182.メガネ君と狩猟祭り 4
「――おまえらも今だったのか?」
「――にゃははー。おつかれー」
サッシュとリッセがこれからのことを相談をしていると、リッセのかつての仲間であり、ブラインの塔で再会を約束していた連中も戻ってきた。猫獣人は違うが。
サッシュたちの方が早かったようだが、そんなに差はなかったらしい。
「おう、俺たちも今だよ。……ってでっかい猿だな」
チラリと視界に入った巨大なその姿に、サッシュは驚く。
彼らと一緒に戻ってきた荷車に横たわっている魔物。
腕も首も身体も太い毛むくじゃらのそれは、非常に大きな猿である。
暗殺者の村にいた時に狩った鉄兜より上背はないかもしれないが、代わりに横に大きい。
率直に言うとずんぐりむっくりという体格だが――驚異的なのは、その太い手足や身体は、非常に分厚い筋肉だということだ。決して無駄な贅肉でも長い毛足でもない。
筋力の比率だけで言えば、鉄兜よりよっぽど力も強く打たれ強いはずである。
「――金剛大猿だ!」
続けざまに届けられた大物に、広場は更なる盛り上がりを見せ。
話ができる状況じゃないので、少し場所を移すことにした。
灰塵猫二頭の引き渡しが終わり、これでようやくサッシュチームの狩り勝負は完了である。ちなみにリッセはただのチームメンバー扱いだ。
通常は一頭のみの提出だが、二頭いた方がインパクトがあるから貸してくれとのことで、そのまま預けることにした。
灰塵猫は簡単には狩れない強敵であり、また少し珍しい魔物でもある。
売ればかなりのお金になるので、回収はするつもりである。
それはそれとして、だ。
「今行っても無理じゃねえか?」
リッセが一つの倉庫を指差して、あそこにいる魔物が見たいと言えば。
サッシュは倉庫から溢れている人込みを見て、思いっきり顔をしかめた。
確かに、今行ってもすぐには見られないだろう。
じき陽が落ちる。
夜になってからの方が、待ち時間も少なくて済みそうだ。何も焦ることはないだろう。
だったらこれからどうするかと話していると、別枠で参戦していたブラインの塔から来ているハリアタンのチームが戻ってきたのだった。ちなみに彼が代表である。
合流し、話ができる場所まで移動してきた。混雑が及ばない広場のはずれである。
「とりあえず風呂じゃねえ?」
ハリアタンの提案は妥当と言わざるを得なかった。
全員が汚れまくっているし、汗も掻いている。
風呂に入れないまでも、汗を流したり着替えたりしてすっきりしたい。
「げー」
濡れるのを極端に嫌う性分である猫獣人トラゥウルルが唯一気が進まないという様子だったが、更には綺麗好きという性分も兼ねているおかげで反対はしなかった。なかなか難儀な性分の持ち主である。
「――リッセ」
普段は物静かで、整った顔立ちと貴族のような……いや、童話で語られる王子様のような気品溢れるエオラゼルが、リッセの耳元で囁く。
「――君と一緒に入りたいな」
「鬱陶しい。じゃあお風呂行こうか」
黙っていれば完璧なのにしゃべれば残念な男をぴしゃりとシャットアウトし、一行はひとまず風呂に行くことにした。
こんなことも予想していたようで、主催側が用意してくれていた高級宿で風呂を借りて下着等の支給品を貰い、汗や汚れを落として改めて広場にやってきた。
サッシュも、もう今日の訓練は諦めたようで、少し一緒に回ることにしたようだ。
陽は落ち、すっかり空は暗くなっている。
広場の賑わいは相変わらずだが、いいかげん飲み過ぎでダウンする者が続出しているようだ。主催側の人たちにどこかへ引きずられていく人がちらほら見える。
が、それでもまだまだ祭りは終わらないとばかりに、混雑を形成する人は帰らず誰かの歌声は止まらず音楽は鳴りやまない。
昼から狩りに出ていた五人は空腹である。
まずは屋台で食べ物や飲み物を購入し、様々な見世物屋や催し物を見て回った。
そんな時、やたらと漏れ聞こえる声がある。
「なんかみんな龍魚龍魚言ってねえか?」
酒も食い物も催し物もしっかり堪能しているハリアタンだが、さすがに暗殺者候補生として選ばれているだけあって、全体的に浮かれているようで冷静な部分も残してあるようだ。
「にゃははー。あたしも聞いたー」
そのハリアタンと一緒になって浮かれまくっていたように見えたトラゥウルルも、同様であるようだ。
つまり、全員が聞いているということだ。
そこかしこで語られている「龍魚を狩った者がいる」という噂を。
「龍魚ってなんだ?」
この辺の魔物に詳しくないサッシュ、狩り勝負参加を予想しておらず情報を仕入れる余裕がなかったリッセにはわからない。
狩った魔物も、馬と豚以外を狙った結果でしかない。
恐らく魔物の名前である、というのはわかるが。
そして派手に噂が飛び交っているなら、相当珍しいか強敵であるか、そのどちらかであるか、といったところか。
なかなか狩れない魔物なのだろう。
「俺も名前くらいしか知らねえな。珍しいのは確かなはずだが。エオラ、知ってるか?」
しゃべれば残念な王子様は、話を振られて口を開いた。――トラゥウルルの耳元で。
「とても珍しい魔物だね」
耳元で囁かれたせいで「うひぃ」と悲鳴を上げたトラゥウルルは、リッセの後ろに逃げた。
彼女らは今日が初対面なのだが、人懐っこい猫獣人なので、一緒に風呂に入った時間を過ごしただけでだいぶ仲良くなったのだ。
逃げられたエオラゼルは少し残念そうな顔で続けた。
「僕も図鑑に載っているのを見ただけだから、詳しくは知らないよ。ただ、外観は真っ白な美しい海蛇のようだ、と記してあった。
はっきりわかっているのはそれだけかな」
龍魚。
ドラゴン。
魚。
そして海蛇。
「結局なんなんだ?」
サッシュ同様、一同わからないままである。
情報が混線している。ますますわけがわからない。
「つーかよぉ」
と、ハリアタンが少し真剣な顔をする。
「俺たちの優勝は、ないのか?」
サッシュ・リッセチームとハリアタン・トラゥウルル・エオラゼルチームは、大物の魔物を狩り日没前に戻ってきた。
これはかなり早いし、狩った獲物も優勝を狙える範疇にある。
彼らの前に達成したチームも、三チームだけ。
そのうちの一チームは大きめの魔豚で、参加人数は四人だったそうだ。
それ以上の情報はわからない。
たぶんその辺に聞けばわかるとは思うが。
なんなら聞いてみようかと意見が出そうになるが、しかし――
「ないよ」
リッセははっきり言った。
「優勝はない。絶対にない。私たちはもう負けてるから」
なかなか衝撃的な発言だった。
特に、リッセが言ったという事実が。
ハリアタンとエオラゼル、ついでにサッシュも知っている。
リッセは強い。
このメンツで言えば一番強いだろう。
更には、ハリアタンたちが育った施設では、リッセは常にトップの成績をマークしていた。
彼女が負ける姿はほとんど見たことがなかったし、誰かに挑まれた勝負から逃げることもなかった。
そもそもリッセがハリアタンたちとは別のルートでクロズハイトにやってきたのは、彼らとリッセの実力が離れすぎていたからだ。
リッセは誰よりもずっと先を行っていた。
そんな彼女が、はっきりと負けを認めたのだ。
「速度、狩った魔物、人数でも負けた。すべての要素でもう負けたよ」
リッセからは聞きたくない言葉でもあったが――しかし事実なのだろうというのは、もう全員がわかっている。
「そろそろ龍魚を見に行こうか」
と、リッセは誰の返事も聞くことなく、ずっと気になっていた倉庫へ歩き出す。
「――今は多くは言えないけど、私たちと同年代の子が狩ったんだよ。すべてにおいて私たちを上回ってね」
夜でも多少の順番待ちをして、ようやく対面できた龍魚という魔物を見て。
リッセは、悔しいけど、やっぱりちょっと誇らしかった。
――これが本気のエイルの実力。私の友達でライバルなんだ、と。