170.メガネ君、答え合わせをする
「――エイル」
彼女を見た瞬間、「ああなるほど」と思ってしまった。
そうか。
もう預けてある、か。
俺を知っていてアディーロばあさんとも関わった者が、一人いたよね。
「人違いでは?」
「カツラ、ズレてるよ?」
「地毛なのでズレようがないのですが」
「スカート捲って確認するけどいいよね? 違ったら謝るからさ」
…………
まあ、この期に及んで誤魔化す理由も、あんまりないか。
「久しぶり、リッセ」
「なんの問答だったのよ。この程度で認めるなら、最初からすっと認めればいいじゃない。すっと」
まあその通りなんだけど。
「リッセとはできるだけ他人でいられたらいいなと思って」
「無理だから諦めたら?」
うーん。軽くあしらわれたなぁ。割と怖いセリフで。
娼館街から大通りに出た。
いつもそれなりに賑わっている狭い大通りが、今日は狩猟祭り当日ということで、かなりの盛り上がりを見せていた。
なんでも、街の外から遊びにきた人も多いらしい。
よく見れば、仕立ての良い服を着た人と、そのお付きの護衛らしき強者の姿もちらほら見える。
外部から来た貴族だの金持ちだのも、たくさん混じっているかもしれない。
歩くのも大変そうなこの人込みを見る限り、イベントとしては大成功なんじゃなかろうか。かなりの経済効果が期待できそうだ。
まあ、一切俺の利益にはならないけど。
さて人込みに紛れてしまおうと足を出した瞬間だった。
「エイル」
名前を呼ばれ、振り返ると、娼館街の入り口を告げる看板の下で、壁に寄り掛かって立っているリッセがいた。なんて場所に立ってるんだ。誤解されても知らないぞ。
挨拶代わりのひと悶着を済ませ、人込みに紛れて話ができなくなる前に、最小限の情報を交換しておく。
「君も娼館街に来たんだ?」
アディーロばあさんが言っていた「もう預けてあるから、受け取れ」といった言葉の意味は、リッセのことだろう。
俺の名前を知っていたのも、彼女からの情報……という可能性は低いか。
サッシュは無自覚のおしゃべりだが、リッセはその辺はちゃんとしている。
元々暗殺者として育てられてきたらしいから、守秘義務だの情報漏洩だのには人一倍厳しいのだろう。
――後に聞くが、読み通りリッセは俺の個人情報は一切話していなかったそうだ。
不覚があったとすれば、あのレストランでリッセが半信半疑ながら俺の名を呼んだことを、アディーロばあさんが覚えていただけのこと。
俺のリッセへの態度なんかでも、おばあさんはピンと来たのだろう。
この二人は知り合いだ、と。
それにおばあさんは、俺が男であることを知っているからね。
女装した俺の姿に怪訝な顔をするリッセを見て、「元の姿と違うことに戸惑っている」と結論づければ、やはり俺とリッセは知り合いだという信憑性が生まれるからね。
「他に行く当てもなかったから。サッシュとセリエ、フロランタンの無事は確認したけど……あ、接触はしなかったんだけどね」
それは、ベッケンバーグに「俺たちが殺された」と騙されていたデマの確認作業である。
やはりリッセは自分の目で確かめたようだ。
「あとはエイル、あんたの確認ね。
でも、あんただけはどうしても見つからなかったから」
だから、コネができた娼館街の支配人に情報を求めて接触した、と。
「というか、後から考えたら、やっぱりあの時のメイドがあんただったんじゃないかって。だからもう一度あんたに会いに行ったわけ。
今度は変装でもなんでも強引に暴いてやろうという気持ちでね」
はあ、なるほど。
「で、俺と会わせることを条件に、あのおばあさんに何かさせられてたんだね?」
リッセが来ていたことを、俺はまったく知らなかったから。
だったら、俺の知らないところで、アディーロばあさんはリッセを便利使いしていたとしか思えない。
「そう。会わせる代わりに一仕事してくれって言われて」
やっぱり。
あの人、結構悪いからね。ただでは何もしないよね。
「ちょっと癪に障るんだけど、ベッケンバーグが盗まれたっていう宝石だの骨董品だの家財だの、お金はともかく物品は探してほしいって言われたの。
昨日の今日なら、まだ追いかけられるからって」
へえ。
「ゼットたちに盗まれたやつだね?」
「そうそれ。で、散々走り回って探して、必要なら交渉して、回収作業をしていたってわけ。昨日までね」
なるほど。
夜のレストランで会って以来、どうしているかわからなかったけど、リッセはそんなことをしていたのか。
案外ブラインの塔に到着しているかと思ったけど、まだみたいだね。
「それで、回収できたの?」
「ある程度は、って感じ。
恐らくゼットの仲間だと思うけど、帽子の女の子とコートの男にかなり妨害されて、追跡困難になった物も多かったけどね。
たぶん三割くらいは取り戻せたんじゃないかな」
取り戻せた、か。
たぶんアディーロばあさん、それらをベッケンバーグに売ると思う。ただで返しはしないだろう。
だから、厳密にはまだベッケンバーグは取り返してはいないんじゃないかな。
アディーロばあさんにとっては、ただの他人の盗品の回収だし。
「というかエイル」
「ん?」
「無事なことくらい教えてよ。すごく心配したんだから」
…………
ベッケンバーグの「扇動者」を知らなければ、「誰もそう簡単に死ぬわけないだろ。よりによって全員死んだとか信じるバカが悪い。バーカ」とでも返したいのだが。
「ごめんね。一応セリエには、リッセに会ったら俺の無事をそれとなく伝えるよう頼んでおいたんだけどね」
でも、リッセは接触はしなかったんだね。
きっと噂でも聞いたか、遠巻きに見て去ったのだろう――本当は俺がそうしたかったんだけどね。
「……もういいや。無事ならそれで」
うん。ごめん。それに関しては謝ることしかできない。
「それで、狩猟祭りに出るんだって?」
「支配人に聞いたの?」
「うん」
と、リッセはポケットから手紙を出した。見たことのある蝋で封がしてある。
「これ預かってる。狩猟祭りが終わったらエイルに渡してほしいって」
そっか。
その手紙に、アディーロばあさんの「素養」が書いてあるのか。
「どうする? もう渡してもいいけど」
そうだね。
こうなってしまえば、もうお互いアディーロばあさんに義理立てする理由もないからね。
――だからこそ。
「いや。約束通り、終わってから渡してほしい」
どう考えてもおかしいから。
あのアディーロばあさんが、無警戒に「自分の素養」を書き散らした手紙を第三者に渡しておくなんてこと、絶対しないからね。
誰が見るかもわからない。
リッセが開けるかもしれない。
俺が見た時や見たあとに、俺以外の人も見るかもしれない。
自分の情報がだだ洩れになるような浅慮な真似をするわけがない。
俺はあの人を嘘つきだとは思っていないが、警戒心が強く用心深いとは思っている。
必ず裏がある。
言われた通りにしなければ、何かしら不都合なことが起こりそうな気がする。
というわけで、今は遠慮しておく。
「ところでリッセ。ブラインの塔は見つけた?」
「あ、うん。散々街の中を走り回ったし、たぶんここだろうっていうのはわかったかな」
さすがリッセだ。
たぶん俺と同じ考え方をしたのだろう。
「ブラインの塔の名前は知っていても、どこにあるかは誰も知らない」
「あ、エイルもだいたいわかってるの? 答え合わせしとく?
――誰も塔がある場所を知らない。
それはつまり、『目立つ塔の形はしていない』か、『誰にも見つからない場所にある』か、よね」
その通りだ。
「街の外にはない。
クロズハイト周辺には街や村はないから、徒歩で行き来できる建造物は逆に目立つ。狩人がこの街の周辺は粗方調査しているだろうしね」
「更に言うと、塔は人を何人も収容できる程度の大きさではあるはず」
「住む人が多くなると、どうしても必要な物資が出てくる。調達する場所はもちろんこの街だ」
「となると、『この街の住人じゃない人の出入りがあってもそんなに目立たない場所』にある可能性が高い。よそ者の出入りとか結構見張られてるみたいだしね」
「つまり商業街か貧民街のどちらかに、ブラインの塔に繋がる場所がある」
「何年もやっている大きなお店を除くと、多くの人を収容できるほど大きな建物はかなり限られる」
うん。読みは一緒か。
「リッセ、言ってたもんね。『ブラインの塔で仲間に会う』って」
そしてアディーロばあさんも、「ブラインの塔の客」という言い方をした。
「俺たちと同年代で、周辺住民から見てあまり見覚えがない顔がよく出入りしている場所が、一番怪しい」
「――孤児院だよね。全部の条件が揃う場所」
あ、言った。ずばりと。
そう、俺も孤児院だと思った。
ハイディーガのように、地下に訓練施設があるんじゃないかと。
「塔」というのは便宜上の何かか隠語の類で、塔の形はしていないのではないか、と。
もしかしたら、地下に塔のような形状の下へ向かう建造物があったりするのかも、と。
「さっきエイルが言った同年代の、ってのも合致するよね? 孤児院に場違いなシスターがいるでしょ? あれはかなり強いよ」
シスターというと、ハイドラか。
うん、最初に会った時はよく観察しなかったが、二度目に会った時はちゃんと「視た」。
あれは強い。
無警戒に見えて、強そうに見えなくて、その上で数字が「1」だった。後ろを向いた時も数字は変わらなかった。
俺にはハイドラの年齢がよくわからなかったけど、リッセが言うなら、同年代なんだろう。
同年代でアレか。
間違いなく、俺たちと同じ暗殺者候補生か、そうじゃなくてもブラインの塔の関係者だろう。
「私たちの答え、だいたい合ってるよね? これはもう間違いないかな?」
「恐らくは。狩猟祭りが終わったら会いに行く約束をしているから、その時確かめればいいよ」




