176.メガネ君、覚悟を決めてゼットと向き合う
「――出場者は集合してくださーい! 集合してくださーい!!」
喧騒や音楽に負けないよう、張り上げられた野太い声が聞こえた。
そろそろ出番のようだ。
空を見上げれば、広がる青空に陽が高い。気が付けばもう昼に近いらしい。
どうやら立ち聞きに長居してしまったようだが、その甲斐あっていろんな情報が集まった。
果たして役に立つのかどうかはわからないが、無駄な時間を過ごしたとは思わない。
どこで何が繋がるかなんてわからないのだから。
……まあ率直に言うと、あんまり役に立たなそうだけどね。
「お先ー」
なんだかんだとだらだら話をしてしまった虎獣人の少女は、素早い動きで人込みに紛れて消えてしまった。
さすが獣人、性格も軽ければ身も軽いか。まあ性格は固有のものかもしれないけど。
…………
ああいうのは付き合いやすいんだよなぁ。
踏み込んでこないし、負担になるような重い話もしないし、面倒な頼み事もしなかったし。
代わりに、信頼のおける関係にはなれないかもしれないけど。
まあ、どうでもいいか。
きっとブラインの塔で再会するだろうけど、その時はその時である。
俺もそこの屋台の壊王馬の串焼きを購入して、呼びかけている声のする方へ行ってみよう。
――おっと、忘れていた。
ここから先は、「メガネ」はなしだ。
かつては、こんなにも見えないぼやけた世界で生きていたのかと軽く驚きながら、串焼きを購入して移動する。
こっちの馬の串焼きも、俺の知らない香草が混じったスパイスが掛かっている。うーん、なかなかうまい。
肉の表面は焼けているのに、中は赤い。やっぱり馬は焼き過ぎないのがポイントのようだ。
「メガネ」のありがたみを痛感しながら移動し、ぼやけた視界の中に、武装した連中がたむろしている場所が入る。
どうやらあの辺に集まればいいようだ。
でも混じるのは嫌なので、少し離れたところで見ていることにしよう。
何せ屈強で大柄で乱暴そうな連中が何十人もいるのだ。
あんなところ行きたくない。
なんというか、王都でうんざりした冒険者ギルドっぽい雰囲気がある。あそこは冒険者ギルド感が強すぎる。
「俺たちが勝つ」だの「いいや俺たちだ」だの「誰にも負けるものか」だの「病気の妹と約束したんだ必ず勝つ」だの「賞金がないと恋人の病気の治療ができないだから勝つ」だのと。
ざわざわ盛り上がっている連中は、しかし――急にしんと静まり返った。
何事かと見れば、やたら身体にタトゥーを入れた目立つ青年の姿が見えた。
「――どうしたどうしたぁ? あぁ? おしゃべり続けていいんだぜぇ?」
来た。
ついに奴が来た。
たった一人の出場者がやってきたことで、元々緊張でピリピリしていた一帯が、一触即発というほど危ない雰囲気にランクアップした。
ゼットだ。奴が来たのだ。
しかもすでに裸で、タトゥーだらけの身体を晒している。
俺にはわかる。
あいつが服を脱いでいるなら、確実に戦闘態勢に入っている。いつでも仕掛けられるし、迎え撃つ準備もできているのだ。きっと。
「――ハッ! どいつもこいつも一度はぶっ潰したことがあるツラばっかだなぁ? クソ溜めの負け犬どもが集まって楽しそうだなぁ?」
うわあ……何十人もいる武装した連中相手に、一人でケンカ売ってるよ……
ああやだやだ。怖い怖い。関わりたくないなぁ。
「……あ?」
…………
……目が合った……
イラ立つどころか殺意さえ向け始めている狩人たちを、面白そうに笑いながらぐるりと見回すゼットと、目が合ってしまった。
目が合っただけならいいが。
問題は、奴の目が、確実に俺に向けられたまま止まったことにある。
――くそっ! 「メガネを外せば誤魔化せるんじゃないかいや誤魔化せる!」作戦は、失敗か……っ!
「これはこれは。珍しい場所で会ったなぁおい?」
うわ、こっち来やがった。
相変わらず理性を感じない危ない目をしているな……ああ、プレッシャーが重い。初めて魔物を狩ろうと決めた時より嫌な汗が出ている。胃が痛くなりそうだ。
しかもサッシュよりチンピラ感は圧倒的なくせに、節穴じゃないだと? もしかしたら見た目によらず頭のキレも悪くないのかもしれない。
よし落ち着け。
落ち着いて行こう。平常心だ。
これで事前にゼットが来ることは知っていたんだ、心の準備はできている。
「なんのことでしょう? 人違いでは? ええそうですとも絶対に人違いですとも」
「そのふてぶてしい返答は間違いねぇだろ」
……墓穴を掘ったか。
まさかいつも通りの平常心が墓穴を掘るとは……
「相変わらずふざけた女だなぁ? あぁ? 狩りの前に決着つけるかぁ?」
まあいい。
この流れも想定はしていた。
「お久しぶりです。あの夜以来ですね」
こうなってしまったら、俺の都合のいいように話を持っていくしかない。
「ああ。会いに行く予定はあったが忙しくてなぁ。もしかして待たせちまったかぁ?」
いいえ全然待ってません。むしろ来るなって思ってましたよ。強く思っていましたよ。
「あの夜も言いましたが、まともにやってもあなたが勝つだけで、面白くもなんともないですよ。準備運動にもならないかと」
「はぁ?」
ただでさえ危ないゼットの目が、更に狂気を帯びる。
「てめえ何個も『素養』持ってんよなぁ?」
――あ、その話はダメだ。
俺は一歩前に出て、ものすごい至近距離でゼットの目を睨みつけた。
「それ以上私の話をしたら、あなたの『なんとか喰い』のことをバラしますよ」
この流れも想定していたとも。
――もしゼットが「俺のメガネ」に関して何か言うようなら戦うしかない、と。
ぶちのめして黙らせるしかない。
今度は死に物狂いで戦う。
ゼットが「魔鋼喰い」を本気で使いだす前に、叩き潰す。そう決めていた。
だって「俺のメガネ」のことを多くの者に知られたら、それこそ今後の俺の命に関わるのだから。
確実に、今が命の張り時だ。
今動かなければいずれ必ず手詰まりになる。
――覚悟は済んでいた。でもこんな時が来ないことを願っていたけどね……