174.メガネ君、悲報に心が折れかける
リッセと別れたあと、少し早いが狩り勝負のスタート地点となる広場へやってきた。
ここらは鍛冶場街の一角になる。
前に見た時は何もない開けた場所だったはずだが、今日はイベントとあって、こう、ぎっしりという感じだ。
食べ物と酒を出す屋台。
軽快な音楽に歌い踊る人たち。
すでに出来上がっている酔っぱらいどもの揉め事やケンカや殴り合いと、祭りとはこういうものだと言わんばかりの喧噪である。
うーん。
正直圧倒されるな。
見渡す限りの人、見渡す限りの大騒ぎだ。
ここクロズハイトが特別なのか、それともそれなりの規模の街や国ではこれくらいのものなのか。
故郷アルバト村の慎ましやかな祭りや宴しか知らない俺には、こんなにも大規模かつ異常な盛り上がりを見せている祭りは初めてである。
もちろんというか当然というかあたりまえというか、あの混雑に混じりたいとは一切思わないが。
騒ぎから少し離れた場所で様子を見ることにしよう。
――様子を見る、と言えば。
狩り勝負に出るのだろう武装した連中と、すごく大っぴらに賭けの相場を話している連中が気になる。
武装した連中は、まあ、出場するつもりなのだろう。俺と同じように、少し輪からはずれて集まっている。
もちろん狩り勝負に出る以上、これから魔物と戦うだのなんだのと荒事が控えている。いわゆる仕事前なので酒は入ってない……と思う。見る限りでは。
かなり酒を出す屋台を気にしている雰囲気はあるけど。
規模はまちまちだけど、四人から五人くらいのチームが多いみたいだ。
一番人数が多いのは十人くらいの集団である。大物を狙うつもりなのかもしれない。
……対して一番少ないチームは、俺かな。
もしかして一人で出るのは俺だけなんじゃなかろうか。
次に、相場の話をしている連中。
あれは恐らく、相場屋とか予想屋とかいう奴らだろう。
独自の情報や分析などを売って、小銭を稼いでいる胡散臭い連中だ。
でも何を話しているかはちょっと気になるので、彼らの話が聞こえる場所まで移動してみよう。
さりげなくちょうどよさそうなポジションに移動すると、先客がいた。
「……」
壁に寄り掛かって腕を組む獣人の少女が、ニヤニヤしながら立っていた。耳がすごいピクピク動いている。
たぶん虎の獣人だと思う。
好奇心が強いのか緑掛かった金の瞳はキョロキョロ動き、虎のような金色の短髪に黒い柄が混じり一見すると結構派手だ。
飾りもののように垂れているシッポも本物だろう。
同い年くらいだとは思うけど、獣人はあまり見たことがないから正確にはわからない。
案外想像より年上だったり、意外と年下だったりするかも。
……あれ? でも虎獣人にしては小さいかな?
確か、いつか師匠が「虎獣人は俺と同じくらいか、それ以上に大きいのが普通なんだぜ」とか言っていたのを覚えている。師匠は熊みたいな大男だから、相当なものである。
結構大きいみたいな話を聞いたことがあるんだけど、あれは俺より小柄だな。
これから大きくなるんだろうか。
大きくなる途中の過程のやつなんだろうか。
……まあ、その辺はいいか。
それより、たぶんあれは俺と同じ目的だな。
相場屋から漏れ聞こえる声を拾って情報収集してるんだろう。耳がすごい動いてるし。
だったらお邪魔してもいいかな。
「失礼」
と、俺はするりと虎獣人の少女の横に付いた。
「にゃは? だれー?」
「お気になさらず」
情報収集をしているのなら、彼女も狩り勝負に出る可能性が高い。こっちの情報を漏らすわけにはいかない。
何せ、強いしね。
俺に気づく前の彼女の数字でさえ一桁だったし、俺を認識した今は「1」である。
俺には不意打ちでも倒せない相手だ。
虎獣人の少女も、俺が来た目的が自分と同じであることを察したのか、それ以上は何も言わず、また耳をピクピクさせて情報収集に戻った。……耳の動きが聞いてるの丸見えになってるけどいいのかな。
まあいいか。俺も耳を傾けてみよう。
「――マールとジダンが手を組んだ! 優勝は絶対にあいつらだ!」
「――この街一番の狩人である“剣巧のジーノ”が出るんだ、絶対に奴が勝つ!」
「――速報! 速報! 娼館街からの刺客“破断のセヴィアロー”と“壊滅のタイラン”が参戦!」
「――更に速報! ベッケンバーグ氏の護衛を務める虎の子ジャスティス兄弟も参戦!」
ふむ。
この辺で個人名が出てくる人は要注意だな。
名前だけ覚えても顔が一致しないから、どこまで役に立つかはわからないが、でも一応覚えておこう。
えっと、マールとジダンと、ケンコーのジーノ?
セヴィアローお嬢様とタイランは知っている。実力は知らないけど。
でも、あの二人はかなり強いだろう。
何せ娼館街を納めている荒事部門は、確実にあの二人が中心になっている。弱くてはやってられないし話にもならない。
あと、ベッケンバーグの護衛というと、彼の後ろであの冷めた顔してた人たちだよな。
あれもやる気なさそうでしっかり仕事はしていた。相当強いはずだ。
そもそもベッケンバーグは、役立たずを傍に置くほどの無能じゃないから。
「――“馬殺しのサッシュ”はどうだ!? 突如現れた腕利きの若者!
ジダンだろうがジーノだろうが手も足も出なかった、あの女王を仕留めた男だ!」
お、知ってる名前。
というか身近な名前出た。
思えば、サッシュが発端なんだよな。
この大掛かりになってしまった狩り勝負のさ。
まったく面倒なことを……と言いたいところだが、その辺の感想はすっかり変わった。
黒皇狼の牙のナイフが、想像以上に素晴らしいものだったから。
もしこの狩り勝負がなければ、間に合わせのナイフを購入して、牙の加工はかなり後回しにしてしまったかもしれない。掛かる費用も高かったし。
しかも嬉しい誤算があった。
タツナミじいさんの「素養」でナイフに自然治癒効果が付いた。
これはこのクロズハイトでしか作れなかった。ほかの鍛冶師ではダメだったのだ。
むしろタダでいいわけがない、という意識さえ生まれるほどの大誤算である。
巡り巡ってこんな結果に繋がるとは思わなかった。
本当にただの偶然の産物でしかない結果ではあるが、しかしそれでも、サッシュにはちょっと感謝である。
俺のことを勝手にタツナミじいさんに話していたことを、許してもいいくらいだ。
「ねーねー」
「…? 何か?」
隣の虎獣人の少女が笑顔で声を掛けてきた。というか、このニヤニヤ顔はどうも地っぽいな。
「サッシュ、あたしの友達ー」
…………
自慢げに何を言うかと思えば、耳を疑う言葉だった。
ほう。
ほうほう。
ああそう。あーなるほど。
道理で強いと思えば、そういうことか。
つまり彼女も暗殺者候補生の一人ってことだ。
サッシュとはブラインの塔で会って、仲良くなかったんだろう。
――「奇遇だね俺もだよ」とでも返したいところだが、何も言わないでおこう。
しばしこのまま情報を集めようかと思った、その時。
この場のすべてがざわめき戸惑うような、あまりにもひどい悲報が一陣の風のように吹き込んだ。
「――大変だ!! あの“悪ガキのゼット”が受付にきやがった! 奴が参戦するぞ!」
…………
……えー……嘘だろおい……
…………逃げちゃダメかなぁ?
……ダメだろうなぁ……
アディーロばあさんの手紙は百歩譲るとしても、ナイフの出来が良過ぎた分だけタツナミじいさんの顔は立てたいからなぁ……
…………
あいつ出るのかよ……会いたくないなぁ……