191.メガネ君と狩猟祭り 13
「言えよ! なんで言わねえんだよ!」
「しつこいなぁ! 変装してたからだって言ってるでしょ!」
「俺にまで隠す理由があんのかよ!」
「自分で気づきなさいよ! 私はそうしたし、セリエだって気づいたんだから!」
サッシュとリッセが背後で言い合っている。
他人のフリをして前を歩くエイルは、本当に全然気にしていない。まったく気にしていない。言い合いの元凶とも言えるはずなのが関係ないとばかりに気にしていない。
諍いの理由は、エイルが正体を隠して狩猟祭りに参加していたこと。
龍魚を狩ったメイドの少女が、サッシュがよく知るあのメガネの狩人だったと知り、昨日の夜からこんな調子である。
――狩猟祭りの翌日。
人が多くなる昼時の少し前に、三人は狭い大通りを歩いていた。
大通りは、やはり今日も賑わっていた。
このクロズハイトの住民の多くが参加した、大掛かりな祭りの翌日ではあるが、店を持つ商売人たちはもういつもの日常に戻っている。
商売人ではなく利用者である住人たちも、いつもの生活に戻っているようだ。
まあ、爪痕のように時々やたら顔色が悪い者がいるが。
祭りで飲み過ぎて二日酔いなのだろう。
――三人が向かう先は、栄光街にあるベッケンバーグの屋敷である。
賞金だの副賞だのなんだのを、取りに行く途中である。
――昨夜の昼。
集合を掛けられた十数名の狩人たちは、周囲を遮断する簡易テントに入り、秘書だかなんだかの美女を侍らせたベッケンバーグに、ここからの流れの説明を聞いていた。
狩り勝負終了の宣言と、それと一緒に優勝者の発表をすることになっている。
ふと見れば、テントのすぐ横は演壇がある。そこに登って演説したり優勝者の発表をしたりするのだろう。
ちなみにここに集う狩人の人数が少ないのは、狩り勝負中に怪我をした者や、チームの代表がいればいいから祭りで遊んでいる者もいるからだ。
あと勝ち目がないと悟り普通にすっぽかしている者や、普通に酔い潰れている者もいるが。
しかし一番多いのは、不正がバレて失格になった者たちである。
それと行方不明で今捜索隊を出した者も一人いるが。
これは結構なレアケースである。
昨日の開始時点では五十名を超えていたはずの参加者だが、終わってみればこんなものである。
「――優勝者は、龍魚を狩ったエルだ。これは誰の目から見ても文句はないだろう」
さらっと触れた優勝者の名前に、特になんの声も上がらなかった。
不満の声が一切出ないのは、誰もがその判断で納得しているからだ。
ごねることもできないほどの問答無用の優勝である、と。
「――二位は、金剛大猿を仕留めたハリアチーム」
三位までは賞金が出ることは公表してある。――ちなみにハリアタンも、エイルと同じく微妙な偽名で登録している。
「――二位と三位でかなり意見が分かれたが、事前に決めていた採点方法で選出した。厳密な腕の差はわからんが、あくまでも今回の勝負ではこうなったという判断だ」
少しざわめいたので、ベッケンバーグは簡単にその理由を述べた。
あくまでも採点方法から順位を付けた結果だ、と。
そしてこれは公表していないが、たとえ最下位であろうとも、狩り勝負として成立していればそこそこの賞金を出すことは事前に決めてある。
事前に言わなかったのは、それを知ればクロズハイトでよく見られる壊王馬や魔豚を狙いに行く連中が増えそうだから、である。
それと、これは失敗したチームを見て判断したが。
ベッケンバーグは狩り勝負で大物に挑み失敗し棄権したチームにも、多少の金を出すべきだと判断した。
たとえ失敗であろうと、働いた分にはそれに見合う報酬があっていいだろう、と。
不正した者には一切何もないが、まともに参加してくれた全チームには、最低限の敬意を払い金という形で返す。
それが、この段階で固まったベッケンバーグの意向である。
もし次があるなら、また参加してほしいから。
観客はともかく、狩人たちに嫌われ信頼を失ったら二度とできなくなる。
この出費は必要経費だと割り切っている。
「――三位は、先に触れた通りかなり揉めたが、灰塵猫を仕留めたサッシュチームだ」
そう、少しざわめいた理由は採点方法だ。
金剛大猿の方が強いので、獲物としての点数は高い。
だがサッシュチームは、仕留めた魔物では劣るが、速度と人数という二点で勝っている。
ただの狩りなら単純に金剛大猿を狩った方が上だが、今回の狩り勝負は事前に定められた点数で競う。
果たしてどちらが上になるのか、と。
実際、合計得点でかなり拮抗し、だから「事前に決めた採点方法でいいのか?」という根本的な意見も出たのだが――しかしこれが、事前に定めた方法で決めた結果である。
そういう意味では、四位にも涙を飲んでもらうしかない。
「――セヴィアローチームは、本当に僅差で四位だった。『魔物の数』も点数に加えられたなら入賞していただろう。残念だったな」
娼館街から参加したセヴィアローとタイランは、赤足蜘蛛の群れに遭遇し、そのすべてを返り討ちにして終了した。
その数なんと四匹である。
一匹狩るのでも大変な魔物を四匹も倒し、それら四匹ともどこかの倉庫に置かれている。巨大蜘蛛が山となっている姿は非常に迫力があった。
「――話を戻すが、三位までは俺が皆の前で表彰する。俺の使いの指示に従って、このままここに待機していてくれ。他の者の出番はないが、ここで見ていてもいいし解散してもいい」
確かにここなら、演壇がよく見える。
素直に祝福したい者もいれば、負けて悔しいからヤケ酒でもあおりたい者もいるだろう。
ベッケンバーグの大体の話が終わったと見えて、少し場の空気が緩んだ時だった。
「ちょっといいですか?」
今説明された優勝者のエルが挙手した。
「……なんだ? 質問か?」
こいつが関わるとロクなことがない――なんだかそんな気がしているベッケンバーグは、正直ちょっと関わりたくないくらいなのだが。
しかし、聞かないというのも怖いのだ。
嫌な方面にだが、彼女の動向がすごく気になってはいるのだろう。
「優勝を辞退したいんですけど、いいですか?」
注目する観客を前に、ベッケンバーグは狩り勝負の終了を宣言し。
予定通り表彰に移ったのだが、まさかの「優勝者なし」との発表に対し、観客の反応はすごかった。
しかし、ベッケンバーグもすごかった。
「――黙れぇぇぇぇ!!」
しばし怒声、罵声、ただの悪口、純粋な悪口、シンプルな悪口に晒されていたベッケンバーグが、「扇動者」全開で吠えた。
瞬時に静まり返る観客たちに、咳ばらいを一つ入れて話し出す。
「――不正にて失格である。内容は、ほかの狩人と協力して龍魚を狩ったのに、一人でやったと申告したこと。
冷静に考えてほしい。
あんな大きな魔物を、小娘が一人で狩れるだろうか?」
確かに、冷静に考えると無理がある。
あんな巨大な魔物を、少女が一人で仕留められるとは思えない。
「クロズハイトの狩人と共謀してやったと、彼女自身が自白した。だから不正と見なし失格である。
だが、彼女が龍魚を狩ったこと自体は間違いではないのだ。
それゆえ、繰り上げ優勝となるはずの二位がそれを固辞し、優勝者不在となってしまった。
以上が『優勝者なし』の簡単な顛末である。
私も残念だが、これは仕方がないことである」
静まっている観客に言い聞かせながら、しかしベッケンバーグは思っていた。
――我ながら苦しい理屈だが押し切るぞ、と。
「優勝を辞退したいんですけど、いいですか?」
テントの中で彼女がそう言い出した瞬間も、やはり不満の声は上がった。
「落ち着け、落ち着かんか」
ベッケンバーグはざわつく狩人たちをなだめる。
ここにいる全員が、龍魚を見ている。
龍魚についた傷の付き方を見る限り、大人数入り乱れての狩りではないのは明白だ。
狩りに参加した人数が多いほど、獲物に傷は増える。武器が一致しない傷なども多くなるものだから。相手が巨体であるなら尚更だ。
あの龍魚は、一人ではないかもしれないが、かなり少人数で狩られたものだというのはすぐにわかった。
実際できるかどうかは別として、「一人でやった」と言われれば納得はできる状態なのは確かだ。
「なぜだ? 優勝はいらんのか?」
また頭の痛くなるようなことを言い出した相性の悪いメイドに、どうしてか理由を問う。
すると、「この街の狩人のメンツが潰れるから」だの「自分はもうすぐこの街から去るから、優勝なんて名誉はいらない」だの、もっともらしいことを言う。
果たしてそれが本心なのかどうかはわからないが、大事な優勝者発表の場に優勝者不在という状況は、主催としてはできれば避けたい。
一番盛り上がるところで主役がいない。
イベントとして、これほどつまらないこともないだろう。
――だが。
――しかし。
「優勝者なし」となった場合のベッケンバーグの儲けは、かなり大きい。
まず、大っぴらに……いやむしろメインでやっていた、観客に向けた賭けだ。「優勝者不在」という予想を当てた者などいない。つまり親の総取りになる。ベッケンバーグの懐にダイレクトである。
いや、順位繰り上げがあるか?
いやいや、それは事前に決めていないし公表もしていない。
なので、なしでいく。なしで押し切る!
そうすれば、大金である優勝賞金の授与さえもなくなる。
「本当にいいのか? 賞金は出んぞ?」
「はい。――あ、賞金はいらないので、代わりに娼館街の支配人に掛け金だけは返してあげてくれませんか? 私の要望はそれだけです」
そういえば娼館街のアディーロは、このメイドにそれなりの金を掛けていた気がする。
掛け金を返す。
すごく嫌だ。
あのばあさんには、たまには軽く吠え面をかかせてやりたいが――しかしそこを優先して、メイドに「じゃあ優勝でいいです」などと舵を切られれば損しかない。
いろんな人間を見てきたベッケンバーグだが、このメイドは非常に読みづらい。
どう出るか予想もつかないのだ。あとかなり相性も悪いと思う。
駆け引きで引きずるのは得策ではない、気がする。
この提案を受け入れれば得をし、断れば損しかない――そう考えれば答えは一つである。
「よし、わかった。いいだろう。ではエルは辞退ということで」
「――順位繰り上げはないのか?」
「ない」
どこかから上がった声に、ベッケンバーグは即答する。
「考えてもみろ。あの龍魚を押しのけて順位繰り上げで優勝したところで世間は認めるか?
絶対にこう噂するぞ。『龍魚より劣っているのに優勝した幸運野郎』とな。
もちろん最初は誉め言葉とかやっかみやからかいもあるだろう。
だがそれは次第に重くのしかかっていくんだ。何をしても『幸運野郎』と言われ、バカにされてな。
今後もこの街で狩人をやっていきたいなら、今回は譲るべきだ。長い目で見れば返って損をするぞ」
この手の交渉は得意なベッケンバーグは、パッと思い浮かぶ「繰り上げはない」理由を述べる。
「――でも二位はよそ者だ。今後ここで狩人やってくかどうかわからんぞ」
ハリアチームの代表は、見覚えのない顔である。この街の狩人ではない。
「じゃあ本人に聞こう。繰り上げ優勝でいいか?」
と、ベッケンバーグは「行ける!」と踏んで、顔に出ている本人に聞く――かなり不機嫌そうな顔の少年に。
「譲られた優勝なんていらねえよ! 二位で結構だね!」
来た! 望み通りの答え!
「二位がそういうなら仕方なかろう。まさか三位を優勝に持っていくわけにもいかんしな」
なかなかの着地点である。
それも「ベッケンバーグは順位繰り上げの意思があった」ということを臭わせつつ「優勝者なし」を決定することができた。
これで、このテント内の裏事情を知る者に、悪印象は与えないはず。
ここでのやりとりが噂となって広まったとしても、ベッケンバーグの傷は浅い。聞き手によってはむしろ株を上げることになる。
狩猟祭りは次回もやりたいが、やれるかどうかははっきりしていない。
ならば今ははっきりした得を取る。
今は「納得いかない」という反感も強いだろうが、半年もすれば意見も変わってくるだろう。
愚民は忘れっぽい生き物である。
それに、こんなにも楽しんで、盛り上がったのだから。
「優勝者不在」というオチが付いたとしても、次を望む声は上がるはず。
――これでいいと納得し、ベッケンバーグは狩り勝負終了の宣言をしに、壇上へ向かうのだった。
そして翌日。
「じゃあ俺はここで待ってるね」
サッシュとリッセと一緒に、栄光街にあるベッケンバーグの屋敷に来たが。
今日はメイド服ではないいつものエイルなので、ここから先は行けない。
メイド姿のエルしか知らないベッケンバーグの前に出ても、「おまえ誰だ」状態にしかならないだろう。――いや、抜け目のない彼なら見抜くかもしれないが。
まあどっちにしても、優勝を辞退したエイルは屋敷に招かれていないので、ここまでだ。きっと通してくれないだろう。
「おまえにも言いたいことがたくさんあんだけどなぁ!」
吠えるサッシュに、エイルはやはり冷静に頷く。
「わかった。じゃあ早く言ってきなよ。セリエとフロランタンが待ってるよ」
たぶんわかってない。全然わかってない。
だがそれでも、待っている人がいると言われて、これ以上はやめておいた。あとで再開することにした。
「私も行きたくないんだけど。ベッケンバーグには会いづらいし、やっぱりここで待ってようかな」
色々と騙されていたことで不信感が強すぎるリッセはそう言うが、
「ダメだよ」
エイルはきっぱり言った。
「サッシュはバカで節穴だから。ちゃんとした人が付いてないと」
「おい」
「そうなのよね。こいつ絶対に騙されたり、なんだかんだ理由を付けて賞金を減らされたりするよね」
「おい」
エイルは「騙されたのはリッセだろ」とは思ったが、それは言わなかった。
むしろ騙されたことがあるからこそ出た言葉でもあるのだろうから。
「ちゃんとした人がいないと不安だから。リッセが付いててあげてよ」
「おい。おいって。おまえらおい」
「やっぱ仕方ないか……じゃあちょっと行ってくるね」
「待てこら。俺より先に行くんじゃねえ。待てよ」
スタスタ行くリッセを追うような形で、サッシュも行ってしまった。
――サッシュチームは、これから狩り勝負三位の賞金を貰いに行くのだ。
無法の国クロズハイトで、人前で大金のやり取りはできない。
だから「後日取りに行く」という形で受け渡しを行うのだ。
――昨日の晩、孤児院でメイドの少女エルがエイルであることを明かし、ついにサッシュがエイルの存在を知るに至った。
ちなみにその時点で、フロランタンにも事情を説明した。
一昨日の夜、狩猟祭り一日目に孤児院を訪ねてそこに泊まった「メイドのエル」が、実はエイルだった、と。
結果、ものすごく驚いていた。
正直ここまで驚いてくれるなら女装していた甲斐があったとさえ思えるほど、ものすごく驚いていた。迫真の「なんじゃこりゃぁぁぁ!!」は聞きごたえ抜群だった。
そして。
ようやくメンバーが全員集合したという記念と、サッシュたちに賞金が出るということで、これから五人でクロズハイト名物の焼肉に行く予定である。サッシュのおごりで。年長者ということで。
二人が屋敷に案内されたのを見送り、エイルは空を見上げて思案する。
――ソリチカの課題があるのでエイルは最後になるが、それでもブラインの塔に入るのはもうすぐだろう。
出立する準備は万全だが、何かやり残したことがないか、考えておいた方がいいだろう。
やり残したこと。
忘れたわけではないが、深夜に出会って屋根から落とされたあの仮面のヘンタイには、ぜひお返しがしたかった。
が、結局どこの誰かはわからなかった。
あれ以来影も形も見えないし、噂も聞かない。
昨日からサッシュが騒いでいるおかげで、まだリッセからアディーロの手紙を受け取っていない。
まあこれは今日中に済ませるつもりだが。
それから「素養封じ」の存在。
これは好奇心だけの話ではあるが、大切な「メガネ」を封じられるという可能性がある話である。気にならない方がおかしい。
パッと思いつくのはこんなところか。
ほかにもあるかもしれないが――しかし、目下最大級で気になっていることが一つだけある。
――結局ゼットは未だに帰ってきていない、ということ。
昨日の昼、捜索隊が出ているが、彼らは夜にはすでに戻ってきている、と聞いている。
あのゼットが魔物なんかにやられるとは全然思えないので、きっと今もどこかを彷徨っているのだろう。
森での迷子はつらいし怖い。
それを知っているだけに、エイルはずっと気になっていた。




