172.メガネ君、ナイフを眺めてニヤニヤする
「――狩猟祭り出るんでしょ? 何狙うつもり? 魔豚?」
ちょうど屋台でその魔豚の串焼きを買ったところで、リッセはこれからの予定を思い出したようだ。
魔豚というのは、クロズハイト周辺に住んでいる魔物である。
壊王馬と並んで一般的な食肉とされていて、俺がアディーロばあさんの屋敷で食べていたベーコンも魔豚のものだ。
図体は大きいが非常に臆病で、人を見たらとにかくひたすら逃げるという、野生動物より警戒心が強い魔物だ。
正直俺は、攻撃性を持たない魔物がいると聞いて、かなり驚いた。
すぐに逃げる刺歯兎だって、相手が自分より弱いと判断すれば向かってくるのに。魔豚は必ず逃げるらしい。
「狩猟祭りのルール、知ってる?」
「えっと……今日の昼から明日の昼までの丸一日を使って、三つの要素で採点するとかしないとか、そんな感じのだよね?」
そうそう。
どうも回数だの種目だのを増やす的な話も出ていたが、主催であるベッケンバーグは、最終的には大掛かりなもの一本だけに絞ったようだ。
「三つの要素で採点して、一番点数が高かった人が優勝。
要素は、狩猟した速度、仕留めた魔物、参加人数の三つ。
要するに、大物を少人数で早く仕留めたら高得点ってルールだけど」
……それにしてもうまいな、魔豚。
熟成された肉の柔らかさも然ることながら、肉を覆うほどまぶしてある香草が混じった大粒の塩が非常に良い。
全部俺が知っている香草や薬草で作られたスパイスで、不思議な口当たりと後味が残る。再現できるかどうかはわからないけど、何が使われているかは覚えておこう。ただ塩を振るより風味豊かである。ぜひストックしておきたい。
「簡単に言うと、魔豚や壊王馬といったよく見る魔物じゃ点数は低いってことだね」
優勝を狙うなら、珍しい魔物か、強敵と恐れられている大物の魔物を仕留めるか、って感じだ。それも手早く。
「ふーん。じゃあ何狙うの? というか丸一日でなんとかなるの?」
ああ、そういえばリッセと一緒に魔物狩りに行ったことがあったな。
ハイディーガから暗殺者の村に移ってからは、何度も一緒に狩りをしたけど。
でも二人きりってのはなかったし。
そもそも彼女との魔物狩りで印象深いのは、やっぱり白亜鳥を狩った時のことだし。
あの時俺が手伝わされたのも同じ理由だったな。
とにかく見つけるのが大変なんだよね。魔物って。
「ここ一週間くらい、クロズハイトでは狩りが禁止になってたから。多少は狩りやすくなってるはずだよ」
元々ここらも魔物が多いみたいだからね。
いつもより見つけやすくなっているのだろう。
まあこの辺は、クロズハイトの住人の方が俺よりよっぽど詳しいはず。ベッケンバーグ主導でうまく調整してあるんだろう。
「ちなみに、狙う獲物はもう決めてるよ」
狩猟祭りの準備が進みだしたこの一週間、アディーロばあさんの護衛や用事の合間を縫って、下調べと準備はしてきた。
狩場となる場所の下見もしたし――その過程で、もう狙う獲物を見つけてある。
「へえ? 何を狙うの?」
「それはあとのお楽しみ」
「ほほう。もったいぶるね」
まあ、さすがにね。
そろそろ鍛冶場街に近づき、参加者と思しき武装した連中がちらほら見えだしたからね。
さすがにここで具体名は出したくないよね。
これは断片を聞かれても困る話題だし。
「――あ、リッセ。さっきの屋台で、串焼きもう一本買ってきてくれる? 君の分も出すから」
「は?」
「その間に用事を済ませてくるよ」
「ああ、そういうこと。じゃあこの辺で待ってるね」
リッセに小銭を渡し、そこで一旦別れた。
よし、急いでタツナミじいさんの店に行こう。
「――おう、待ってたぜ」
今日タツナミじいさんと会う約束をしたのは、工房ではなく店の方である。
所狭しと武具がたくさん詰まった店の奥、以前おばあさんが座っていたカウンターに、今日はタツナミじいさんがいた。鍛冶仕事に使う器具のようなものを磨いていたようだ。
「ナイフはできてるぜ」
お、間に合ったのか。
タツナミじいさんはドン、とカウンターに白い刃のナイフを出した。
……おお……これが……!
握る柄の形や大きさ、刃の造りさえ、重さも俺に合わせた特注品である。
真っ白な刃は、金属製の刃物に負けないほど鋭利で光沢があり、そしてかなり軽い。脆いんじゃないかと不安になるくらい軽い。
「持ち手は幽霊樹、留め具は壊王馬の骨で仕上げてある。
刃や留め具……目釘っつーんだが、これらが駄目になるより先に持ち手の柄がイカレるようになってる。
つまり、刃が折れるほどの負荷は最初から掛からないように仕上げてある。
……ってことでいいんだよな? 幽霊樹の持ち手はてめぇの注文だ」
もちろん。
しなやかで柔軟性があり、弓によく使われる幽霊樹の材質は、俺にとっては一番馴染み深いものだ。
広く生息しているから、スペアを探すのも楽だしね。
「前に言ったよな? これは一生物の逸品だ。
持ち手が壊れることはあっても、刀身が折れたり欠けたりってのは滅多にない。ある程度の傷や刃こぼれなら勝手に治るしな」
……ん?
「勝手に? 治る?」
言葉の意味がわからなかった。
なんだろう。
黒皇狼の素材にはそういう不思議な力があるのだろうか。そういう武具もあるとは聞いたことがあるけど。
「秘密だぜ? 俺の『素養』だよ。
俺が手掛けた武具……まあ正確には細工物だが、それには自然治癒力が宿るのよ。
根本的かつ壊滅的な損傷は無理だが、小さな傷や金属疲労なんかは、時間が経てば勝手に治るからよ」
うわ、さらっと話したな。
しかし、そうか……さすがは鍛冶場街の支配者の「素養」。やはりそっち方面に特化したものを持っていたようだ。
「あ、でも、その光沢な。それは魔核の粉でコーティングしたものだ。
だいたい普通に使って一年周期くらいではがれ落ちていく。はがれれば切れ味が落ちるんだ。
それは近場の鍛冶屋に見せて張り直してもらえ。それなりの腕があればコーティングくらいはどこの鍛冶師でもできる。
普通は研磨して切れ味を戻すんだが、それは素材が固すぎていけねぇ。乱暴に削ろうとすれば刃が痛むぜ。気を付けな」
なるほど。コーティングか。忘れないようにしないと。
……俺だけの一生物のナイフかぁ。嬉しいなぁ。これは嬉しいなぁ。興奮するなぁ。
「おい。そろそろ次の話、いいか?」
……えっ、あ、そうか。次の話か。
どれくらいナイフを眺めてニヤニヤしていたかわからないが、あきれ顔のタツナミじいさんに言われて、いい加減ナイフをしまった。あとで人知れずニヤニヤすることにしよう。
「で、次は狩りの道具を貸してくれって話だったな?」
その通りだ。
だから俺と会う場所を、武器がある店にしてもらったのだ。もし不足分があったらここで探せるように。
今回弓は使えない。
でも、狩猟用の武器は必要だ。ナイフは……どんなに切れ味がよくても、やはり魔物相手にはちょっと不安だし。
そういう事情で、タツナミじいさんに貸してもらう約束をしていた。
賭けの本題に関わるので快諾してくれたのだ。
「てめぇの注文は、これだ。大きな銛を三本でいいんだったな?」
タツナミじいさんがカウンターに置いたのは、短槍のように大きい大型の銛である。
それら一本一本を確認する。
新しく造ったのか、ここにあったもので間に合ったのかはわからないが、注文通りのものである。
錆一つなくぴかぴかに磨かれているし、ロープを結ぶ輪の部分もしっかりしている。
細部をチェックし、俺は頷いた。
「これで充分。借りるね」
矢筒のような入れ物も借りて、銛を背負う。ちなみに入れ物には蓋が付いているので、周囲から中身を隠すこともできる。いいねこれ。
「おう、てめぇそれで何狙うつもりだ? まさか豚じゃねぇよな?」
わくわくが顔に出ているおじいさんに、俺はリッセにも言ったこの言葉を送った。
「――あとのお楽しみだよ」