166.ブラインの塔にて 2
ハイドラは転送魔法陣に乗り、孤児院の地下へと戻ってきた。
ブラインの塔は、未開拓地にある。
表向きはクロズハイトと同じ位置づけである。
ただし、この街と違い、塔は本当に未開拓地にあるが。
古代魔道具を利用した転送魔法陣で、離れた距離を移動するのだ。
ブラインの塔は、世界のどこかに実在する。
だが直接行くのは不可能……とは言わないが、かなりの年月が掛かるだろう。
星空による大まかな方位と、生息する動植物の傾向から、どこら辺りの地方かは察しが付くが。
しかし、それだけで到着できるかどうかは、ハイドラには少し自信がない。
ブラインの塔がどういった理由で建てられたのか、また何者が建てたのかは誰もわからない――いや、暗殺者組織に連なる一部だけが知っているのかもしれないが。
教えられたことは、古く頑丈で、しかし損傷も少なく未だに現存する、という物証があるだけだ。
そして、この無法の国クロズハイト。
中はともかくとして、街を覆う立派な外壁は、恐らくは戦時中の砦か、あるいは本当に小国を築いていた痕跡だろう、とハイドラは推測している。
今では崩れていたり穴が開いたりとひどい有様だが、無事な部分は堅牢そのものだ。
なんらかの理由で砦あるいは国として利用する者がいなくなり、それから居場所がない流れ者が住み着いた。
これが現在のクロズハイトの源流であるそうだ。
今拠点としている孤児院ほかいくつかある建造物は、外壁が積まれたのと同じ時代に作られたものだろう。
魔法陣のある隠し部屋から、隠し通路に出る。
これも昔からあるもので、それなりに街の地下に広がっているそうだが――故意に崩して一部しか利用できないようにしている。
魔法陣のことを知られると面倒だからだろう。
隠し通路から、孤児院の地下室であるガラクタ置き場に戻った。
隠し通路へ通じる扉は隠し扉となっているので、ちょっとやそっとでは見つけられないだろう。
おまけに隠し扉や隠し通路の存在を隠すように埃をかぶったガラクタが隠れ蓑として機能している。隠れまくりの隠しまくりである。
「……くしゅんっ」
埃っぽい場所ではくしゃみが出てしまう体質のハイドラは、さっさとガラクタ置き場を出て、上階へと向かう。
――ここからは、暗殺者候補生の主席ハイドラではなく、ただの流れ者のシスター・ハイドラとなる。
「ハイドラさん」
日課となっている掃除や洗濯をこなしていると、少し前に孤児院にやってきたセリエという少女が声を掛けてきた。
孤児院では食料調達と料理を担当しており、本人的にいいのか悪いのか“メシのセリエ”などと呼ばれている。
――そして、お互いが暗殺者候補生であることを知る者同士である。
――ただし、ブラインの塔の入り口がここであることをセリエが知っているかどうかは、わからない。
優しそうで清楚なメガネのお嬢様、という体ではあるが、時折、ほんの一瞬、非情な面を感じることがある。
まあ暗殺者らしいと言えばらしいとは思うが。
「どうしました?」
広間の掃除をしていたハイドラが、ホウキを使う手を止め問うと、セリエは革袋を出した。じゃり、と硬質な音がした。
「頼まれていた『最大衝撃』を吹き込んだ石です」
「あら。早かったのね」
セリエの「素養」は「法陣ノ魔術師」というもので、簡単に言えば魔法陣の扱いに特化した魔術師だ。
魔法陣とは、描き設置することで効果を発揮する奇跡の力であるが、ハイドラはセリエと出会うまで特に意識したことはなかった。
設置し、発動する。
待ち伏せや罠には効果的だが、そういう手段以外の使い道があるのか、と漠然と思っていたからだ。
そんな言葉をぽろっと漏らしたしたら、まさかの反論がやってきた。
そして、目からうろこである。
魔法陣を物に吹き込み、投げつけて発動させる――わかりやすく言うと「罠をぶつける」という発想。
事前にいくらでも用意できるし、何より素晴らしいのは術者以外でも使用可能なことだ。
いつぞやの夜には、ぶっつけ本番で使ってはみたものの――ものの見事に思い通りの成果が出た。
思い通り過ぎて、ちょっととばっちりを食らわせてしまったヘンタイが出てしまったものの、翌日救出に向かったらすでに逃げ出していたので、まあいいことにしておく。
もしあのヘンタイとまた縁があったら、謝罪の一つもしたいところだが、ともかく。
投げられるほど小さな物には大掛かりな魔法陣は吹き込めないそうだが、それでも有用さは揺らがない。
更に言うと、だ。
この使い方は、彼女にとっては気軽に教えていい範疇にある。
本命となる「切り札」は別に持っているから。
この使い方を気軽に教えられるということは、セリエはそれ以外の使い方――いわゆるここぞという時に切る「切り札」となる技を持っているということだ。
「ありがとう」
注文した石の数は十個で、発動できるのは一個につき一回。
今は試行で消化しているが、いずれは一番有効に使える道を探し、いざという時のために持っておこうと思っている。
「それにしても、『魔術で素養を再現できる』という話は聞いていたけれど、本当にできるものなのね」
魔術師が貴重だと言われる理由。
それは、いくつかの「別の素養」を魔術として再現できることがあるからだ。
魔力の傾向や、本人の素質といった要素がかなり大きく、なかなか再現できるものではないが。
しかしそれでも、一つでも「別の素養」が再現できれば儲けものである。
その時点で「魔術師」と「別の素養」と、「二つの素養」を兼ねた存在になるのだから。
「魔法陣だとちょっと扱いが違うんですけどね」
セリエは苦笑いする。
魔法陣と魔術は、根本で使う魔力は同じでも、違う系統のものである。
すごく簡単に言うと、セリエの場合は「魔法陣さえわかればその素養をすべて再現できる」のだ。
「最大衝撃」以外の「いくつかの素養」も再現できるが、セリエもそこまでは言うつもりはない。
「――メシー! おやつー!」
「――おやつーおやつー!」
「――砂糖を舐めたーい!」
「――ちょ、ちょっと待っ……うぐぅっ!!」
そろそろおやつの時間のようだ。
セリエのことをメシと呼ぶ子供たちが、わーと孤児院に戻ってきた。
「――手ぇ洗ってからじゃ! われ洗ったか? 洗っとらんじゃろ? 行くど」
同じく、子供たちと一緒にわーと帰ってきた忌子、セリエの仲間であるフロランタンが、セリエに突撃した子供たちを担いだり小脇に抱えたりして連れて行った。あれも暗殺者候補生であろう。
「うぅ、日に日に遠慮がなくなっていく……」
どうやら突撃してきた子供の頭が、セリエのみぞおちに入ったらしい。
「仲が良さそうでいいわね」
セリエが来る前は突撃されていたハイドラは、少しばかり寂しいが。
「手伝いますよ。クッキーは昨日焼いたから……今日はパンケーキでいいかしら?」
「ありがとうございます。パンケーキにしましょう。確かクルミがありましたよね? あれは使っていいんですか?」
「院長が隠してるお酒のあてね。見つけたんならいいんじゃない?」
案外気が合うハイドラとセリエは、並んで歩き出した。