165.ブラインの塔にて 1
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「――聞いた? 狩り勝負のこと」
「――聞いた聞いた。ソリチカ先生が参加していいって」
「――にゃははー。あたしの野生が『出るしかない!』って言ってるねー」
「――飼い慣らされた野生が?」
「――主人が良ければ飼い猫も悪くないねー」
石積みの塔にある一階は、食堂も兼ねた大部屋となっている。
ブラインの塔。
はるか昔から、ナスティアラ王国の暗殺者の拠点の一つとして存在し、今は暗殺者の育成施設として利用されている場所である。
教官役を除けば、今この塔に住んでいる暗殺者候補――いわゆる訓練生は、十一名である。
「おまえら出るのか?」
「あ、サッシュ」
昼休憩がてらのんびり話をしている四名の候補生に、外から戻ってきた上半身裸で青髪の少年が声を掛ける。
彼はサッシュ。
十一番目の候補生だ。
ここ数日でやってきた暗殺者候補生の一人で、一番の新入り。顔や身体が濡れているのは、訓練の汗を流してきたからだろう。
彼は到着早々に実力を示している。
だから「新入りだから」という軽視もなければ、実力者だからという遠慮もない。
もう仲間だと受け入れられている。
そして、共通の認識として、先に来ていた候補生たちは「サッシュの腕は程々だ」と思っている。
――彼がここ半年くらいしか訓練せずに「程々の腕」であることを、まだ誰も知らない。
「なんかサッシュ発信の話だって言ってなかった?」
小柄で髪は短く、男だか女だか判別が難しい中性的な女の子であるマリオンが、座れ座れと椅子を勧めながら問う。
「ああ。ここまで大事になるとは思ってなかったけどな。――エオラは?」
椅子には座らず、サッシュは辺りを見る。目当ての人がいないが探しているのだ。
「にゃははー。サッシュはエオラのこと好きだねー」
いつも笑っているような顔をした猫獣人の少女トラゥウルルが茶化すも、サッシュは不機嫌そうに眉を寄せる。
「バカか。男同士だぞ」
エオラ――エオラゼルは、塔にやってきたサッシュが、実力を示すために模擬戦をした相手である。
最近のサッシュの目標は、まだまだやられっぱなしのエオラゼルに、一度でも勝つことだ。時間を見つけては勝負を申し込んでいる。
「この俺が相手になってもいいが?」
お調子者という言葉が相応しい目付きの悪い少年は、ハリアタン。弱くはない。ただ、ここのメンツだと強くもないだけで。
「おまえはいいわ。おまえとやるくらいならトラの方がまだ楽しいぜ」
「なんだとこら新入り」
「トラじゃくてウルルって呼べよー。あんな品のない連中に見えるのかよー」
ハリアタンはともかく、トラゥウルルは「虎は品のない連中」だと思っているようだ。基準はよくわからないが。
「まあまあ」
穏やかな気質で争いごとを好まない、魔術師としての高い素質を持つ少年リオダインが、トラゥウルルを宥める。
「確か、賭けで槍を造ってもらうとかなんとか言ってたっけ?」
「詳しくは後でな」
と、サッシュはそこにいる四人を置いて、エオラゼルを探しに二階へ向かう階段へ行こうとした――その時だった。
「――サッシュ。賭けの話、詳しく教えてくれないかしら?」
ついさっきサッシュが入ってきた場所から、後を追うようにしてもう一人やってきた。
「……ハイドラかよ」
シスター姿の女性――実際はまだ少女と呼ぶべき年齢だが、大人のようにも少女のようにも見える美貌を持っている。
彼女はハイドラ。
現在の暗殺者候補生の中では、成績優秀で主席にいる者である。
「……はあ。わかったよ。話すよ」
ハイドラが言うなら仕方ない。
溜息を洩らし、サッシュはさっきマリオンが勧めた椅子にどかっと腰を下ろした。
別に主席だから一目置いている、というわけではない。
――まだここに来ていない仲間が、少しばかり彼女の世話になっているからだ。
個人的に、ちょっと頭が上がらないのだ。
「――それで狩猟祭り、ですか」
狩猟祭り。
その言葉は、狩り勝負の拡大版――今度クロズハイトで行われるイベントの名前である。
最近は外界からの訪問者が多く、少しずつ賑わいが増してきている。
一応、表向きは存在しないはずの無法の国クロズハイトだが、ほかの地と物流も交流もあるのだ。
いろんな意味で、書類上は存在しない方が、都合がいいこともあるということだ。
まあその辺はともかく。
クロズハイトは、周辺と比べて物価が安い。
大金がなくてもそれなりに遊べる場所として、無宿の荒くれや冒険者、街の権力者とコネがある金持ちや貴族もやってくる。
ここなら、そこそこの火遊びも許される。
地元ではできないこともできる。
世間の目を気にせざるを得ない金持ちや権力者には、かなり居心地がいいらしい。
――ただし、だからといってやり過ぎたら、誰も知らない場所で忽然といなくなることになるが。
無法でも秩序はある。
その辺を弁えてくれれば、非常に楽しい場所である。
「あのタツナミが乗り気になった、というのが大きいわね」
ハイドラから見れば、このイベントはかなり不自然なのだ。
特に鍛冶場街のタツナミだ。
あの偏屈な老人は、この手の金儲けにはほとんど動かない。派手好き騒ぎ好きの栄光街のベッケンバーグとは根本が違うのだ。
率直に言って、ただの職人に等しい。
そんなタツナミが動いた理由が、サッシュが押し付けるように始めた賭けだという。
賭け一つでこんなに大事になるのか、と首を傾げたくはあるが……
――まあ、真相がわかった今、釈然とはしないまでも話の流れは理解できた。
「それで、あなたたちは出るの?」
サッシュの参加は絶対であるらしい。
そんな彼の話を興味津々で聞いていた四人に聞くと、「出る」だの「出ない」だのと答えは割れた。
「やめた方がいいんじゃない?」
「にゃは? なんでー?」
「せっかくソリチカ先生が許してくれたのに、出ないでどうすんだよ」
すでに出る気まんまんのトラゥウルルとハリアタンは、ハイドラの言葉に不思議そうな顔をする。
「賞品とか賞金とか出るらしいよー? お金欲しいよー。あたし、賞金もらったらたくさん甘いお菓子と肉買うんだー」
「そうそう、食い物大事な。それによ、世間では腕利きとか一流とか言われてる連中をぶっちぎって勝つのも面白そうだしな!」
二人はすでに、出る気でもあれば勝つ気でもあるようだ。
「ねえサッシュ。あなたが待っている仲間に、本物の狩人がいるんでしょう?」
「あ? ああ、いるよ。すげー腕のいい弓使いだ」
いきなりなんだ、と思いつつ、サッシュはそう答える。
「メガネを掛けているのよね?」
「ああ。……なんだよ。なんかあるのか?」
「――いえ。何も」
と、ハイドラは席を立った。
知りたいことはわかったし、何を言っても聞き入れそうにないので、話はもういい。
先日、メガネの少女――いや、女装をした少年が訪ねてきた。
彼がハイドラのいる孤児院に来たのは二度目。
一度目は、恐らくは自分と一緒にクロズハイトに来た仲間の様子を見に来たのだろう。
だが二度目の訪問は、明確に、ハイドラに会いにやってきた。
多くは語らず、彼はこれだけ言った。
――「狩り勝負が終わったらすぐにお世話になりたいんだけど。いいかな」と。
狩り勝負が終わったら。
すぐにお世話になりたい。
淡々と語った女装姿の彼は、明らかにハイドラをブラインの塔の関係者と見なしていた。
関係を確かめることもなかったし、探るような問答もなかったから。
つまり、彼は狩り勝負に出場する気があり、それが終わったら孤児院に――いや、ブラインの塔に来るということだ。
サッシュが出るのは仕方ない部分もあるが、トラゥウルルとハリアタンは……
「……ソリチカ先生、絶対にわざとよね」
きっと彼女は、あのメガネの少年に塔の候補生たちをぶつけるつもりで、狩り勝負出場の許可を出したのだ。
だとしたら。
あのメガネの少年は、相当やるということだ。
道理で初めて見た時から、色々と気になるはずだ。
その辺の非戦闘員にしか見えないのに、よくよく見たら隙がないところとか。
気配は小さいのに感情での動揺がまったく伺えないところとか。
視線の動きに迷いがないところとか。あれはまっすぐ直線だけでなく、パッと見える視界すべてに気を配っている者の目だ。
強そうにはまったく見えなかったが、断じて普通ではなかった。
あれが狩人か。
クロズハイトで見かけた、魔物を狩るだけの狩人とは、かなり毛色が違う。
言ってしまえばクロズハイトの狩人は戦士だから。
職業・狩人とは、やはり根本が違うのだろう。
――負けるかもしれないから出ない方がいいんじゃない?
勝つことを疑っていないあの二人に言っても、やっぱり聞かないだろう。