190.メガネ君と狩猟祭り 12
「――狩猟祭りに参加した方、集まってくださーい! 集合してくださーい!」
昨日に続き、今日も喧騒と歌声と音楽が鳴りやまない広場に、一際大きな声で呼びかけて回る数名の男女。
もう昼前である。
どうやら狩り勝負が終了するようだ。
「いってらっしゃい」
「うん。コートありがとう」
エイルはハイドラに借りていたコートを脱ぎ、昨日のメイド服姿となる。そしてメガネを外した。
これで、昨日最速で龍魚を狩った優勝者候補の到着である。
すぐに周りの人に気付かれ、指を差されたり握手を求められたりやっぱり尻を撫でられそうになったりして、囲まれながら移動していく。
子供たちの引率をしているほかの参加者たちも、ハイドラに子供たちを届けに戻ると、それぞれ集合場所へ向かっていった。
「――少し様子を見て来たいのだけど、この場を預けていいかしら?」
「――ええ、もちろん」
金髪のメガネ少女にあとを頼み、筆頭で「うちも行くうちも行くー」と駄々をこねる子とそれを真似する子供たちをなだめすかし、ハイドラは素早く移動する。
――龍魚を見に行くために。
観客たちが、集合を掛けられた狩人たちに注目しつつある今なら、近くで見ることができるかもしれない。
あとで遠目で見ることはできるかもしれないが、やはり近くで見たい。
できれば触ってみたい。
――いずれ龍魚を狩る機会があるかもしれない、とエイルに話したのは、嘘ではないのだから。
なかなかお目に掛かれない貴重な魔物を見る機会が、今ここにあるのだ。
決して逃したくはなかった。
どうやら表彰の場に持っていくつもりだったようで、ハイドラは倉庫から荷車で運ばれるところに間に合った。
遠目に、白い蛇のような頭だけが倉庫から覗き、陽を浴びて輝いている。
なかなか美しい外観だ。
今のところ見えるのは頭だけだが。
「――つーかあんた泣きすぎだし見すぎなんだよ! 昨日からずっと泣きながら見てるだろ! もういいだろ!」
「――うるせえ! おまえに俺の何がわかるんだ! 龍魚はなぁ……龍魚は! 俺の! 人生そのものだったんだよぉ!」
何やら、酔っぱらいと、これから龍魚を運搬するのであろう男たちの一人が揉めているようだ。
いや、揉めているというより、一方的に絡まれているらしい。
「――その前に、おまえも俺のことバカにしたよなぁ!? バカにしたことあったよなぁ!? 龍魚なんていねえのにバカなオヤジとか言ってたよなぁ!?」
「――それはもう謝っただろ! しつけぇよ!」
「――黙れ! こっちは二十年分の人生を龍魚のために棒に振ってんだ! 気が済むまで見せろ! まだまだ恨み言が言い足りねえんだ!」
なんだかよくわからないが、揉めているおかげで運搬が完全に止まっている。今のうちに見てしまおう。
幸い、狩人が集合を掛けられたおかげで、観客たちの大半も向こうに――これから表彰するであろう場所に注意が向いている。
今なら誰にも邪魔されず近くで見れそうだ。
「すみません。少しだけ近くで見てもいいですか?」
ハイドラは、酔っぱらいと揉めている男ではなく、それをつまらなそうな顔で見ていた男に声を掛けた。作業着姿なので、この男も運搬作業に関わる者だろう。
振り返った先に美人のシスターがいたので男は驚いたが、「少しだけなら」と許可を貰い、ハイドラは龍魚に近づいた。
――なるほど。顔は魚みたいだが、ドラゴンの鱗だ。
魚とは鱗の形が違うというのが一点。
まぶたを上げて眼球を確認して、獣のような瞳であることが一点。
確かにドラゴンの特徴はある。
それと気になるのは、長く立派なヒゲだ。
遠目に見ても鱗の生え方がギザギザしている一対のヒゲは、恐らく「雷髭」ではなかろうか。
違うドラゴン種の特徴なのだが、それと鱗の生え方や形状がそっくりだ。
雷髭は、雷を受けるために生えているものだ。
雷雲が立ち込めて雷が鳴り始めると、ヒゲを空に向けて立てて、雷が落ちるのを待つのだ。
恐らく龍魚は単純に電が好きか、雷を自分のエネルギーにすることができる器官が体内にあるのだろう。
ドラゴン種は飲食で身体を維持しない分、違うエネルギーで生命を繋いでいるのだろう。
まあ、もちろん、ほとんどは推測だが。
雷髭だって、それに似ているが違う器官でしかないかもしれない。
しかし、ハイドラの第一印象はそんな感じである。
額の辺りに布が詰めてあり、赤く染まっている。
あの傷が致命傷になったのだろうか。
――それにしても。
「かなり大きいですね」
頭でこれだけなら、全長はどうなっているのか。
美人シスターの横顔に見とれていた男は、上擦った声で答えた。
「おおお、大きいよ。すごく。大人が縦に十人くらい並んだくらいだから」
若干挙動不審だが、欲しい情報は貰えた。
大人が縦に十人くらい。
ならば、やはり、かなり大きい。
次は手触りを確かめよう――というタイミングで、終わりの時間がやってきた。
「――さすがにもう勘弁してくれ! これ以上遅れたら俺たちがベッケンバーグさんに怒られちまう!」
かなり悲痛な声が上がり、酔っぱらいもさすがにこれ以上食い下がるのは難しいと思ったようだ。「くそっ」とか「ふざけんなっ」とか言いながら少し離れた。
恨みなのかただの執着なのかはわからないが、相当思い入れが深いらしい。
――それから、荷車を三台使ってまっすぐにした龍魚が、ゆっくりと倉庫から出てくる。
長い。
形だけ見れば、巨大な白い蛇だ。
だがしかし、陽を浴びて眩いほどに輝くそれは、自然の造形の神秘を感じさせる姿だった。
無神論者のハイドラでさえ、神々しいと思えるほどに。
龍魚を見るという目的を果たしたハイドラは、子供たちがいる場所に戻る。
それから全員で、演壇が置かれ人払いをしている表彰場所に移動した。
子供たちを人だかりに入れるのは危ないので、少し離れたところで見守ることにする。
「――ハリア兄ちゃんが勝つよ!」
「――リッセお姉ちゃんとサッシュお兄ちゃんが優勝するよ!」
「――トラートラー!」
「――馬の串焼き食いたいんじゃがのう! うちにお金くれんかのう!」
子供たちは、大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんが勝つことを期待しているようだが。
龍魚を見てきたハイドラは、もうそれはないことを確信している。
いや、確信していると言えば、昨夜戻ってきた皆があまり狩り勝負の話をしたがらなかったので、それは当人たちもわかっているのだろう。
「――これにて、狩猟祭りを終了する!」
太鼓の音ともに終了を宣言され、自然と始まった拍手や口笛が広がった。
声も上がっているが、それに加えて拍手がある辺りに、客の満足度が現れている気がする。
ちなみに狩り勝負のイベントが終わるのであって、今日の夜まで祭りは続くことになっている。
回収班辺りの昨日からずっと忙しかった者たちは、これからがお楽しみである。
拍手の音が少し落ち着いた頃、主催者ベッケンバーグが演壇に上がる。
「――皆の者、よく飲み、よく食らい、よくこの祭りを盛り上げてくれた!
このイベントは間違いなく、諸君が各々大いに楽しんだことで成功したと言っていい!
主催として感謝する! ありがとう!」
そんな口上もまた盛り上がり、それからすぐに結果発表となる。
誰もが固唾を飲んで耳を澄まし、ベッケンバーグから告げられる優勝者の名前を待つ。
そして、誰もが龍魚を狩ったメイドの少女の名前を思い浮かべているだろう。
果たして結果は――
「――優勝者、なし!!」
…………
全員が唖然とし、言葉を失っていた。ハイドラも驚いた。
まさかの「なし」である。
龍魚を狩った少女――エイルの功績が、「なし」である。
苦労もしただろう。
準備にかなりの時間を掛けただろう。
実物を見てはっきりわかったが、命の危険もかなり高かったはず。
にも関わらず、「なし」である。
数瞬の後、それこそ雷が落ちたかのような怒号が響いた。
「――せ、静粛に! 静粛に!」
観客たちの怒声、罵声、ただの悪口、純粋な悪口、シンプルな悪口が、ベッケンバーグに襲い掛かる。
だが、彼はまったく動じていない。
それ自体はすごいが、なんやかんや投げつけられる物から彼を守る護衛が、かなり大変そうである。
怒号は全て「納得いかない」の声である。
「――ただいま」
「えっ」
今まさに「なし」と言われた張本人が、ちゃんとメガネの少年の姿で戻ってきて、ハイドラの横に立つ。
ちなみにハイドラは、子供たちと一緒にいる金髪のメガネ少女と忌子の少し後ろにいるので、面識のある二人はエイルが戻ってきたことに気づいていない。
「……なし、って言われているけれど」
「俺がそうしてくれって頼んだからね。不正で失格ってことにしてくれって」
なぜ、と聞くまでもなく、エイルは自分から言った。たぶん聞かれるだろうと思って用意しておいたのだろう。
「――よそ者が地元の連中を押しのけて勝っても、彼らのメンツを潰すだけだからだよ。
俺はここに定住しないから結果も名誉もいらないし。でも今後もここに住む人たちは違うから。負けたって事実が仕事に差し支えるから。
それに俺は変装してたから、汚名が付いても構わないしね」
理屈はわかる。
わかる、が。
「本当にそれだけ?」
もっともらしく聞こえるが、ほかに理由があるんじゃないのか。
辞退せざるを得ないような重大な理由が。
思わずハイドラはそう勘ぐってしまったが――その予想は当たっていた。
「ああ、うん。よくわかったね」
メガネの奥にある琥珀色の瞳が、ハイドラを見た。
「――目立つのが嫌なんだよ。人前に立つのも嫌だし。あと面倒臭い。だから辞退した」
それは、ハイドラには予想以上に、予想を下回っていた。
重要じゃない理由にしか思えなかった。
しかもさっきペラペラしゃべっていた「もっともらしい理由」より、よっぽど真実味を感じた。
「変装してるのに?」
「うん。それでも嫌だよ」
…………
そこで頷かれるんじゃ仕方ない。
きっと、本当に嫌なんだろう。
こうして、狩猟祭りは終わりを迎えたのだった。




