーからも破門されたんじゃ。
その時に何もかもなくしてしもうた。
けんどうちの今の名前をくれた育ての親の『何か』を、どうしても継ぎたくてのう。
じゃけぇオヤジが周りに呼ばれとった『ドン』を勝手に継ぐことにしたんじゃ。
名前やないし、うちは『首領』でもないけぇ、これならええてファミリーに言われたわ。じゃけぇこれにした。
ちゅうわけで、変則じゃけんど、『ドン』はうちのファミリーネームみたいなもんじゃ」
……なんか後ろでちょっと重い話をしている青髪と忌子がいるけど、うん、気にしないでおこう。
一応セリエも同行しているんだけど、話の内容が内容だからか、ずっと口を出すことができないままだ。リッセも何も言わないし。
というかフロランタンの「ファミリー」とか「ドン」って、まさか本当に裏社会のボスの娘……いや考えないでおこう。
聞いたら意外と軽く教えてくれそうな気もするけど、そもそも軽々しく聞いてはいけない類の話っぽいし。
聞いたあと、どう接したらいいかわからなくなるかもしれないし。
「――うちのこと、ドンと呼んでも構わんぞ、チンピラ」
「――さすがに歳と貫禄が足りねえよ。あとドンってガラでもねえな」
うん。ドンという感じではないかな。
……そういえば、リッセの名前もなんか違った感じだったなぁ。俺からは聞かないけど。
「次は二階ね」
絶対に聞こえているはずなのに、ハイドラの徹底ぶりもすごいな。……まあ、みんな色々訳ありっぽいもんね。軽い気持ちで関わるわけにはいかないよね。
階段を登ると、そこは扉がずらっと並ぶだけの階である。
「ここが候補生たちの住む部屋になるわ。狭いけれど個室よ」
あ、個室なんだ。狭いのは慣れてます。
「各々の部屋にはプレートが掛かっているわ。もうエイルとリッセの部屋の準備はできているから、荷物を置いて戻ってきて。私はここにいるから」
というわけで、自分の部屋を探してみることに……んっ!?
お、奥の部屋から、異臭がするんだけど……この臭い、なんか記憶にあるぞ。確か毒赤実を煎じる臭いに似ているような……
毒果実は、少量なら腹を壊すくらいで済むが、煎じて粉末にしたら非常に殺傷能力が高くなる毒である。
たぶんそれを作っている臭いである。
俺とリッセが同時に足を止めていると。
「あの部屋には近づかない方がいいわよ。周囲の部屋も空き部屋になっていて、隔離されているから」
と、背後のハイドラが教えてくれた。
「カロフェルンという女の子が住んでいるの。薬学が得意だから、薬も毒も部屋で調合しているの。異臭と爆発と煙は日常茶飯事だから、これもすぐに慣れるわ」
……なかなか刺激的な環境らしい。
「わたしの部屋はここです」とか「うちの部屋はここじゃ」とか「俺の部屋はここだ」とか、ついてくるセリエたちの部屋の場所も確認しつつ、自分たちの部屋を見つけた。
どうやら塔に着いた順に並んでいるようだ。リッセは隣の部屋である。
ドアを開けて中を確認し――あ。
確かに室内は狭く、小さな窓が一つとベッドと机があるくらいだが、俺にとっては特別なものもあった。
――俺の弓と矢である。
机の上に置いてあったそれは、無法の国クロズハイトに入る前に、ソリチカに預けたものだ。
頃合いを見て彼女がここに置いておいたのだろう。
埃をかぶっていないので、置きっぱなしだったってこともなさそうだ。案外、ヨルゴが解散を通達した直後かもしれない。
弦を張っていないので引くことはできないが、手に取って構えてみる。
……不思議だな。
師匠に弟子入りしてからは、怪我などで動けなくなった時などの例外を除けば、だいたい一日一回は弓に触れていた。
こんなにも長いこと触らなかったのは初めてである。
なのに、昨日も一昨日もその前も、普通に触っていたかのように手に馴染む。
勘が鈍っているかもしれないが、感覚はまったく衰えていないと思う。
暗殺者の村で“石蠍”に教えてもらった、感覚の訓練を続けていたおかげかもしれない。
弓はもはや俺の一部。今すぐにでも撃ちたいが、もう少しだけ我慢である。
あとで少し狩りに出ることにしよう。
三階も、いくつかの広間がある階だった。
一階と違う点はは、黒板という文字が書ける大きな板が壁に掛けてあり、長机がそれに向けられていること。
「座学をする場所ね。教官があの板に文字を書いて教えてくれるの」
ふうん。
いったいどんな話をしてくれるのか楽しみだな。
そして四階、五階、六階は、許可のない候補生は立ち入り禁止となっているそうだ。
「四階は図書室になっているの。貴重な本も多いから、汚されたり壊されたり紛失されたりしないよう、出入りを制限しているそうよ」
教官の許可があれば図書室に入っていいし、本を借りることもできるとか。
ハイディーガでソリチカと「素養」の勉強をしていた時は、街の貸し本屋を利用していた。結構高かったっけ。
ここにも「素養」の本はあるだろうか。
「視えない素養」もまだまだ多いから。
知ることはそのまま俺の武器になる。磨かない手はない。
――アディーロばあさんの手紙もあるし、むしろ「素養」について学ぶのは必須かもしれない。
「五階と六階は教官たちのプライベート空間になっているわ。私も数えるほどしか行ったことはないけれど、造りはそんなに変わらないわね」
はあ、プライベート空間。
まあ凄腕の暗殺者だって人間だからね。
趣味だのなんだの、邪魔されたくない自分だけの空間や時間も欲しいんだろう。
「あとは地下室があるけれど、食糧庫と倉庫になっているわ。これも当番以外は立ち入り禁止になっているから」
なるほど。地下もあるのか。




