164.メガネ君、アディーロに冗談を言うが……
「――どうしてこんなに大きな話になったのかは知りませんが、ナイフの件はお願いしますね」
もう昼くらいではなかろうか。
長い長い欲望まみれの話し合いが一段落して、タツナミじいさんに話を振られた。
――で、てめぇはやるのか? と。
正直結構悩んでしまったものの、俺も黒皇狼の牙のナイフが手に入るという欲望に負けて、正式に話を受けることにした。
賭けの案、回数に種類、ほかの催しと。
色々な候補は多く挙げられたものの、何が本決定になるのかはわからない。
主催となるベッケンバーグが全体の指揮を執るようなので、彼が多くのことを決めるのだろう。
そう、自分に都合のいいように。
そして協力者たちが協力してもいいと思えるラインを見極めて。
今後も何度か会議をやるらしいが、しかし今日のところはここまでのようだ。
今回のようなイベントだけやっていればいいわけではない。
それぞれ普段やっている仕事があって、忙しいみたいだからね。
「今、素材は持ってるか? あの野郎の槍より先に、てめぇのナイフを最優先で仕上げてやるよ。どうせ向こうの方はまだまだ時間が掛かるからな」
はあ、そうですか。
「それではお願いします」
タツナミじいさんとその話をする予定だっただけに、素材となる牙は持ってきている。回収に席を立ったカツミに渡す。
「――嬢ちゃん、相当親父に気に入られたな」
「――あんまり嬉しくないですね」
ぼそっと掛けられたカツミの一言に、ぼそっとそう返しておく。こうなってしまうと、お互い仕事だけの関係でありたかったよね。
渡した牙は、カツミの手からタツナミじいさんの手に渡った。
「確かに預かった。最高の一品に仕上げてやる」
ええ、はい、ぜひそう願いたいですね。
「だいたい一週間くらいでできるぜ。でもって狩り勝負も一週間後を予定している。だよなベッケンバーグ?
つーわけで、今から取り掛かってもぎりぎり間に合うかどうかって感じだな」
賭けもナイフも一週間後。
だがナイフは間に合わないかもしれないのか。
……となると、やっぱり俺の武器がないな。
弓を借りるのはなしだしな。
なぜソリチカが弓矢を預かったのか、真意はわからない。
だがきっと意味はあるはずだ。
むしろ無意味であるはずがない。
それが信じられるから、彼女の出した課題も達成したいと思うのだ。
まあ、できる範疇で、だけど。
武器か……武器ねぇ。
そもそも、ナイフが間に合ったところで魔物を狩るのに心許ないかなぁ。猿くらいなら充分だけど、小型の魔物しか狩れないだろう。
俺の腕では、ナイフで中型以上の魔物はきっと無理だ。
話題に上がっていた魔物も、どうも中型以上みたいだしな。
武器のことは考えないとなぁ。
でも俺が満足に扱える武器なんて、弓とナイフくらいなんだけどな……投げナイフも近距離しか当てられる自信はないし。
…………
いっそ本当にさっさと負けるのもありか?
別にサッシュに勝ちたいわけではないし、大々的なイベントに参加して目立つのも嫌だし。
「――ナイフだ? おいメイド、俺のナイフをやってもいいんだぜ?」
「――はあ? 下ネタかい?」
ベッケンバーグが何かたわけたことを言い出し、それこそ言われた本人のように嫌悪感丸出しの顔でアディーロばあさんが横やりを入れる。
「――俺はもっと大人の女が好みなんだよ。実際本物のナイフだよ。刃は魔鋼で柄は『一つ目象』の象牙細工っつう、かつてはどこかの貴族の家宝だったってシロモノよぉ」
あ、すごそう。
黒皇狼の素材のナイフに負けないくらいすごい一品かも。
でも、お高いんでしょう?
「――俺の護衛に付くなら、報酬としてくれてやるよ。どうだ? 俺の下で働かねえか?
これでもゼットを退けたおまえの腕、買ってるんだぜ? もちろん俺の目に塩をぶち込んだ件も忘れてやるよ」
はいはい「扇動者」発動してる「扇動者」発動してる。
「生憎、私は依頼を重複して受けてやり遂げられるほどの器量はありませんので」
即答でお断りすると、アディーロばあさんが勝ち誇ったように笑う。
「――強欲が顔に出てる太っちょは好みじゃないってさ」
いやあ、強欲に関してはおばあさんも負けてないですけどね。
「――あんたはその太っちょな指を咥えて、あたしのメイドが活躍する様を見てればいいんだよ」
……まあ、間違っちゃいないけどさぁ。
でも、そういう「自分のものです」みたいな言い方されると、ちょっと引っかかるなぁ。
お偉いさんの護衛……というか会話って、こういう含みを感じることが多いな。
この人たちだけなのか?
それともお偉いさんってそういうものなのかな?
最初からその予定だったようで、支配者たちはその場で昼食を取ってから解散となった。
もちろん俺は食べてない。
護衛ですから。
……すごいうまそうだったなぁ。シカ肉のソテー。羨ましかった。俺、帰ったら今日は肉を食いにいくんだ。
「――エル」
馬車に乗り込み娼館街へと戻る最中、アディーロばあさんは言った。
「今度の賭け、勝ったらボーナスを出す。だから勝ちな」
えぇ……
「急に乗り気になりましたか? 俺はだいぶ気軽に、負けてもいいとさえ思ってるんですけど」
俺の目的はナイフだからね。
タツナミじいさんがナイフを造ってくれさえすれば、あとはもうどうでもいいというか。
武器がないのもあるし、別に負けてもいいかなーと思っていたのに。
「勝てばブラインの塔のことを教えてもいいよ」
ああ、はい。
「大まかな場所はもうわかりましたので、結構です」
「――だからだよ」
ん?
「今度の賭けが終わったら、あんたはあたしの許から去るだろうと思ってね」
……まあ、そうだね。
「そろそろいいかなと」
サッシュはすでにブラインの塔にいるし、あと一週間もあればセリエたちも見つけるだろう。
リッセの動向だけはわからないけど。
果たして彼女は、セリエたちと合流したのだろうか?
リッセとは夜のレストラン以来、セリエとフロランタンとは一昨日会ったっきりだ。
でも、リッセの心配はあまりしていない。
ベッケンバーグに捕まったのはイレギュラー中のイレギュラーだろう。
彼女の強さは本物だし、頭もいい。
放っておいてもブラインの塔を見つけ出すはずだ。いや、案外もう到着しているかもしれないし。
まあ、真面目でやや融通が利かないところが、若干心配ではあるが。
その辺が騙された原因だろうし。
……俺の「メガネ」のせいじゃないよね?
「止めたって聞き入れやしないだろ? だから、最後にあんたの本当の力が見たくなったのさ。本当の実力をね」
本当の、力……
まあ、すでに見せている気はしますけどね。
今顔に掛けてるこれがそれですから。
「支配人の『素養』を教えてくれるなら、本気でがんばってもいいですよ?」
出会ってすぐに、「俺の素養」を見抜いたその力。
あれからいろんな推測は立てたが、どうしてもピタリとハマる結論には至れなかった。
こうなったらアディーロばあさんが寝ている時に「メガネ」を掛けさせて、「強制情報開示」するしかないとさえ思っていた。
……思うだけでやる気はなかったけど。
知りたい気持ちは多分にあるが、人相手に無理やりやるのはちょっと抵抗がある。
情報とはいえ、やってることはただの泥棒だからね。
自然と「視える」分にはあまり気にしないが、無理に引き出さないと「視えない」となると、俺の中ではちょっと意識が違うんだよね。
「――いいよ」
これで話は終わりだ、みたいな気でいたのだが。
意外にもアディーロばあさんは、半分冗談で言った俺の提案に、首を縦に振った。
「――勝ったら教えるよ。今まで誰にも明かさず、あたしをここまで生かしてくれた『あたしの素養』、あんたにだけ教えてやる」
…………
あ、どうしよう。
なんかかなり重そうだから、ちょっと知りたくなくなってきた。




