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169.メガネ君、娼館街の屋敷を出る





「――なんだと!? ここを出ていくというのか!?」


 そういえば、この人にも言ってなかったな。


 朝食の席に荷物持参でやってきた俺を見て、不可解そうな顔をするセヴィアローお嬢様である。


 そういえばこの人にも話していなかったな、と思い「朝食が済んだら出ていきますよ」と告げてみると、予想を超える驚きっぷりを見せた。


「まだ抱いてないのに!?」


 おい。

 まだ、って。おい。


「ええ、はい、とにかく絶対出ていきますよ」


 メイドの彼の思考にも若干の危機感を覚えたが、その危機感の正体そのものがいよいよ本性を剥き出しに……あ、それは元からだったか。


「愚図な娘だよ。あんたがちゃんと捕まえりゃ、エルがここに留まる道もあったかもしれないのに」


 アディーロばあさんが冷ややかな目で娘を見るのを、俺も冷ややかに見守る。その道は最初からないですよ。


「それよりババア! ババアは知ってたのか!? なんで言わなかった!? 言っていればもっとこうやり方が――」


「あんたがそういう態度に出たら即座に出ていくと思ったからだよ。本当にしょうもない娘だ」


 はい、正解です。


「諦めな。あたしもなんだかんだ考えてみたが、妙案は思いつかなかった。金でも物でも女でも、エルを繋ぎ止める決定打になるとはどうしても思えなかった。

 本当に、欲の薄い強者ってのは扱いにくいねぇ」


 強者か。


 朝からゼットの脅威を思い知った今、その言葉を受け入れる気は全くないけど。

 強者ってのはああいうのを言うんだと思う。


 ……というか、俺はあんまり強くないしね。


 …………


 離れがたいと言えば、毎朝の食事に出てくるこの厚切りベーコンだ。


 毎朝、高級なコース料理のノリで色々と出てくるが、内容だけ見ると軽いものばかりだったんだよね。

 まあ朝から重いものばかり食べられない、ということなんだろう。何せご高齢の方もいるから。


 その朝食コース料理のメインディッシュとして出てくる肉料理が、このベーコンになる。

 新鮮な卵を半熟の目玉焼きにし、黄身を潰してベーコンに付けて食べるという贅沢な一品が、最高においしかった。


 やや格式ばったナイフとフォーク、スプーンの扱いにもすっかり慣れたものだ。


 ベーコンをナイフで切って、黄身ソースをたっぷり絡めて口に運ぶ。濃厚な卵の旨味がしょっぱいベーコンと合わさって絶妙な加減となる。何度食べてもうまい。いつまでも食べていられそうだ。


 だが、これが食べ納めである。

 もうこれを食べられないというのが、一番の心残りかな。





「――エル。あたしとの賭けのことは覚えているね?」


 朝食が終わりお茶を飲んでいると、アディーロばあさんがそんなことを言った。

 もちろん、忘れるわけがない。


「俺が勝てば秘密を教えてくれる。そういう約束でいいんですよね?」


 正確には「アディーロ支配人の素養」だが、ここにはほかの人もいるのでぼかしておく。


 そんな気の回し方が気に入ったのか、おばあさんはニヤリと笑った。うーん、今日も強欲そうな悪い顔だ。


「そうだ。忘れてないならそれでいい。――あたしはあんたに大金を賭ける」


 あ、はい。それはそっちで勝手にやってくださいよ。


「賭け? なんだ? 狩猟祭りのか?」


 アディーロばあさんは簡潔に、「ただの口約束だよ。エルが勝ったらどうする、みたいなね」と説明し――セヴィアローお嬢様の目の色が変わった。


「よし、私とも賭けをしよう。私も狩猟祭りに出る」


 えっ。


「そしてもし私が勝ったら、一晩でいい、私のものになれ」


 …………うわあ。怖いくらいに目が本気だ。


「いいですよ」


「最後までそういう態度か。まったく……え!? な、何!? 本当か!? いいのか!?」


 なんで賭けを持ち掛けた方が驚くんだよ。


 ……いやまあ、驚くか。


 いつもの俺なら乗るわけがないから。


「別になんでもいいですよ。――負けないから」


 アディーロばあさんとの約束は、「本気の俺の実力を見たい」だ。


 この屋敷を出ていくと決めてから一週間、みっちり狩りの準備はしてきた。

 狩場となる森も何度も下見に行ってきたし、狩猟対象になりそうなクロズハイト周辺に多く見られる魔物のこともしっかり調べた。


 勝算はある。

 むしろ勝算しかない。


 だいたい、これだけ条件が揃っていて狩人が「狩り」で負けるようなら、泣きながら故郷に帰って修行のやり直しをするね。

 師匠にブン殴られに行こう。


「聞いたかタイラン!? エントリーに行くぞ!」


 勇み足で食堂を飛び出すセヴィアローお嬢様と護衛のタイランを見送り、俺も席を立った。


「それじゃ俺も行きます。支配人、お世話になりました」


「ああ。困ったことがあったらいつでも来な。あんたなら歓迎する」


 次の縁は、あるのかな。

 この先、またアディーロばあさんの世話になることはあるのだろうか。


 ――先のことはわからないし、まあ、なるようになるか。





「ああ、ちょっと待った――エイル(・・・)


 背中を向けて部屋を出ていこうとした俺を、アディーロばあさんが呼び止める。


 名乗っていない俺の本名で。


「――俺の名前はエルですが」


 驚きで一瞬心臓が高鳴ったものの、努めて冷静を装って振り返るその先で。


 やはりおばあさんは悪い顔で笑っていた。


「今はわからなくていい。――もう預けてあるから、受け取るんだよ」


 ……?


「今はわからなくていいんですか?」


「そうだね。わかる方が怖い」


 あ、そう。

 じゃあ今は考えたってわからないってことか。


 ちょっと気になる言葉を頭の片隅に置いて、改めて俺は娼館街を出るのだった。





 ――言葉の意味がわかったのは、案外すぐのことである。






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― 新着の感想 ―
[一言] サービスで素養もう貰ってたとかだったら、コピーの条件も把握されてるってことでかなり怖い
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